2006年11月アーカイブ

やまおくの できごとです。
あるはれたひの ことでした。
おひさまは、そらにうかんだ
ふわふわの くもの あいだで かくれんぼ。
あたりの くうきは、
ほんわかと あたたかでした。

「とっても うまいぞ
ーーいい こどもたちの にんぎょうは!」
「ああ どうしたら いいんだろう?」
ボボじいさんは いきつもどりつ 
もどりついきつ かんがえました。
ボボじいさんは、なんとか やんちゃな どうつぶに
にんぎょうを たべることを
わすれさせる ほうほうは
ないものかと かんがえました。

やっとこさ ボボじいさんは いいことを おもいつきました!
そこで ボボじいさん、
へんな どうつぶに むかって こういいました。
「あんたの しっぽは みごとだねえ!」
へんな どうつぶは、にっこり わらって、
うれしそうに しっぽを
にょろり にょろりと うごかしました。

「でもねえ いちばん すばらしいのは、
せなかに ならぶ あおい とげとげだねえ」
と、ボボじいさんは いいました。
へんな どうつぶは これをきくと、
どうしようもないほど うれしくなって、
まるで ばかみたいに じめんを ころげて、
にっこにこにわらいました。
(ワンダ・ガーグ 文・絵 
わたなべしげお 訳 
岩波の子どもの本「へんなどうつぶ」より引用)

つかの間でもよいので無心になりたかったんです。
わたなべしげおさんの文章が持つお力におすがりました。
この文章を読むと、私だけの印象なのかどうか、
朗読してもらっているような、まるでだれかの声が
聞こえてきそうな気がします。

短い時間でも読める。
文字が大きいので、目が悪くなっても読める。
わかりやすい。
別世界へ瞬時にして連れていってくれる。
入りやすく、奥行きが深い。
絵本が人に果たす役割は、
今後ますます大きくなっていくことでしょう。

28日は「古本・夜の学校 小さなトークライブ」
(石田千さん、荻原魚雷さん、畠中理恵子さん)に行くつもりだったのだが。
西秋さんにも南陀楼さんにも「行きます」と言い、
畠中さんに「行きますね」と言っておいたのに、なんということか。

体調不良(単なる飲みすぎです。ご心配なく)と
五反田展目録のゲラ戻しがあったため断念。
他店はどうなさっているのかわからないが、
目録は毎回、必ず初稿を見て校正させてもらっている。
「校正したいなら、きちんと自分で印刷所に頼みなさいよ」
とは、いつか九曜書房さんにいただいたお言葉。
目録、いつも字数を詰め込みすぎて印刷所に迷惑をかけていると思う。
本当は昨日中に戻すべきだった。
1日遅れてしまった。
せめて早く戻さねば、と気ばかりあせるが、
体調の悪さがジャマをする。なんということだ。

トークライブに行けなかったのは、まったくもって残念。
どんなふうに盛り上がったのだろう。
深夜、だれかトークライブの模様をブログに
アップしてくれないかとクリックし続ける。

今日は買取本が2箱届いた。
うーん、実店舗があったらすぐにでも並べたくなるラインナップだなあ。
ネット古書店だと入力しないことには皆様にご紹介できない。
いつになったら、目の前の箱の本すべて入力できるんだろうか。
1日じっくり入力したいと思いつつ、あれやこれやに追われている。
日記しか更新しない店になってはいけない
…よくわかっております。すみませんです。
だれにすみませんかというと、
たまにはなんか良いもの出るんじゃないのと
ホームページを見てくださるお客様にです。
いつも日記しか更新していないのでは、
あきれられてしまうと思う。
たいがいにせーよ、と、もうひとりの私がささやいている。

5日の市場は大量に本が出品されていて、本と人とでごったがえしていた。
古書会館でおこなわれる別の曜日の大市のため、
中央市会は先週と今週が休み。
そのため、5日に本と人が集中したらしい。
当店もずいぶん買い込んだ。車でとりにいかなければ。

途中、中抜けして彷書月刊の取材をお受けする。
南陀楼綾繁さんの取材はよけいな前振りなし。
無駄がない。質問しながら、
どんどん頭の中で構成が出来上がっていく様子が伝わってくる。
取材しながらの時点で、原稿の構成は
おおかたできているのではないだろうか。
さすがだ。
また、大変な博識でいらっしゃるので、
あれやこれや長々と説明をしなくてもよいので
本当にありがたい。
こちらの浅さがバレバレなので恥ずかしい気もしたが。

かなり念入りに確認されたのは、アマゾンマーケットプレイス、
イージーシーク(現・楽天フリマ)だけでなく
自店ホームページをつくった理由。
自店ホームページをつくってから変化があったかどうかといったこと。
ご指摘いただいたのは、
日記・ブログに市場のことが細かく書かれていて面白いけれど、
あれだけ書いてしまうと手の内を明かしすぎではないかと。
そうかもしれない。考えなければ。
それにしても、当方のブログを取材前にあれほどきちんと
読んできてくださるとは。
駄文を読んでいただき、すみませんと心の中でお詫びする。
「経営的には大丈夫なんですか」
と真顔でご心配いただき、
こちらの状況を読まれているなとも思った。

あれやこれや偉そうなことをしゃべってしまって、
あとから思ったのは新着本の更新ペースが落ちているのに、どうしようかと。
せっかくご紹介いただけるのであれば、
それに見合うだけの内容にしていかなければと決意も新たに。
いろいろご質問いただき、
客観的な視点をいただき、私としても店を見直すきっかけになったと思う。
南陀楼さん、どうもありがとうございました。

それにしても、自店HPをもっと充実せねばと思うものの、
すぐ実行できず。
夜、知り合いの書店の引越し手伝い。
その打ち上げで何軒もはしごする。

下は「立石書店オープニングイベント 古本市夜昼」チラシ
12月21日 19時~23時
22日 12時~17時

南陀楼さんの蔵書放出セールがあります。
参加店 海月書林 古書往来座 三楽書房
古書現世 にわとり文庫 ハルミン文庫センター
書肆アクセス 旅猫雑貨店 リコシェ

「海野弘 私の100冊の本
             の旅」展は
11月28日(火曜)~12月9日(土曜) ブックギャラリー ポポタム。
2007年1月16日(火曜)~2月28日(水曜)海文堂書店
(神戸市中央区元町通3丁目5番10号)。

関連イベントとして
12月8日(金曜)18時半~20時半、
海野弘×岡崎武志トークショー。ブックギャラリ ポポタム。
入場料 1000円(要予約。ポポタムまで)
2月10日(土曜)15時~17時、
海野弘×橋爪節也(大阪市立近代美術館建設準備室学芸員)
トークショー&サイン会。
進行・南陀楼綾繁。
入場料 1000円(要予約。海文堂書店まで)

最終日、駆け込みで茂田井武展(ちひろ美術館)へ。
茂田井武は幼年期の記憶にこだわり続けた。

画帖「幼年画集」(未完)を見ると、脳裏に焼き付けていた
絵柄をそのまま再現しているとしか思えない。
その場に居合わせたわけでもないのに、
見ている私まで茂田井の記憶の世界に引き戻されていくような。
絵を学ぶため児童画の模写をしていた作品も展示され、
目指してていたものがよく伝わってきた。

「見知らぬ世界は目かくしをしてゆくとあらわれる。
ここはもううちではない」(幼年画集1 1946年)、
「この絵は写生ではありません。
頭の中に思い出したものをいろいろに組み合わせて描いたものです。
いろいろなものを組み合わせて描くということは、とても楽しいものです。
それは、自分でつくりあげた景色(世界)になります」
(世界の絵本 花の画帖 1951年 原文はひらがな)
ーーこういった世界観が私はたまらなく好きだ。

戦後すぐ出版された絵本は現存数がたいへん少ない。
ガラスケースの中に鎮座していた。
古本屋としては、ああ、欲しいなあ、
しかし、市場にも出てこないのだろうなあと嘆息。
その脇に、絵本をカラーコピーで複写し、
綴じたものが置かれていて、閲覧できるようになっていた。

「くまの子」(コドモノマド社 文・佐藤義美)に漂う無常感といったら、
これが絵本だろうかと驚いてしまう。
仲良く暮らしていたくまの母子。
ところが、兄妹は気づいてみたら鉄の檻の中。
大好きな母さんと離れ離れになって
動物園に連れていかれてしまったのだ。
それでも、兄妹はけなげに夢を見る。
「かぁさん かぁさん おかぁさん
おめめがさめても またねましょ
ゆめで かあさん かえってきた」
不安を感じさせる線、くまの絵柄…
茂田井作品に漂う暗さーー
あの暗さと、暗さの中に漂う光・ぬくもりが
見る人の心をとらえるように思えてならない。

1942年、茂田井は老父から諭されて所帯を持った。
子どもが生まれ、子どもたちのために絵を描くようになる。
貧しくて絵の具が買えないときはソースや醤油を使ってでも
絵を描いていたのだという。
当時の油彩はひじょうに暗い。
暗いのだが、救いようのない暗さというのとは違う。

疎開先にいた幼い長女のために描いた「巴里の子供」(1946年)、
同年、絵本として出版された「パリーノコドモ」(まひる書房)。
同年、長女のために作られた2冊目の絵本「アサノドウブツエン」
…けっして技巧的でなく、うまいわけではない。
それなのに、不思議なぐらい心をとらえる絵。
体調がすぐれず、経済的にも苦しく、
飲んで荒れていた時期がウソのようだ。
当時の日記も展示されていたが、
体調が悪く、家にこもりがちだった茂田井は
子どもをよく見ている。
次々に習得する言葉を克明に記録されている。
茂田井は自身の子ども時代を追体験しながら
子どもたちに生かされたのかもしれない。

次第に、子らの成長とともに希望を持って
絵が描けるようになっていったのだろうか。
キンダーブック時代の絵柄には、
ともに生きよう子どもたち、とでも言わんばかりの力が
みなぎっているようだった。
「ねむいまち」(1954年・キンダーブック)など
ストーリーテラーとしても天才的だと思う。
(追記・訂正 「ねむいまち」は小川未明・作でした)

ちなみに「アサノドウブツエン」は
練馬の自宅から井の頭公園に通って
動物たちをスケッチしたとのこと。
キンダーブックに茂田井が描いた動物園のぞう舎の様子は、
私が子供のころ同じ公園に通って
脳裏に焼き付けていた絵柄そのものだった。

「茂田井さんの絵を見ていると、
人間のなつかしさみたいなものが感じられた」(国分一太郎)

哀しさと温かさ、はかなさとなつかしさ。
そういったものが自然と同居している感じが
妙に現実的な感じがする。
自分の心の奥底にある忘れかけていたものを
くっきりと呼び覚まされる。
茂田井武って本当に不思議だ。

そうそう、いわさきちひろさんの書斎(復元)の書棚には
世界出版社のABCブック、あいうえおブック、
講談社の少年少女世界文学全集など、なじみの本が。
そう、海ねこでおなじみの本たち。
ABCブックは背ヤケしていて、
海ねこに在庫があったものとひじょうに状態が似ていた。
ちひろさんの部屋は、日当たりがよくて
居心地のよい場所だったに違いない。
そして、ABCブックのオレンジ色は退色しやすいのだなあと
ひとり納得したのだった。

居心地のよいちひろ美術館をあとに、
石田書房さんへ。
引越し準備の手伝いにいったのか、
おしゃべりしにいったのだかわからないけれど。
月曜、雨、やむといいですね。
夜は、ブルーノート東京で矢野顕子ライブ。

海ねこHP、更新が遅れていて申し訳ないです。
やはりHPはこまめに魅力的な本を入れていかないとね。
お待ちくださいませ。

朝刊を見て2度、声をあげてしまう。
灰谷健次郎さんがお亡くなりになったこと。
そして、人物紹介欄に知人が掲載されていたこと。

驚きがさめやらぬまま、久々の市場へ。
最終台に並んでいたのは
朔太郎の「猫町」(昭和10年)と「猫町 Cat Town」(英語版 1948年)。
あー、欲しいー!
ちなみに、「最終台」とは、最後に開封される逸品ぞろいの台である。
本日は三島由紀夫の書いたハガキ、
寺山修司が朗読用としてザラ紙に書いた原稿なども並んでいた。
「猫町」にかなり頑張って入札したが、開封まで待てず。
あとでネットで調べてみたが、まったく届かなかったようだ。

銀座に足を伸ばして「大橋歩イラストレーション展」へ。
会場に入ってビックリ。
(この先は、本当に単なるミーハーですし、
自慢に聞こえたら申し訳ないです)
最終日の終盤とあって、会場になんとご本人がいらしたのだ。
会場で販売されていた代表作(といってよいと思う本)をとっさに購入。
ずうずうしくサインをお願いすると快く応じてくださった。

ああ、できれば自分用にもう1冊サインをいただきたいなあ。
2冊もサインしていただくなんてずうずうしいにもほどがある?
しばし躊躇したが思い切ってもう1冊購入。
サインをお願いした。
「この本は残り少ないので…」と大橋さん。
ああ、残り少ないものを2冊も買ってしまったのか。
そんな私はあまりにも浅ましすぎるのではないだろうか。
申し訳なくてお詫びした。
すると、穏やかな笑顔でこうおっしゃった。
「残り少ないので買っていただけて、うれしいんです」と。

偉い人は皆さん大変腰が低くていらっしゃる。
署名だけでなく丁寧にイラストを添えてくださる間、
すぐ近くにいられて幸福。
緊張して満足に口も聞けなかったが、
穏やかなお人柄が伝わってくるようだった。
ご自分の作品が集った大規模な展覧会の会場に
大勢が足を運び、大盛況であることを心からお喜びのご様子だった。

もうひとつの会場には、
初期のイラストに先生の手厳しい批評を書き込んだものが
そのまま展示されていた。
このようなものを展示する勇気、あっぱれだと思った。

資生堂で古いものから新しいものまで
さまざまな本を買いこんで、荷物がどっさり。
「歩のあゆみ」を読みながら東京横断。
いささかばててしまったため、
お待たせしている方すみません。
今夜は早めに店じまいします。
発送・受注・買取対応ほか、またご連絡いたします。

灰谷さん、大橋さん…
私たちは同じ時代に生きていると、しみじみ思う。

家庭文庫「このあの館」のブログを見て仰天!
うかつにも、まったく知らなかった。

以下、「このあの館」ナンダンナさん&ナンダさん夫妻の友人として、
まことに勝手ながら引用させていただく。

************

11月18日午前10時 児童文学者の渡辺茂男先生が亡くなった。
78歳だった。

渡辺茂男先生といえば、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』や
『もりのへなそうる』の作者であり、『エルマーのぼうけん』や
『どろんこハリー』の訳者でもある。
先生のことをとやかく言う人もいるが、誰もが認めざる得ない事実、
それは、先生の功績がなければ、日本の児童書界に発展はなかった
ということだ。
生涯先生が手がけた本は、本人も把握できない程で、
約600冊にものぼると言われている。

*************

続きは、このあの館ブログをご覧ください。
ナンダンナさん(編集者)の思いが伝わってくることと思う。
ナンダンナさんは編集者としてずいぶんご苦労もされたご様子だったが、
私から見ると、2冊、仕事をご一緒できたとは羨ましい限り。

絵本の表紙には、たいてい「わたなべしげお」とひらがなで刻まれている。
私の中では「渡辺茂男」というよりは「わたなべしげお」である。

私が「わたなべしげお」さんの訳文に魅せられたのは
なんといっても「へんなどうつぶ」。
読んでいる最中、文章のかもし出すリズムに取り込まれ、
行間に漂う空気に遊ばせていただいた。心地よかった。
わたなべしげおさんの訳文でなかったら、
同じように感じたかどうか、定かでない。

読みたい、今、読みたい。
読みたいのだけれど、手元にない。
お譲りくださる方がいらっしゃるのであれば、
どこでもすっとんで伺いたい気持ちです。

むしょうに読みたい。
こんな気持ちにさせる絵本を残してくださった
わたなべしげおさん、心に灯をともしてくださいました。
どうもありがとうございました。

ご興味がある方、
図書館でご覧になれるかもしれません。

お客様のもとに旅立っていく絵本たち。
「木いちごの王さま」(集英社 母と子の名作童話 昭和41年)には
トペリウスによる“北国でうまれた暖かい童話”が4本。
「木いちごの王さま」「おしのパーボ」
「そらのっぽとくもひげ」「なみのあしおと」
このころの活字がひじょうに美しく、
中谷千代子さんのイラストとともにページをめくる喜びを思い出させます。
「きいちごのおうさま」(偕成社 カスタム版どうわ絵本 昭和44年)は
中谷さんが初めてダイナベースの手法
(フィルムに4色別々に描き分ける手法)を使って美しく彩っています。

「わたしは、木いちごのくにの王さまなんです。
もう なん千ねんも、この木いちごのもりをおさめています。
しかし、このちきゅうと うみと 空の ぜんぶを おさめているかみさまは、
わたしが この くにの 王として、
けっして うぬぼれないようにのぞんでおられる。
だから、百ねんに一日だけ、
わたしを木いちごのむしにかえ、
その日のあさからばんまでは、
小さなあわれなむしとして いきるように めいれいしました」
(木いちごの王さまの言葉より)

この2冊が海ねこにやってきてくれたことに感謝。
お客様のお目にとめていただき、ありがたいです。
たっぷり楽しんでいただけますようにと願いながら
心をこめて梱包しましょう。

サカリ・トペリウス(1818年~98年)は
“フィンランドのアンデルセン”ともいわれている人。
フィンランド人とスウェーデン人を両親に持ち、
スウェーデン語でたくさんの詩や小説も書きましたが、
なんといっても子どもたちのための物語でよく知られています。

「トペリウスの童話がやさしく美しいばかりでなく、力づよいところがあるのは、
神や自然にささえられた詩人の心が、ゆたかであったためでしょう。
また、この風土を愛する気持と、そこに生まれ育った子供たちを愛する気持が
大きかったからだと思います」
「北国の夜はながく、雪と氷に閉ざされた冬をすごすフィンランドの人々は、
訪ずれてくる春とかがやく太陽の光を何よりも待ちこがれます。
美しい森と湖にかこまれた大自然の中で、
樹を愛し水を愛し、光にあこがれる国民性は、
トペリウスの童話の中で、いきいきと表現され、
まるでつめたい寒い国の太陽の暖かさのように鮮烈です」
(木いちごの王さま 岸田衿子 1961年10月)

おかげさまでたくさんご注文をいただき、発送待ちの本が待機中です。
どうもありがとうございます。
申し訳ございませんが、20日に急いで入金いただいても、
すぐ発送ができない可能性がございます。
入金確認から発送まで最大3日ほどお待ちいただくことがあります。
お許しください。

以前、目録に掲載したままで忘れかけていた本に
しばしばご注文をいただきます。
高いものから順に売れるーー
他店からそう聞いて、まさかと思っていたのですが、
あながち的外れでもないようです。
もちろん、高く値つけできない本を高くしても意味がないでしょう。
希少価値があり、高く値つけできるような本から順に売れていくということではないかと。
ネット古書店にご注文になる方は、
書名・著者名ほか検索でやってきてくださる場合も多く、
どこででも買える本など欲していないのだとお見受けします。
他店にない本を扱ってこそ、
お探しの方がやってきてくださるのだと痛感しつつあります。
欲しい方がたどりついてくださる本は再入荷が難しいことが多く、
売れてしまえばそれでおしまい。
欲しい方がたどりついてくださるような本を次々確保するため、
ますます心して仕入れに励まねばと思う今日このごろです。

当店の好みである傾向の本に関しては
当店でなければご用意できないものを
1冊でも多く集めたいです。
ご注文をいただくたび、
また、到着した本をお喜びいただく声をいただくたび、
発奮材料を1つ、また1つといただいております。

あまり張り切ると振り子が逆に大揺れして
逆方向に舞い戻りそうなので、張り切り過ぎないようにします。
頑張り過ぎないように頑張らないと。厄介な性格です。

それにしても、次回「五反田展」の目録はきびしそう。
何か売れるものを入れないとまずそう。
ああ、月曜火曜でもう締め切りです。
やはり準備期間がないときびしいなあ。
目録を公開してガッカリされることほど、さびしいことはないな。
さびしい思いをしてしまうのだろうか。うーむ、じたばた。
宝探しみたいな商売ですねえ。
どこにあるんでしょう、あの本は、と思うものが
いつも頭の中から離れません。
次から次へと、もっともっとすごいものに出会えそうで、
あてどのない旅を続けているようです。終わりのない旅。
どこまでいってもとめどない。
満足を得られることがないかわりに、
どこまでも追い求め続けていけるような。

「沢山の兵隊が戦いで、悪病の中で、
毎日のように死の世界に消えて行く中で、
私は芸術の力で生きて行くことが出来た。
そして激戦地に転々としている間、
いつもこのオルゴールは私のポケットの中で
私と生死を共にしていた」

「画家のおもちゃ箱」(猪熊弦一郎)より引用。
借りて読んだもので、
あいにく当店在庫ではないのですが。

「画家のおもちゃ箱」をお持ちの方、
精一杯、誠実買取させていただきます。
そのほかの本も含めまして、
ご処分を思い立ったときはぜひお声をおかけください。
都内近郊、出張買取いたします。

服飾関連の本を少しずつ集めている。
月曜に市場で昭和初期のものをはじめ、
本・雑誌の束を落札した。
いったん入札してから、札を改め、さらに高く入札し直した。
宅配で届いた本を確認してみると、
思っていた以上に貴重なものが多いことに気づく。
だれが集めたのか、どこかの店が集めたのか、よくこれほど集めたなあ。

すばらしいものが多いのでついさっさとご紹介したくなる。
が、ダメダメ、分散させる前にある程度、意味づけしながら記録しないと。
公表するのはまだまだ先。
いずれ編集して、ある程度まとまった形にしてから、と思う。
遠い将来かもしれないが、そういうことのできる店になっていきたいので
(志は高く。マクドナルドふうに言えば志0円、だし)。

資料を集めて、構成を考えて、形にしていく。
雑誌・単行本のライター・編集と同じ作業だなあ。
志は高く、云々と偉そうなことを書いたが、
単にこういう作業が好きなのだろうと思う。

五反田展の目録に掲載する本がまったく足りなさそうなので、
もったいぶらず、どんどん出してしまおうかと気持ちが揺らぐ。
今はダメと自分を戒めつつ、誘惑に負けないよう、こうして書いておく。
五反田展の目録、どうしよう。
写真を増やすか、解説文を増やすかで、どうにか埋めるしかない。
水曜までは目の前の仕事で目いっぱい。
木曜ごろからでないと目録にかかれそうにない。
たった5日間で本をかき集めて埋められるものかどうか。
いやいや、甘く見すぎだな。恥ずかしくないのか自分。
わずか5日で何ができるのか、実験的試みということで(バタン)。

お客様からエクセルに打ち込まれたクリスマス本リストを
メールしていただき、良い刺激をいただいた。
買取ですばらしい本をお譲りくださろうとしている方との
やりとりも進めさせていただいている。
まとまった形でのご注文をご希望なさり、
ご注文なさるに至った思いを
詩情豊かな長篇メールに書いてお送りくださった方がいる。
(もしこれをお読みでしたら、返信、少々お待ちください)
お客様に負けないよう、私ももうちっと
すばらしくならんといけないッスねえ。
腰さすって疲れた疲れたといっている場合じゃないや。
でも、今夜はもう眠い。バタンキュー。

そういえばヘンなコメントが寄せられていて、
見た人もいることでしょう。
これ以上続くようなら、コメント欄、はずします。
突然なくなっても驚かないでください。
あんまり疲れることが多くなるようなら、ブログ、
自分も辞めるしかないのだろうなあ。

日々、さまざまな人からメールをいただく。
性別や年齢に関係なく、人の品位というのは、
文章や語り口にあらわれるものだと思う。
目録に携帯番号を掲載したが、うかつに掲載するものではないと
思い知らされた出来事もあった。

文は人なり、とはよく言ったものだ。
お客様から日々さまざまなメールをいただくが、
昨日いただいたメールは何度も何度も読み返した。
甘えた、あるいは驕った言い方かもしれないが、
古書店を殺すも生かすも、お客様次第だと思う。

よいメールだったので、
すみません、まことに勝手ながら一部引用します。
個人を特定するようなことはないと思うので許されますかね。
「本日、注文していた本を受け取りました。
古い本なので、のことでしたが、
それはそれで、時代の流れを感じさせる
魅力があり、まったく気にしていません。
時間ができたら、自分で少し補修しようと思っています。
本は、どれもすばらしく、とてもうれしかったです」
とあり、本を見ていて、
10年ほど前にロシアに滞在したときの思い出が
よみがえったことを書いていただいた。

この方のもとに行くことができた古書は幸せだろう。
本に心があるとしたら本当によかったと感じていることだろう。

この方からご注文いただいた本のうちの1冊、
実は、ロシア文学研究にひじょうに貢献された
著名な方の旧蔵書だった。
日本語名をロシア語で書いてあったので、
ぱっと見たらわからなかったが、
ロシア語を少しかじっていた父親が音読みして教えてくれた。
ロシアが好きな人であればきっと知っている
雑誌の編集長だった人でもある。

古書の市場には、無名有名を問わず、
さまざまな方の旧蔵書が次々に出てくる。
蔵書印や記名でわかることもあるし、
ハガキ、領収書、ときには原稿がはさまっていることもある。

本が好きな人ならだれもが感じていることだろうが、
古書は単なる紙ではない。
古書の後ろには、ひじょうにさまざまなーー実にさまざまな人がいると思う。
本のつくり手たちがいる。
作家、画家、デザイナー、編集者、
印刷関係者、製本関係者、出版社の関係者、
それらの家族や友人・知人、共同体の人々…。
販売に関係する営業、卸、小売店…。
できあがった本をさまざまな経路を経て買い求めて、
大事に所蔵してきた愛書家がいる。
長年、書庫に入っていた本を再び市場に出すために
介在する古書店の人がいる。
再び、その本を売る役目となる古書店があって、
買い求めて所蔵する新たなお客様がいる。

本は紙であっても、単なる紙ではない。
さまざまな人の「思い」とでも呼びたいようなものだと思う。
思いの結晶とでもいうか。
そういえば、子どものころ、
学校図書館で仕事をしていた父親に
本をまたいではいけないと叱られたように思うが、
理由があったのだと何十年もたった今、気づく。

ただの紙ではないのだからこそ、
多少イタミがあっても、内容が良いと自分が感じたものは見捨てたくない。
良いと感じたものは入手して自分の店で扱いたい。
イタミがあるからと他店が敬遠するものでも、
自分が良いと思ったものであれば、
自分だけのものにしないで、お客様に紹介したくなる。

が、古書の修理の技術もないのに、
イタミが強い本を販売していいのかどうか、
ときに迷うことがある。
ホームページにどんなにイタミがあると説明していても
実際に手にとってガッカリされるのではないかと
しばしば気になってしまう。
あとでガッカリされるのは申し訳なくて、
受注メールに状態をできるだけ詳しく書いて伝えるようにしている。
発送するときは、できるだけ本をクリーニングして、
補修できるものは補修して送り出すが、
その補修がいつまでもつのかおぼつかない。

お客様がお世辞でなく喜んでくださったさまが
わかると、本当にありがたい気持ちになる。
どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
深々と頭を下げたいような気持ちになる。

片一方には、「思ったより状態がよかった」と喜んでもらえれば
やはりうれしい自分、
捨てていいのかなと思いつつも
本を処分せざるをえない自分もいるわけで。
まあ、一筋縄でいくことなど、そうたくさんないのだろう。

9日、買取にいったお宅は素敵でした。
引っ越して1か月ほどという新居は
天井が高く、好きなものだけ厳選して置きたいそう。
シンプルなお部屋に静かにたゆたう音楽。
居心地がよくて、くつろいでしまいました。
「どなたか必要な方がいらっしゃれば」と
温厚な語り口でお譲りいただきまして。
一部を含めまして、早速、新着本にアップいたしました。

そうそう、先日ブログに催事は控えようと書いたばかりなのに…。
前言撤回でしょうか。おいおい。
魅力的な催事へのお誘いをいただいてしまいました。
まだ返事をしていませんが、
やるのなら自店HPがおそろかにしないようにと肝に銘じます。

ただ、気負いすぎると逆効果になるので気楽に。
あらま、目録締め切りが22日ですって。
掲載できる本、あるのかな。目録も何度か重ねると
だいぶ手持ちカードが薄くなりますから。
目録、当分ないと思って、かなり出し尽くしてしまった感があります。
でも、まだありますよ、あれもこれも出してしまいましょうかね。
最低2ページですって。
買い入れ広告を入れるとしても70冊は用意しないと。
あらあら大変、まあ大変。
「コドモノクニ」、古い竹久夢二などお持ちの方、
精いっぱい誠実買取させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

休暇中、出先で立ち寄った古本屋については、
機会を改めて。
なかなか深いですね、那覇の古書店は。

休暇あけ、ようやく仕事を再開した。
先月、本の散歩展と倉庫の引越しに追われていたので、
ようやくネット展開に本腰を入れられると
自分でも楽しみにしていた。
お客さん、いい本がたくさんありますよ、
待っててくださいね、の心意気だった。
実際、これだけ市場に通ってますからね。
お金と労力を使って必死に買っているので、
ご紹介したい本がたまっている。
時間があるなら、一日中でも
天気のよい部屋で本を見ながら入力したいと思う。

ところが、現実としては、
ひとりでやっていると、いろいろやらないといけない。
入力にかかりきりになれないのである。
いつ更新されるのかとみにきてくださる方、
お気持ち大変うれしいです、そして、本当に申し訳ないです。

休業あけ、たまっていた発送やら受注対応やら、
問い合わせの対応だけで時間が尽きている。
いや、買取の対応まで、まだ手が回っていない。
お待たせしている方々、本当にすみません。
そこに加えて、市場に行ったり、買った本をとりにいったり、
いらない本を市場に出したりしているので、完全にタイムアウトである。
いのいちばんでやるべきは、
目録「月曜倶楽部」の画像72点分のアップだ。
ところが、昨日作業にかかろうとしたら、スキャナーのソフトが
うまく作動しなかった。
今これからコツコツとやっていかねばといったところ。

オンライン古書店の場合、
どんなにたくさん本を買っても、
良い本を確保しても、入力しない限り商品にならない。
実店舗だったら、本の状態を確認してさっとクリーニングして
値つけして棚に並べればいいのだろう。
実店舗の方から見るとオンライン古書店は
時間に自由があっていいなと思われるそうだが、
こちらから見ると、実店舗のほうがゆったりしているように思えてならない。
ネットで展開している限り、
入力しないと商品化できないのだから。
開店時間・閉店時間に縛られないかわりに、
自分の時間、家族との時間、睡眠時間を調整しながら
入力していくことになる。
飲みに行く時間ないですよ(行くけどね、たまには)。
当店の場合、丸々一日かけて
ようやく10冊ぐらいの入力が精一杯だろうか。
時間が欲しい。
時間がかかるので、ついつい明日あさってにまわしてしまうクセを
なんとかしないと。
時間がかかる、どうしようと思っているときに
買取のご依頼があればついつい飛んでいきたくなる。
市場に何か本が出ているかもしれないと思うと、
ついつい足を運びたくなる。
夏休みの宿題を明日やろう明日やろうと
思い続けている小学生のようだ。

時間がとれないのならば、何かを削らないといけない。
では、何を削ればいいのか。

受注・発送は第一優先。

市場を省くことは私には考えられない。
自分がまず欲しいもの、売りたいものを確保するためには、
市場に行かないと。否、行きたくてならないのである。
本との出会いが楽しくてならない。
日がわりで何が出てくるかわからないのである。
そんな中、さまざまなものを見ながら、
財布と相談して買うことができるのである。
資金にゆとりがあるなら、これほど楽しいことはない。
他店さんとお会いでき、お話できるのも心の支え。
ふだんひとりでやっている身には、とても励みになる。

ただし、何百冊も重ねてある大山に
自分の欲しい本が3-4冊あった場合、
欲しい本以外の不要本をどうするのか。よく考えないといけない。
自分が必要な本だけ抜いてあとは神保町のほかの曜日に出す?
そのためには、ある程度、売れる本を加えたり、
出品のために本の種類を編集し直したりと
手間や作業が必要だろう。
そうなるといったん自宅か倉庫(店舗があれば店舗)に
持ち帰る必要があるだろう。
そんなことをやっている余裕がないなら、
不要本は思い切って処分するしかないのだろうか。
神保町の古書会館の場合、本を廃棄するためには
廃棄チケットを買って貼り付ける制度。つまり処分は有料である。
セコい私としては、ほかの市場に持っていけば
いくらかで売れることを知っているので、
小さい車を操ってセコセコ運ぶのである。
びゅんびゅん飛ばす大型車に混じって
夜の首都高速、環七、環八…。
いつか事故で死ぬのではないか、
後ろに積んだ本の山が崩れて事故を起こすのないかと怯えながら
運転するのである。

これ以上、当店が増やさないようにしないとと思うのは催事かな。
催事は楽しい。
催事は大変だが、ある程度の売り上げにはつながりやすい。
仕入れ・買取のための資金が欲しいので、
本当はもっとやりたいぐらい。
しかし、やってみると重労働だなあ。
思ったより準備に時間がかかる。
思ったより腰にくるなあ。
思ったより本が傷むしなあ。
確実に回転しやすい本しか出しにくいなあ。
ネットだけでやっていると、
お客様に直接お目にかかれる催事は楽しいなあ。
でも、増やしたらいよいよやっていけないだろうなあ。

店舗が欲しいなあ。
週2-3度ぐらいのペースでお客さんと
直接やりとりができる店が欲しい。
入力なしに、本を並べられる場所が欲しい。
お客さんに直接、本を手をとっていただき、ご覧いただける場所が欲しい。
お客さんとお話したいし、情報交換させていただきたいなあ。
しかし、店舗は店舗で維持していくためには、
お金も時間も労力も必要だなあ。
実は最近、店舗をやることになりかかったのだが、
残念ながら計画頓挫した。無念である。
今はまだ時期ではないということなのだろうと思った。
立地・面積・内装など条件がよくなればなるほどお金がかかるし、
売り上げを伸ばすためにはどうしたらいいのか、
今よりもっともっと悩まないといけないのだろう。
ひとりでできることって、限界があると思う。
では、何をとって、何を削るか。

日々、取捨選択の連続で人は生きている。

こんなふうに書いている間に入力せよ、
画像を取り込め、と天の声が聞こえてきたよ。さいなら。

追記 こう書いていてふっとメールを受信してみると、
急ぎの問い合わせが入っていた。
映画の撮影で必要だそうである。
他店にも同じメールが届いたのだろうなあ。
昭和21年の出版社限定、絵本。
ええええ、ご用意できますよ(ひそかに胸を張る)。
さまざまなニーズにおこたえするためにも、
何をおいてでも本は用意し続けなければいけない。
好きな本を扱っていないと、きついだろうなあ。

そうこうしているうちに、
お近くの方から買取のご依頼をいただいた。
明日行くお約束をした。
金沢の方からもご依頼をいただいていて、
できれば飛んでいきたいのだが、
もうちょっと近ければね…。

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