清志郎のこと
清志郎が亡くなり、友人が亡くなり、家族が怪我をしたゴールデンウィーク。
それぞれが大きな出来事であり、メモっておきたいと思いつつ、
結局週末のねこ日記更新だけになっていたこのメモブログ。
MINAWAさんが自身のブログで書いてた「イマワノさん」を読んで、ああ自分もいい加減書いておくかと。
(そう思ってから既にまた結構経ってますが...)
と、いうことで。まずは清志郎について書いてみた。
以下長文。続きは↓。
1980年夏
岐阜県のとある高校に通う1年生。
夏休みだったか、夏の日曜日だったか忘れたけれど、
クラスの男女10数人でヒデというやつの家へ遊びに行く。
結構広い部屋で何をするでもなく雑談して集まってた。
TVでどっかの野外フェスみたいな映像が流れてた。
その中の1つのバンドがRCサクセッション。
初めて見た清志郎の姿は男のくせに化粧してて気持ち悪かった。
が、音と動きが妙に気になった。
しばらくして、この場にもいた友人ヤスユキが「名古屋にRC来るけど行くか?」と声をかけてくる。
ヤスユキはギブソンのギター持ってて、ロックのレコードもいっぱい持ってて
すでにストラングラーズのライブに行ったりしてたやつ。
音楽についての先生みたいなやつだった。
この時点で一度もロックコンサートなんて行ったことない自分。
ちょっと怖いが行ってみたい気持ちが勝ち「行く行く」と返事。
1980年9月22日か23日
名古屋にある愛知県勤労会館へヤスユキと向かう。
地元から1時間弱。
母が大正琴の練習に使ってたモノラルのポータブルカセットレコーダーに90分TDKカセットを入れて持っていった。
着飾った名古屋の人々の中、我々2人は明らかに田舎者で気後れしつつ会場内へ。
席は1F後方。
この日はデビューアルバム出したばかりのシーナ&ザ・ロケッツとのジョイント。
まずはシーナなしのロケッツ登場。音でかい。数曲演奏後にシーナ登場。
最前列数名立ち上がって踊ってる。「うおおお、これがロックか」と興奮。
まわりの客が椅子に座って手拍子。それをまねて一緒に手拍子。
休憩後。
客電が落ちると同時に周りの人がいなくなる。???
全員ステージ方向に突進してた。
遅れて(テレコの録音スイッチを入れてから)我々も突進。
3列目くらいの位置でぎゅうぎゅうになってステージを見ると目の前に化粧してギター持ってる人がしゃべってた。
これが清志郎と勝手に思ってたらチャボだった。「名古屋久しぶりの来日でーす」って叫んでる。
「よォーこそ」が始まり、清志郎登場。客席は異様な興奮状態。
自分もいつの間にか椅子に乗りこぶしを振り上げて叫んでた。
梅津はまだ「form 生活向上委員会」って紹介されてた。これを見てサックスかっこいいと思った。
2曲目「エネルギー OH エネルギー 」が終わった後、危険ってことでいったんバンドが引っ込む。
しかたなく席に戻る。その後のことはよく覚えてない。
曲なんてまだ知らないけどとにかく飛んだり跳ねたり叫んだりしてたはず。
カセットテープにはA面シナロケ、B面RCが残ってる。
片面45分だからどちらも途中までだから後半にやったスローバラードや雨上がりは残らなかった。
この経験の後、意識がぐっとロック寄りになる。
まだCDもレンタルレコード屋もなかったので、とにかく友人にレコード借りてた。
毎日レコード借りてた。ヤスユキやマサムラはいっぱいレコード持ってたから。
もちろん、ラプソディも借りて聴いた。カセットテープに録音して何度も何度も聴いた。
1981年秋
高校2年生。文化祭。RCのコピーバンドで出演することになる。キーボード。
YAMAHAのSK-10っていうストリングス、オルガン系の音が出るやつで。
へたくそなバンドだったがとにかく音楽室で演奏。ラプソディに入ってた曲が多かった気がする。
「ダーリンミシン」もやったかな。
ギターとベースがいなくて隣の高校のやつに参加してもらい、
当日学校休んでこっちに来てたのがばれてえらく怒られた。
(そういえばこの年には友人ヤスユキのバンドでもキーボード弾いた。
こちらはレインボーのコピーバンド。KILL THE KINGとかやった記憶。)
この年、冬には高校のある地方都市でもついにRCサクセッションコンサート。
みんなで見に行く。コンドウは風邪で学校休んでたけどライブには来て飛び跳ねてた。
オープニングは「よォーこそ」ではなく「ドカドカうるさいR&Rバンド」だった気がする。
その後、RCのアルバムは聴いていたものの自分の興味がロックからジャズ中心へ移ったこともあり、
彼らの生演奏から遠ざかる。
中古レコード屋をのぞく日々。
軽音楽的サークルに参加して(たいして吹けもしないのに)アルトサックスを入手し
バンドの真似事をやってた。女性ボーカルのポップスバンド。
根本的に個人練習がきらいなので結局楽器はうまくならなかったけれど、
音楽好きな人たちといることが楽しくて部室に入り浸っていた。
アルトを吹くときのイメージはやはり梅津。あの音が出したかった。
確か1983年には名古屋ラブリーでD.U.B(ドクトル梅津バンド)を見たかな。
テーブルの隙間を演奏しながら歩き回ってた。(今と基本的には変わってない)。
この時期、梅津がアイドルだったかもしれない。
そんな大学生活。
清志郎のことじゃなくて梅津のことになりつつあるけれど・・・
RCの東芝EMIからのアルバム発売中止事件の頃には東京の会社に就職し、こっちに住んでいたはず。
清志郎、相変わらずだな、と思ったが社会的活動っぽい感じをちょっと敬遠気味にも思ったような。
このアルバムは結局買っていない。
三鷹市牟礼にある会社の独身寮。やはりジャズ中心の生活。
メグ、A&Mなど吉祥寺のジャズ喫茶、サムタイム、アケタの店など中央線沿線ライブハウスあたりをうろうろしてた。
アケタで月一で行なわれてた「梅津セッション」っていうイベントには一人でかなり通った。これぞ東京、と思った。
日本のロックからは一番遠ざかっていた時期かもしれない。
1992年
もうRCサクセッションは活動してなかったのかな。
あこがれの「Booker T & THE MG'S」とソロアルバムを作った清志郎は彼らを日本へ呼んでライブを行なう。
Booker T & THE MG'Sが大好きな会社の先輩ら数人で武道館ライブを見に行く。
久々の清志郎は遠くのステージで本当にうれしそうに歌ってた。
スタッフや友達もステージに上げたりしてほのぼのしたいいライブだった。
ちょうどその頃、梅津和時は「大仕事」というイベントをアケタで始めてた。確か初回は1991年。
ジャズ、ロック含め多方面につながりのある梅津が
毎日違うゲストを迎えて数日間連続で演奏するイベント。
さすがに毎日は行けなかったけどいくつか選んで行った。
この頃にはすでに解散していたD.U.Bもこの時だけは復活し演奏してた。
このイベントは好評で毎年続いた。
4年目となる1994年にはアケタの店20周年ということもあって「続々々々大仕事」と題し、20日間連続で行なわれる。
そのうち3日行ったはず。友部正人の日、吾妻光良の日、そしてD.U.Bの日。
1994年3月28日
「続々々々大仕事」D.U.Bの日。
アケタ入口の黒板にはスペシャルゲストあり、って書かれてる。誰だろ?と思いつつ中へ。
気合入れてチケット取ってたので整理番号3。最前列真ん中に座る。
アケタはとにかく狭いのでステージが近い。梅津片山から1メートルくらいか。
片山の酒(焼酎)くさい息もわかるくらい。
数曲演奏した後、ぎっしりの立ち見客をかき分けて後方からゲスト登場。清志郎。
この年、D.U.Bと清志郎が以前組んでやってたバンドDANGER(デインジャー)のアルバムがCD化発売されたばかりだった。
未チェックで知らなかったのでとにかくびっくり。
スタンドマイクが私の膝に触れるくらいのところに立てられ、そのマイクで歌う清志郎。
時おり唾がかかる。
久しぶりに見た清志郎は化粧しててもああ年とったな、と思わせる感じだった。
が、あの清志郎。一気にテンション最高で自分も周りも盛り上がる。
内容は舞い上がっててあまり記憶にない。
アンコールではスローバラード、雨上がりをあの狭い店で演奏。
異様な盛り上がりだったけど一番前で丸椅子に座ったまま状態で身動きもとれず。
真上を見上げる体勢で清志郎を見続けた。
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そのときのチケット
終了後、足元から拾ってきたセットリスト
清志郎の字かどうかわからないけど。
やはり拾ってきたメロディの歌詞カード
この頃から2000年前半の清志郎ソロ活動も実はきちんと聴いてない。
2・3'Sというバンドをやったり君が代を歌って問題になったりしてた頃、
音は知ってはいたけどアルバム買ったりライブ行ったりはしてなかった。
唯一行ったのがこれ。
2006年2月21日 日清パワーステーション
Little Screaming Revue時代。三宅伸治、藤井裕、富岡"GRICO"義広の3人とやってたころ。
妻(まだ結婚前)と「行こう」ってことになった。行くことになったきっかけはもう忘れてるけど。
B2立見席。早めに行って結構前の方に立つ。
バッグを足元に置いて「案外近くていいね」なんてのんびり始まるのを待ってた。
これが甘かった。
「キモチE」のイントロに乗って清志郎が登場したとたん、後方から突進してきた客らに突き飛ばされる。
瞬間的に足元のバッグをつかんだがあとはもみくちゃ。妻はバッグを見失い、必死に探して引き戻した。
2曲目の前には後方のゆるいところへ撤退。
この1曲目の印象が強すぎてあとはあまり覚えてない。
ソロになって「昼間のパパは~」なんて歌ってたので油断してた。
初めて見た1980年と変わってなかった。変わってなくてよかった、と思った。
この後は、このブログにも書き留めたようなライブで清志郎を体験することに。
2003年12月19日 忌野清志郎@調布グリーンホール
2004年2月17日 忌野清志郎 弾き語り@PARCO劇場
2005年12月4日 矢野顕子 さとがえる@NHKホール(アンコールゲスト)
2006年1月27日 Soul of どんと 2006 どんと紅白@NHKホール
2008年2月10日 忌野清志郎 完全復活祭@日本武道館
そして2009年5月2日を迎える。
こうして思い出してみると聴いてない時期も多いし、実はあんまりファンじゃなかったのかもしれない。
しかし、いい体験させてもらったし、高校1年でRCを生で見てなかったら今こんな風に生きてないかもしれないし。
同時代にリアルタイムで聴くことができてよかった。
ずっと現役ロッカーだった清志郎。
今一番好きな清志郎の曲は最後のアルバム「GOD」のラストに入ってるJUMP。
完全復活祭最初に演奏された曲。
そして今も時々、自分の頭の中に流れる曲。
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楽しく読ませて頂きました。
火の玉ボーイて漫画を久しぶりに読みたくなってます。
たにさん
こんなの読んでいただいてすみませんです。
火の玉ボーイ、実は未読なんです。
もんごメモさま
はじめまして。
私は都内でTV番組の制作をしております、
株式会社フリードの吉田と申します。
本日はもんごメモさまのサイトを拝見してメールをいたしました。
今回、私どもで制作をしております番組において、
忌野清志郎の特集を企画しております。
今年、忌野清志郎が4月2日に生誕60年を迎え、
さらには5月2日に三回忌を迎えます。
そこで、彼の生き様と歌の魅力を、熱きファン30人のトークで振り返るという内容です。
つきましては、もんごメモさまに番組のご協力をいただければと考えております。
もしご興味がございましたら、ぜひご一報をお願いします。
詳しいご説明をさせていただきます。
※放送局名、番組名を明記できない旨、ご了承ください。
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吉田まゆら