一年前のこと
天気もそこそこよく、穏やかで大きな出来事もなくゴールデンウイークも終了。
昨年2009年も5月は清志郎の死、友人の死、家族の怪我、と
大きな出来事が立て続けに起こったわけで、それからもう1年。
清志郎のことと友人のことはこのメモにも書きとめたけれど、もう一つの出来事、
家族の怪我については詳細はメモってなかった。
ちょうど一年経ち、おかげさまで今はすっかり治ったわけだが、思い出しつつ書いておくか、と。
友人の死が5月5日。連絡があったのが夜遅くだった。なかなか眠れなかった。
朦朧とした状態ではあったが、友人宅で行なわれる宴会へ夫婦で出かける。
いろんな映像見たり、とてもおいしい料理やワインをいただいているうちにあっという間に深夜。
電車もいつの間にか終わってる。タクシーで帰路へ。(このあたりかなり記憶飛んでるけれど)。
激しく雨が降っていた。自宅からやや離れた場所でタクシーを降りた。
雨が降っているのになぜ自宅前までタクシーで行かなかったのかはわからない。
タクシー代をケチったのか。酔っ払ってうまく道が説明できず、ここでいい!と降りてしまったのかもしれない。
雨の中、タクシーを降り、自宅へ向かって二人で歩き初めて数十メートル。人気のあまりない住宅街のはずれ。
濡れた路肩の段差で足を滑らせ、妻が転ぶ。完全にすべり真後ろへ。
後頭部を路肩の段差にまともに打ちつける。雨とともに流れ出る血がアスファルト上に広がる。
雨のせいなのかどうかわからないが、どんどん広がる。まずい。頭だし、血が大量過ぎる。
妻は雨にうたれ、道路にひっくり返ったまま。意識はあるが突然のことで、
何が起きたのかもよくわからない様子。
とにかくこれは救急車呼ばなきゃ、と携帯電話を取り出し119を押そうとするも焦ってるし、雨で濡れてるし、暗いし、でなかなか電話がかけられない。(もちろん、酔っ払ってるし)。
と、たまたま若いカップルが通りかかり「どうしました?」と声をかけてくれる。
「救急車呼びたいんです」「すみませんがかけてくれませんか?」と私の携帯を渡す。
ちょいちょいとかけて場所も説明もしてくれた青年。それを見つめていた彼女。
(きちんとお礼をいう間もなく、さっさと行ってしまったけれど、ありがとう。)
すぐに救急車到着。頭打ってるので動かさない方がよいかと倒れたままだったので、
一段と雨にぬれ血を流す妻を車の中に収容。隊員が話しかけるも、事態をよくわかっていない彼女。
とにかく病院へ、できれば脳外科医師が待機している病院へ、ということで電話をしている別の隊員。しかし。
1軒目、医師がいないと断られる。2軒目も。
3軒目は脳外科医師はいないが見るだけ見てくれる、と。
「そのかわり、万が一、脳に何かあっても処置できない可能性ありますが行きます?」と聞かれる。
ここでそんなのありか?!と怒った記憶もあるけれど、他に受け入れ病院がないのではしかたがない。向かってもらう。(同乗だけど)初めて乗った救急車内の記憶はあまりない。
病院到着後、医師が傷口を確認、かなりつぶれた感じで切れているらしい。
妻は「痛い痛い、どうしたの、何ー?」と叫んでいるがどうしようもない。
脳波だか、CTだかをとるということで妻は別室へ。私は薄暗い待合室で待つ。
結構長い時間待っていた気がする。30分くらい?
そんな時に撮っていた病院待合室の写真がこれ。
壁の時計は午前2時15分
しばらくして診察室に呼ばれる。
CTなど検査の結果はひとまず異常なし。
ただ、傷口がかなりひどい、と。
ぱっくり切れただけではないので、縫いづらい、と。
しかし、縫ってもらうしかないのでお願いする。8針だったか。しかもかなりジグザグ。
とにかく治療完了。血も止まった。
タクシーを呼んでもらい帰宅するころには、空が明るくなりかかっていた。
翌日、翌々日も医者へ。
妻はしばらくめまいなどがあったようだが、それも徐々におさまり、なんとか正常に戻った様子。
一年たち、まあまあ無事暮らしていられることに感謝、ということです。
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少し遅い反応ですが、奥様8針で終わっただけでよかったですね。
私も日本に住んでいたころはタクシーを使っても家の手前で降りてました。
多分お金ケチってですけど。
暗い夜中、雨で血が大量に流れているように見える。
私も同じ状況にあったらMONGO君のようになってしまうかもしれません。
ぞさん
おかげさまでなんとか大丈夫でした。
気をつけましょうねー、お互い。