殺すも生かすも…

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日々、さまざまな人からメールをいただく。
性別や年齢に関係なく、人の品位というのは、
文章や語り口にあらわれるものだと思う。
目録に携帯番号を掲載したが、うかつに掲載するものではないと
思い知らされた出来事もあった。

文は人なり、とはよく言ったものだ。
お客様から日々さまざまなメールをいただくが、
昨日いただいたメールは何度も何度も読み返した。
甘えた、あるいは驕った言い方かもしれないが、
古書店を殺すも生かすも、お客様次第だと思う。

よいメールだったので、
すみません、まことに勝手ながら一部引用します。
個人を特定するようなことはないと思うので許されますかね。
「本日、注文していた本を受け取りました。
古い本なので、のことでしたが、
それはそれで、時代の流れを感じさせる
魅力があり、まったく気にしていません。
時間ができたら、自分で少し補修しようと思っています。
本は、どれもすばらしく、とてもうれしかったです」
とあり、本を見ていて、
10年ほど前にロシアに滞在したときの思い出が
よみがえったことを書いていただいた。

この方のもとに行くことができた古書は幸せだろう。
本に心があるとしたら本当によかったと感じていることだろう。

この方からご注文いただいた本のうちの1冊、
実は、ロシア文学研究にひじょうに貢献された
著名な方の旧蔵書だった。
日本語名をロシア語で書いてあったので、
ぱっと見たらわからなかったが、
ロシア語を少しかじっていた父親が音読みして教えてくれた。
ロシアが好きな人であればきっと知っている
雑誌の編集長だった人でもある。

古書の市場には、無名有名を問わず、
さまざまな方の旧蔵書が次々に出てくる。
蔵書印や記名でわかることもあるし、
ハガキ、領収書、ときには原稿がはさまっていることもある。

本が好きな人ならだれもが感じていることだろうが、
古書は単なる紙ではない。
古書の後ろには、ひじょうにさまざまなーー実にさまざまな人がいると思う。
本のつくり手たちがいる。
作家、画家、デザイナー、編集者、
印刷関係者、製本関係者、出版社の関係者、
それらの家族や友人・知人、共同体の人々…。
販売に関係する営業、卸、小売店…。
できあがった本をさまざまな経路を経て買い求めて、
大事に所蔵してきた愛書家がいる。
長年、書庫に入っていた本を再び市場に出すために
介在する古書店の人がいる。
再び、その本を売る役目となる古書店があって、
買い求めて所蔵する新たなお客様がいる。

本は紙であっても、単なる紙ではない。
さまざまな人の「思い」とでも呼びたいようなものだと思う。
思いの結晶とでもいうか。
そういえば、子どものころ、
学校図書館で仕事をしていた父親に
本をまたいではいけないと叱られたように思うが、
理由があったのだと何十年もたった今、気づく。

ただの紙ではないのだからこそ、
多少イタミがあっても、内容が良いと自分が感じたものは見捨てたくない。
良いと感じたものは入手して自分の店で扱いたい。
イタミがあるからと他店が敬遠するものでも、
自分が良いと思ったものであれば、
自分だけのものにしないで、お客様に紹介したくなる。

が、古書の修理の技術もないのに、
イタミが強い本を販売していいのかどうか、
ときに迷うことがある。
ホームページにどんなにイタミがあると説明していても
実際に手にとってガッカリされるのではないかと
しばしば気になってしまう。
あとでガッカリされるのは申し訳なくて、
受注メールに状態をできるだけ詳しく書いて伝えるようにしている。
発送するときは、できるだけ本をクリーニングして、
補修できるものは補修して送り出すが、
その補修がいつまでもつのかおぼつかない。

お客様がお世辞でなく喜んでくださったさまが
わかると、本当にありがたい気持ちになる。
どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
深々と頭を下げたいような気持ちになる。

片一方には、「思ったより状態がよかった」と喜んでもらえれば
やはりうれしい自分、
捨てていいのかなと思いつつも
本を処分せざるをえない自分もいるわけで。
まあ、一筋縄でいくことなど、そうたくさんないのだろう。

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