NY->MIAMI その7
地下鉄で、セントラル・パークの南側あたりにある駅まで行き、地上へ。
ここは都会のビルに囲まれた巨大な公園です。
立ち並ぶ木々の隙間からビル群が見えるのがいい感じです。
そのセントラル・パークの中を北へ歩きます。
木々の中にはリスがいっぱいいます。エサをもらっているのか、みんなかなり丸々と太っています。
しばらく歩くと、公園内の一角にあるストロベリー・フィールズという場所です。
この場所は、オノ・ヨーコさんが作ったところ。
IMAGINEと書いてあり、花などが供えてあったりして、訪れる人は皆静かに眺めています。
ストロベリー・フィールズはジョン・レノンが凶弾に倒れた場所にすぐ近く。
このすぐ脇に、ジョン・レノン&オノ・ヨーコが住んでいたダコタハウスがあります。
公園の隅では、ジョン・レノングッズを売る屋台も出ています。
ジョン・レノンが亡くなったのは、私が高校生の時。
初めて買った洋楽のシングルレコードはビートルズのYesterdayでした。これは中学の時。
その後、Hey Jude、Let It Beと続けて買いました。
この3枚のうちどれかのB面に入っていたのが、ジョンの歌うレボリューション。
ホワイト・アルバムののんびりしたアレンジとは違い、
激しいギターのイントロから始まるシングルバージョン。印象強かったです。
今から思えば、これがジョンという人を意識した最初のような気がします。
そんなこんなでここもニューヨークへきたら訪れたかった場所のひとつだったわけで。
公園を出てダコタハウスを眺めながら周りをゆっくりと歩きます。
ジョンはダブルファンタジーを作ったころ、こんなところに住んでいたのか・・・
・・・まだ小さかったショーンもいたんだな・・・
・・・ショーン、チボマットのホンダユカと別れたようだけど、
最近何しているんだろ・・・などと思いつつ・・・
りっぱな守衛さんがいる超高級マンションでした。
ぐるりと歩いた後、ここから歩いていけるところにある(はず)という、古本屋さんへ向かいます。
それにしても寒い・・・
冬木立の間から見えるビル群、冬独特の光…。キーーーンとした冷たい空気。
「美しいセントラルパークを、私の祖母も
母も愛していました。この美しさを永遠(とわ)に…」などと書かれた寄贈のベンチが
いくつも並んでいました。
ジョンもヨーコもショーンも、
一緒に公園を歩いたのでしょうね。
ダコタハウスのどのへんの部屋なのか、
Mongoと私で予測をしました。
きっといちばん日当たりがよく、いちばん景色がよいところだろうねと予想しました。
守衛さんのブースも、ダコタハウスに入ってすぐのところに見えるクリスマスツリーも
本当に立派でした。
きっと毎年、ジョンもツリーを眺めたことでしょう。
それにしても、あちらのお金持ちってのは、
日本人には想像がつかないぐらい
ハンパじゃなく金持ちなんだろうな、と思う。
私が、ジョンの訃報を聞いたのは、
学生時代。渋谷センター街入り口の
ダンキン・ドーナツでバイトをして、
ミニスカート(!)でドーナツを売っていた
そのときでした。
ラジオから知らせが流れてきたときの、
あの気配が濃厚に頭に焼きついています。