2009年3月アーカイブ

今日もまた。
市場で買えたものもあるが、買えなかったものもある。
帰宅して、目にした本について調べる。
買えなかった本を、未練がましく? 念入りに調べてしまう。
むーーー、やはり珍しいものだったのかと分かる。
むわあああ、買えなかったのがもどかしい。
無理してでも買うんだった、と悔やむ。
めったに見ない本なら、なおさらのこと。
手に入れにくい本であればあるほど、執着してしまう。入手するために、何がなんでもと思ってしまう自分。病的なのか、おかしいのだろうか。

せめて、その本のことをきちんと覚えておこうと心に決める。
無念な思いが授業料。

買えた本については、あとから、もしや買わなくてもよかったか、
支払いばかりがかさむだけだったかな、と、しばしば悔やむときも・・・。
これまた授業料。授業料ばかりです。

今日の市場では、追分コロニー奥様との雑談が楽しくて、笑い転げておりましたが、
「は、5時までに発送しなければ」と、
急いで市場から帰宅。梱包・発送に勤しんだのですが、
申し訳ありません、1件、明日になってしまいました。

さて、ぼちぼち「月曜倶楽部」の発送をしなければ。

欲しかった本、目録に応募してハズレになってしまう無念さは
皆さん、体験があると思います。私もしばしばあります。
実を言うと、抽選する側も、かなり気が重たいです。

それぞれのご事情、どうしても必要としていらっしゃるお気持ちなど、ハガキ・FAX・メールなどに書いてあると、なおさらのこと。

出来るだけ滅多にないものを扱っていこうとする以上、
ずーっとこの思いはやまないのかと思う。

いっそ先着順にしようかと悩むが、
そうしたら公平になるのかどうか、よく分からない。難しい。

「月曜倶楽部」の抽選・梱包にかかる前に、
ずーっとお待ちいただいている査定のご連絡をしなければ。
眠くてだるい春の夜。さて、もう一頑張り。

は、今日落札できた本を引き取りに市場に行かなければならないのか。自家目録の作業になかなかかかれませんー。自分があと10人欲しいです。出来ればもうちょっと有能な自分を希望。

追伸 「鳩よ!」をお届けしたお客様からお礼のメールをいただきました。
4半世紀前の自作の詩を岡崎武志さんに紹介していただいたことをきっかけに、
自作を集め始めたそうです。
名前をホームページに載せて下さったおかげで探し当てられました、とお喜びいただきましたが、
こつこつ入力してくれたT嬢の努力の賜です。
沼辺信一さんに以前ご指摘いただきましたが、
自分は、まったくもって周囲の人に恵まれています。

長いこと書棚に埋もれていた本。

突然、お客様からご注文いただく。

中ページを確認がてら、ぱらぱらめくっていて、はたと気づく。
おや、これは相当に良い本じゃないか。

梱包の際、さらに良く見たら、
むう、なんと美しい活字。手触りのよい紙。
うう、ねこの絵がなんて良いのだ。
詩というか随想というのか、なんと、描写が素晴らしいじゃないか。

はっとして、
しまった、安く値つけしすぎた、と気づく。
お送りしますとお知らせしてあるので、
とにかく梱包して発送する。むうう。

大急ぎ、他店から自分の蔵書用に1冊、買い戻そう。
日本の古本屋で検索。
こうして、お客様に600円でお売りした本を、
新たに他店から3-4倍の値段+送料で買おうとしている私。

頭もうろうとして本を整理できないのも、
物事の手順を考えられないのも、
すべては花粉症、のせいにしておこう。

ええ、商売とは呼べませんね。うがー。
ああ、今日もまた。

それにしても、お客様から教えていただくことは多いです。
良い本ですよね。気づかせていただきました。
お買い上げ、ありがとうございました。

ちなみに、昭和初期の本です。
文庫でも買えるようですが、初版に近い単行本が良いようです。
なんの本かは、秘密にしておきます。

共同目録「月曜倶楽部」「五反田アートブックバザール」が完成。
自店分の書影は、早速、海ねこHPに掲載しました。
そして、「本の散歩展」の目録締切が昨日でした。
しばらく締切締切で、はあ、終わったと思っていたら、急ぎで取りかかるべきが、もうひとつあったんでした。

自家目録、いよいよ自分にプレッシャーをかけるべく
放り出さないよう「月曜倶楽部」の文末に内容告知を掲載しました
(海ねこHP、月曜倶楽部掲載品ページ上でも)。
それにしても、絵本・児童書など、滅多にないものは古書市場に出てきても
値段が高いばかりで、どうにも蒐集しにくい現状があります。
いやもう集めたものだけで何とか作るつもりではありますが、
もうちょっと何かないかしら、と執着がないはずがなく。
花粉舞う空に手をあげて、霞を探ってつかむかのようですが。うむむ。

追記 で、昨日に続き、またしても古書市場へ。洋書会でまで買うとは。昨日段ボール箱1つ分、本日段ボール箱2つ分、未整理分が何箱あるのか一体・・・。整理すべき本がどんどん山積しつつあります。整理が追いつかなーい。未整理のまま、いまだ商品化されない本たちよ(涙)。整理好きな性格に生まれ変わりたい。目録をさーっと作れる人になりたい。

閑話休題。

やりますよ、「だいこんの会」。
幹事引き継ぎという名のもとに、ぐーるどさんちで宴会してきました。
素敵なインテリア、美味なる料理、元気なねこ、
宮脇さんセレクトによる白ワインと京漬け物・・・
夢のように楽しい時間でした。

だいこんの会のおかげで、いろいろな人と知り合えて嬉しいッス。
さあ、あなたも!(って、どこかの通販番組みたいか)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2009年春のだいこんの会
【日時】 4月3日(金) 19時~21時半
【場所】 西荻窪の居酒屋「三喜」の2階
     ※もう場所の説明はいいですね? 
   はじめての方には教えてあげてください。
【会費】 4,000円
(お料理についてはおばちゃんに相談中です。前回ちょっと軽かったかな?
飲み物の量によっては、プラス500円くらい徴収するかも。
会費は最初にいただきます)
【お願い】プレゼント交換がありますので、何か持ってきてください。
高価なものは必要ないです。500円程度のものでじゅうぶんです。
★2次会はいつもの「坐 WATAMI」の予定です。

参加人数を把握する必要がありますので、連絡しなくても大丈夫かな、と勘違いなさりませんように。参加希望の方、そして、あいにく今回不参加の方、必ず!必ず! 「3月31日(火)午後5時まで」に出欠のご連絡をくださいませ。

前回の反省もふまえて、
1次会だけ参加したい or 2次会だけ or 両方参加予定、も
お知らせいただけると助かります。
出席・欠席のご連絡は、このまま、こちらにコメントをいただくか
ぐーるどさんあてmixiメッセージをいただいても結構です。

または、こちらへ↓メールを下さいませ。
daikonkai@gmail.com(イシハラさん)

岡崎武志さんのメアドはじめ、「だいこんの会」常連への連絡でも結構です。

ご質問、ご要望などございましたら、
幹事(宮脇 shinko-m★yg8.so-net.ne.jp(※★をアットマーク
に変える)
もしくはぐーるどにmixiメッセージで)まで、どうぞ。勿論、「だいこんの会」常連にでも結構です。

しっかし、mixiで久々みみかきのブログを読んだけど、

相変わらず面白いねえ。凄いなあ。本人は言われたかないだろうけど、元気もらう。

番狂せ http://www.bankuruwase.com/

番狂せHPのブログでも、みみかきの文章が読める(ちょっぴりよそゆき)。

私も、吉祥寺「めんだ」に行きたいです。立ち飲み風太くんの社長がついに始めたラーメン店? 実家の近くだ、ひょわー。

週末、お時間があれば、3つ前の記事で紹介した「ファビュラス! バンガードールズ」展http://www.fbd2009.com/ →番狂せコースがお勧め。私も行きたい。

と書いて、ようやく気づく。「番狂せ」土日定休でした。休むときはしっかり休まないとね。

月~木16時~0時(LO23時半)
金曜 18時~2時(LO1時半)
土日曜定休

書いては継ぎ足し文章で、流れめちゃくちゃですが、にわとり文庫 古書目録6号、受け取りましたー。おお、売れそう~。欲しいものあり、ぜひぜひ申し込みたし。

ぱらぱらーっと見ての実感。ご託並べるより、本の顔(書影)で勝負。正解、かもしれない・・・!と。正直あっぱれです。老眼にも優しいというのか、書影ばかりだと見やすくて、イメージつかみやすいです。本の傷み具合も分かりやすいし、ごたごた説明書くよりいいのかも。しかも見せ方が綺麗。

注文の締切3月30日とのこと。ご希望の方、早めに目録ゲット&ご注文を。

しかし、1か月で作れて、しかも売れるなんて羨ましすぎ。うちは無駄な労ばかり多くて、しかも売れず、な目録になりそう。ドライアイ辛いし、にわとりさんに全部おまかせ(笑)、って言いたくなります。

花も咲き始めますよ。

先日、無事、誕生日を迎えて、また年を重ねました。

この世に生を受け、いまだ大病したり事故にあうこともなく、生きている。偶然・奇跡というしかありません。

祝いという名のもとに外食しにいったら、カエルが3匹、道ばたをのそのそ這っていました。あまりの暖かさに冬眠から醒めたようです。車にひかれるなよーと祈るばかりでした。

さて。昨晩のこと。

久々、えびな書店さんの80年代の古書目録を
引っ張り出して見てみた。
改めて、圧倒された。
あのT書林さんが憧れたという号など、まさに「読ませる」目録だ。

そんな凄いもの作れるはずがないし、
かといって、若き情熱の獅子ら(徳尾さん、にわとりさんたち)のように
「え、こんな商品、どこでどうやって探してきたの?」と
驚かせるような豪華なものだらけ、次々に見せられる訳でもない。

だったら何のために作ろうとしているのかなあ、
作ってもなんの反応もいただけず、ただ、
「どうしてこんなの作ったんだろう」と首かしげられたらどうしよう。

先人の遺していった足跡を紹介するのに、
こんな安直でいいのかなあ。
倉本聰さんがいう「地球は子孫からの借り物」ならば、
古書って子孫からの借り物、かなあ。

私が作っているのは、なんだろう。もしや、
単に、未整理の在庫品の寄せ集めなんじゃないか。
いいのか、これで。
でも、やるべき方向にすでに進んできている以上、
何かしら、やるべき必要性があるんだろうか。

もやもや、もやもや。

これ以上、古書を集めようとしたら、
またしても目録の完成が先延ばしになり、
HPに手がつかなくなり、
貯金残高との競争になってしまう。
拙くてもなんでも、割り切って、今できる範囲で作って出すしかない。

完成したとき、挨拶文になんと書こうか、
と、その瞬間ばかりが楽しみだ。

Nさんは「紙目録つくるって楽しいよ-」と言っていたけれど、
楽しいかな・・・。楽しいけれど、苦しいなあ。
第一号を出さないことには、その次を作れないから、
なんとか進んでいくしかないんだなあ。次回からは、古書市場通いと併行して、蒐集しながらどんどん入力していくことにしよう。そうするべきと、体験的につかめただけでもよしとしないと。

山登りのように、疲れたとき、休憩地点で
汗を拭き、薫風を感じて、仲間と話したくなる。

誰かと話したくてならない。
でも、いまはダメ。外に行って花粉を浴びてごらんなさい。
これ以上、紙目録に影響が出るとまずいので、どこにも行けない。
第一号を作り終えたら、イベントに参加したり、
これまでまだやっていないことに挑んだり、
今度こそ、いろいろしたいんだ。

ということで、相変わらずコモっております。
山登りでいえば、ようやく三合目から四合目というぐらいのところでしょうか。
お客様から、そして、世間の皆様から
忘れられてしまわないうちに、なんとかしないとです。
投げ出したくなる前にこしらえてしまわないと。

マラソンと一緒だ。
あともうちょっとだけ頑張ろう、もうちょっとだけ頑張ろうと思う。
走るのは自分しかいない、誰もかわりに走ってくれない。進んでいくしかない。
苦しかったからこそ、マラソンのあとの豚汁と生ビールが最高なんだ。
今日一日、頑張ったらワインを飲もうかな、甘いかな、と迷いつつ。
キリっと辛口の白ワインが飲みたいけれども、数日、自分を律しております。
その1杯のために頑張ろうと、オヤジ然とした私。

は、「本の散歩展」目録締切間近だ、「月曜倶楽部」公開前のHP作業もせんとな。やるべきこと、ほかにもいろいろ。いろいろお待ちいただいている方、すみませんです。

せっかくお誘いをいただいても、お断りしてごめんなさい。
イベント、催事・・・しばらくは参加できそうにありません。

ご連絡をいただくたび、買取も大部分、お断りしてごめんなさい。
申し訳なくて自分がイヤになってしまいます。

自家目録の第一号をなんとか出せたら、
イベントにも参加したいです。本の買い取りも積極的に行けるようになりたい。
会いたいです。ぜひぜひ皆様にお会いしたいです。

当面は無理です。
本当に要領が悪くてイヤになります。
ぱぱっと次々にこなせません。
あれこれ、出来ないのです。飲み過ぎて脳細胞が痛んでいるのかと思うほど。本当にそうかも。
お誘いいただいたら
ぱきぱき対応でき、どんどんお力になれる人間に生まれたかった。
無能なヤツだと笑ってください。

子供のころから断るのが苦手で、
あちらの人ともこちらの人ともなんとかやっていこうとして
八方美人だと言われました。
頑張りすぎて疲れてしまうタイプでした。
情緒不安定だと言われたことがありました。
今でも、頼まれたら出来るだけこたえたい。
嫌われたくない。出来ることなら、お役に立ちたいという気持ちはあります。

でも、持ち時間が無限にあるならともかく、違うので。
不器用すぎる自分はあれこれ出来ないのです。だけど、いつから自分はこんなヤなやつになったんだ、もう誰も誘ってくれなくなるよと、ふさぎこむ。

いま、星野道夫を読み返したい。

「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 星野道夫 生命(いのち)へのまなざし」の
四夜連続のうち、録画してあった3回まで一気に観ました。

96年に亡くなった写真家・星野道夫さんの功績と魅力を、ゆかりの人々が語るシリーズ。

編集者として長年、星野さんの著作にかかわった湯川豊さん、良かった。
奥様の星野直子さんも良かった。ムースの群れがすぐ脇を通り抜けていく話。
アラスカの家のベランダで、飛んでいく鳥を見る子どもの視線を
追いながら、自分も鳥を見ていた星野さん。それを見ていた直子さん。

私は生前の星野さんとごくごく一瞬、会話したことがある。
94年、横浜で開催された「イルカ・クジラ国際会議」の会場を途中退席した。
最寄り駅へと歩こうとしたら、すぐ目の前をひとり歩いていたのが星野さんだった。
つい先ほどパネラーとして話されていた星野さんに、勇気を出して声をかけた。
自分が何者か説明して、ぽつりぽつりと言葉を交わさせていただいた。
自分は日本には住みにくい、アラスカのほうが自分は生きやすいんです、と
きっぱり話していた。
呼吸しやすい居場所を探して、探して、ようやく探し当てたのだろうなと感じさせた。
初対面の女性である私と二人きり、道を歩きながら雄弁に話すような人ではない。ましてや、相手は、親しくなって単行本の仕事にお力になっていただけないかと下心みえみえのライターだ。
駅までまだ距離があった。星野さん、私との会話が楽しそうには見えなかった。
さらにずっと一緒だともっと辛いかも、疲れるかもしれないと、
途中で「じゃあ、私はこちらへ行きます」といって別の道へ進んだ(ライターとしては失格、か)。
ほんのちょっとの時間だったのにも関わらず、
星野さん、独特の人だった。強い印象を私の中に残していった。

星野さんはクマになり、クマは星野さんになったのだなあ。

そういえば、と、イルカ・クジラ国際会議で写真が使われていたカメラマン・Uさんのことを思い出す。日焼けした肌に、目尻のシワが優しい人だった。星野さんと同じようにUさんも妻と子、そして、何冊かの写真集を遺した。写真集の新作を出してくれる出版社を探せずにいると苦しそうだった。そうして、自給自足の田舎暮らしを選んだのち、自分から自然にかえる道を選んだ。

猪熊弦一郎さんのイラスト入り封書が届きました-。
封をあけたら「ファビュラス! バーカードールズ2009」展の案内状が。
うわー・・・。

doll.jpg

dollhagaki.jpghttp://www.fbd2009.com/


四谷の廃校地下に出来たギャラリーに
13人の作家から生まれた 数百のにぎやかな人形たちが集合!
 
日本各地から13名の作家が集まった、お祭りのような人形展です。

海ねこHPのショップロゴ、しおりなどでお世話になっている
poppetさんも参加しています。http://polare.exblog.jp/
人形の写真、ご覧になれます。うう、絵本のなかから飛び出したかのような少年や動物たち。ねこ・・・、可愛らしすぎ。

ブログを見ると、バッチ、バナーなど、いずれも参加作家さんたちの手作りの様子。
期間中、美味しいコーヒー、ピザ、フィンランドのお菓子なども味わえる様子。
いいなあ、素敵なひとときが過ごせそうです。

□ 期間:2009年3月20日(金・祝)→29日(日)
    [期間中26日(木)は定休日]
□ 時間:12:00〜19:00(最終日は17:00まで)
□ 場所:CCAAランプ坂ギャラリー1・3

     〒160-0004 東京都新宿区四谷4-20  
     TEL   03-3359-3413 
     FAX  03-3354-2708
     MAIL  ccaa420@attglobal.net

お客様からいただいたカード。
携帯ストラップ(モバイルクリーナー兼)つきです。うれしい・・・。
happy.jpg

うううー、ヤラれたーー。
(なんのことかというと、にわとり文庫ブログ参照のこと)

http://niwatorib.exblog.jp/

自家目録をつくりつつ、イベントやら古書展やらにしっかり参加して、ばんばん売って、
どれほど働き者なのか、さすが「にわとり」だなあ。

ウミネコはぼーっと、春霞の空を舞います。

ウソです。

今日は、いよいよ確定申告をやらねばと思っていたら、
「逃避」ってやつでしょうか。
ついつい違うことをしたくなって、自店HP更新。
3月10日、生誕記念日の石井桃子さん関連。
石井さん関連といえば、岩波少年文庫の更新が滞ったままです。むう。

本の散歩展、田村さん応援エールも兼ねて目録1ページだけ参加します。
当日の場はなし、だなんて偉そうですみませんです。
でも、自家目録をなんとかしたいので許してください。

月曜、ようやく「月曜倶楽部」の入稿を終えたと思ったら、
もう23日が「本の散歩展」目録の締切なんだそうで。
今日はもう、しばらく放置したままだった棚から本を運んできて、
自家目録用、本の散歩展用、日本の古本屋用と分けながら入力。

ということで、梱包・発送以外の時間は、ずーっとPC叩きっぱなしです。
紙か何かで切れた右手の親指腹が痛い。
♪あなたが噛んだ小指がー、じゃなくて残念(って、ネタが古い)。

明日こそ絶対、確定申告。木曜は原稿。金曜は古書市場。日曜は買取(買取、しばらくお断りすることが多いのですが、一年前からお約束していた方なので特別)。

にわとりさんまでいかずとも、まあ、そこそこ働いているつもりだけれど、
自家目録でまーったくかなわないのは、なんでなんだか。

時間・空間をなんとか効率よく使えるようになりたい。参考にと
「クロワッサン 片付け嫌いを直す方法」(3月10日号。増刷というのが凄い)
を購入してオチャラケてるのがいけないのか。
雑誌を買って、ますます本の山が高くなるだけじゃないですか。

ヘックション!
花粉で目かゆいし、ティッシュが離せないし、頭がぼーっとしてます。
明日もこもります。明後日もこもります。
自家目録の完成は未定。なんとか出せたら、その暁には、
ばーんと何かやりたいです。何にしようかな。
その前に入力だ、まずは確定申告だ。

PCを開いたら、古書月報のために依頼していた原稿が届いていた。

古楽房・薄田くんから、だ。

私は中央線支部の機関誌担当なので、
組合員・関係者に書いていただくようお願いするのが仕事なのである。
断られることも結構ある。
これまで執筆を引き受けてくれた
徳尾書店、百年さん、本当にありがとうございました。

薄田くんはちょっと考えさせてくださいとの返事のあと、こちらが望んでいるとおりボスと相談し、
ご自身も考えたうえ、執筆を快く引き受けてくれた。
しかも、仕上がりの原稿を見て、驚かされた。
私が依頼した内容を踏まえたうえで、
きちんと自分らしい色が出ているのだ。
依頼内容をあれこれ書いたがため、むしろ逆効果となって失敗したーと悔やむことがあるが、
この人は違った。
与えられたものを受容しながら、しなやかにフィットしていこうとする力、というか、
自分の中における強烈な個性と柔軟性のせめぎ合い、というか、
バランスが圧倒的に素敵だ。とてもマネできない。
大げさにいえば、未来への希望を持った。

古書月報の原稿、今回は自分も書くよう依頼が来ているのだった。
薄田くんにかなうはずもないが、ちょっとは恥ずかしくないものにしよう。
ウソ。考えすぎるとかえって堅くなってつまらないものになりそうなので、
まあ、いいや。流れで。
そもそも、確定申告もまだですよ、というか、
共同目録(月曜倶楽部、アートブックバザール)、明日締切なのに、まだまだなのです。
と言いつつ、さらに書くのだが。

昨夜読破した「幼ものがたり」よかった。
石井桃子さんが70歳を前に、幼児のころの体験を回想した自伝。

幼いころの体験を鮮明に記憶しており、
臨場感を伴って見事に再現できる石井さん。
自身の幼児体験は、石井さんを生涯、支えていただろうし、
ずっと児童文学に携わってきたこととも大いに関係しているだろう。

歌で覚えていて、そこから芋づる式に思い出したり、
記憶をどんどんさかのぼっていくさまが面白い。
あれほど印象に残っている人なのに、どうしても名前を思い出せず、
悔しい、と地団駄踏むさまも面白いし、
もっともはっとさせられたのは次のような部分。

「幼い私を、その池へ誘ったのは、何だったのか。
とにかく、ある日、私はひとりでそこへゆく。
(そこは、家じゅうでも、人気のないところだから、
ふだんは、わざわざひとりではいかないのである。)
すると、そこに見つかるのではあるまいか、と
何となく期待していたものがちゃんとあって、
私はうれしくなって、ぞっとする。
うす白い茎が、濃緑の葉のあいだから、つんつん突きでているのである。
その茎はとても固かった。しなしな、しなうのをつみとって、
穂もちょんぎると、扁平の棒になった。
両はしを上まぶたのすぐ上と、下まぶたの下にあてがうと、
目があいたっきりになってしまう。
私は、近所の友だちをよんできて、その茎をつみ、
みんなで「目っぱじき」で両目を見ひらいて、ぞろぞろ、庭を練り歩く。
おとなたちは、私たちを見て大笑いし、
私たちも、自分たちが、さぞ異様なようすをしているだろうと
想像して、大はしゃぎするのであった」(「目っぱじき」より)

「何となく期待していたものがちゃんとあって、私はうれしくなって、ぞっとする」
「私たちも、自分たちが、さぞ異様なようすをしているだろうと想像して・・・」という部分、
好きだった、ぞっとするほど好き。

「桐の花」は3ページほどの掌編だが、甘い香り、
手にくっつく感触、花を過ぎてから枯れた桐の実が落ちてくる形状、実を振ると鳴る音
・・・・・、五感をフル活用させ、記憶に刻みつけていたさまが伝わってくる。
昔、女の子が生まれると、その子の嫁入りのときの箪笥の材料にするため、
女の子が次々生まれて、祖父は桐を植えるので忙しかっただろう
といった客観的な観察力もさることながら。

「桐の木一本でも、何ヵ月かするうちには、これだけの変化があり、
子どもにいろいろのことを感じさせ、おぼえさせたのだろうが、
何といっても、あの桐が私に一ばん美しく思えたのは、
仰ぎ見て、あの、紫の花房が、みんな天を向いてならんで立っていたときのことである。
どうしていまのひとたちは、あの花、あの匂いのために、もっと桐を植えないのだろう。」
と、こう締めくくられている。

さまざまな商売を営んでいた家々、売り手たち、その子どもたちなど
記憶の中の見取り図とともに再現されていた。
この時代、浦和の北、中山道に面した人々の暮らしぶりが伝わってきて、
1910年代にタイムトリップするかのようだ。自身の思い出を回想しながら、一流の読み物に仕上げられる人が、どれほどいるだろうか。

私は、石井桃子さんがどんどん好きになる。
とともに、石井さんが亡くなったなんて。
人がひとり亡くなるのは、巨大な図書館が焼けるに等しいといったのは誰だったか。
もう読めないのだな、石井さんの新作は。石井さんの思い出も。
次々執筆し続けた石井さんに感謝したい。

にわとり文庫さん、テレビ観ましたよー。
点子ちゃんが大きくなって、
なおかつ、とっても人なつこそうでビックリ。
デコポン、足引きずってますね。でも、元気そうでよかった。

日中、戦後すぐの絵雑誌を入力。
痛みやすい古書は、内容を入力していくだけでも
ぼろっとなりそうで、神経をつかいます。茂田井のためならエンヤコラだが、
背中ガチガチ&ヘトヘトになり、別のことをする。

明日発送分の梱包。

深夜、85年からのちの雑誌を海ねこHP用に入力。
思えば、ずいぶん以前からずっと、買取させていただいたまま、
どうしようかと迷って、書棚に眠らせていた分。

商品化しないまま自宅や倉庫のあちらこちらに眠っているものがあまりに多く、
改めて日々、愕然。
とにかく自家目録に入れるもの、入れないものをより分けつつの作業。
だいぶヨレてきております。

月曜倶楽部の締切が月曜だというのに、
字数調整、全集の入力は、週末の作業になりそう。
金曜、古書市場へ久々に行けるのが楽しみです。
市場に行ってまた整理しなければならない古書を増やしすぎないよう、
目の保養優先・勉強優先で古書を手にとること。
その前に発送をしてから出かけます。起きられるのか、もう4時。

たまには夕食のメニューでも書いてみよう。

食事作りに時間かけられないので、自分の料理はただもう、早いだけが取り柄。
●さぬきうどん(釜揚げで食べてみたらイマイチ。水に晒したら旨くなった)
●ホウレンソウとベーコンのサラダ
(ホウレンソウは、連れの実家から送ってもらったもの。
前日、我が家の定番「ねぎ鍋」についでに入れてみたら甘くて美味。
生食してみたら、柔らかいながらもしっかりして噛み応え十分。
まさに、春の味覚でした。
ベーコンはチンして油を切ってカロリーダウン。塩よりも何よりもまずオリーブオイルまぶして十分あえる。クレソンやホウレンソウのサラダは、仕上げにレモン汁をたっぷり。さっぱりしていながら、コクがある仕上がりになります)
●アオサとシイタケのすまし汁
(連れの実家から生のアオサが届いたので。醤油でなくニョクナムを使ってみたら旨し)
●巻き寿司(生協のチンして冷まして切る、出来合い)
●ビール小瓶2分の1本、焼酎お湯割り
●タンカン2分の1個

ぐーるどさんちのねこ「ふゆ」みたいに野菜を食べないかと
我が家のねこらにあげてみるが、キャベツ× ホウレンソウ×
ネコ草、我が家の敷地に春になると茂る草は皆好き。
なのに、新鮮野菜には興味がないらしい。

内容なくてすみません。アホアホ日記、でした。

悪天に加え、バスの座席に余裕がなかったこともあり、山行きは中止。

月曜倶楽部の目録の締め切りまで何日もない。
今のままで注文をいただけるのかどうか不安になり、
倉庫で目にとまった絵本を持ち帰った。
井上洋介、堀内誠一・・・検索してもデータがほとんど見つからず、
どう値段をつけていいのか分からず、悩む。
さらに、至光社のハイレベルで、しかも見たことのない絵本が何冊か。
値付けに悩み、自家目録用に保留とする。

ネットで調べられることより、調べられないことのほうがずっと多い、と最近思う。
R舎さんのようにキャリアも勘もないので、
初対面の本を手にすると、その本がどういうものなのか、まずは調べる。
調べたうえ、さらに古書の状態など鑑みて、自店で売る場合の値段を決める。
値段を決めるためにも、いろいろ調べる必要があるのだ。
あまり思いを入れずに売るほうが良いという意見もあるだろうが、
自分としては、まったく分からないものは扱いにくい、
出来れば多少なりとも学んだうえで扱いたいという思いもある。

ここ最近、自家目録用にと入力していく中で、画家のクレジットが入っていない2冊がひっかかった。
昭和2年、そして、もう1冊は昭和3年に出版されたもの。
「金の船社」編である。
この絵のタッチは、見たことがあるような気がする。
確認するため、あれこれ調べる。

「『金の船』ものがたり」(小林弘忠 毎日新聞社 2002年)という本を、
以前、古書市場でたまたま購入し書棚にしまいこんであった。
そうだ、あの本を読んでみよう。
思い出して引っ張り出した。
うーむ、面白い。早速、夜半から朝方までかけて一気に読破。

「野口雨情、本居長世を世に出し、童謡歌手第一号を生んだ児童雑誌『金の船』。
その創刊と盛衰を描くーー」(帯 より)

戦前の絵雑誌には、しばしば童謡の譜面が掲載されている。
譜面があるなあとずっと頭に片隅にあったのだが、
なぜ童謡なのか、童謡がしばしば取り上げられているのか、本書を読んで謎が解けた。

大正時代、童謡を広めて、雑誌のカラーの主軸として
童謡を推していこうと考え、実行してきた人たちがいたようだ。

そのひとり、名前は「斎藤佐次郎」という。
「『金の船』ものがたり」は、「金の船」(大正8年11月創刊)の創刊者として、
児童文学誌に青春を賭した編集者・斎藤佐次郎の生き方を軸に綴られている。

斎藤佐次郎(以下、佐次郎)、もともと編集者を志していたわけでもなんでもなかった。
たまたま細君どうしが知り合い(それも銭湯で!)、
「ナカヨシ」という雑誌の発行者だった横山寿篤を紹介された。
佐次郎は父親が商売で成功したため、土地・資産を手にしていたのだった。
横山は融資を頼みがてら佐次郎に会い、児童文学誌を作るよう薦める。

佐次郎、当時25歳。
雑誌作りをしていくうえではほぼ素人だったのだが、
やるなら当時トップランナーとして突っ走っていた鈴木三重吉「赤い鳥」を目指しつつも、
なんとか違うものを作りたいと祈願した。
高き志を胸に秘め、謙虚に、かつ情熱的に作家・画家のもとへと原稿依頼に通うさまが
いきいきと綴られていた。
当時、「児童文学」に挑戦することが、作家や画家たちの間でちょっとしたブームだったらしい。
それなりの理由から断る人もあったが、佐次郎の誘いにやってみようかなと思う人が大勢いた。

野口雨情(当時37歳)も、当時まだ無名だったのだが、
人を介して佐次郎と出会い、終生付き合うことになる。
そして、数々の名だたる童謡を世に送り出すことになるのだ。

当時、学校で教えるのは「唱歌」であり、
童謡は邪悪だとばかり封じ込めようとする教育者がいたころである。

野口雨情の人物像が傑作だった。
やたら立ち小便をし「田舎まるだし」だが、あつき男である。情に熱く、人望厚い。
「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」「俵はごろごろ」など、私たちの知っている童謡たちは、ふたりの出会いなしに生まれなかっただろう。

岡本帰一との出会いも描かれている。
雑誌発行を決意したとき、佐次郎は、どの画家にどのような絵を描いてもらうのか悩んだ。
清水良雄が描く「赤い鳥」の表紙、挿絵は時代に合ったハイカラ絵画で、雑誌の基調とぴったりだが、
佐次郎は、むしろ牧歌的なあたたかみのある絵がよいのではないかと考える。
「斬新で土のにおいがするもの、新時代を感知させながら幻想的で、
想像をかきたてる絵がいい。画家は慎重にえらばなければならないだろう」と。
雑誌発行を決意して、童話を読みあさりながら、
たまたま読んだのが冨山房の「模範家庭文庫」。
そのなかの「グリム御伽噺」の装丁と挿絵をみて、これだ! と確信する。
「大胆な描写ながら奥行きがある。空想がひろがる。
線の運びが繊細で、絵がうまい。
この画家ならきっといい表紙と挿画を描いてくれるにちがいないと直感した」

当時、岡本の家は、路地裏のわびしい借家だった。
実家は裕福な家に生まれたにも関わらず、結婚を親に反対され、貧しい借家暮らしだった。
すべての仕事を蹴って、「金の船」に専心した岡本。

雨情と並んでの功績者であり友人であると佐次郎は思っていたが、
その岡本がやがて、「コドモノクニ」に引き抜かれてゆく。
「金の星」専属画家であり、創刊号から約三年間ひとりで表紙、口絵、挿絵、飾り絵を描いてきた岡本帰一。
たまに「コドモノクニ」にも絵を送ることがあっても、佐次郎は黙認してきたのだった。
他誌に描いてほしくない、が、もっと活躍の場をもってほしいと、佐次郎は複雑だった。
とうとう、大正12年1月号を最後に「金の星」を去る岡本帰一。
前年11月、東京社によって創刊された「コドモノクニ」の絵画主任に迎えられたのだった。
佐次郎は引き留めたかったが、画家の将来を思うと、そうも出来ない。
無念。

その前には、雑誌創刊のきっかけとなった横山とのゴタゴタで
「金の船」は名義変更、「金の星」に書名変更という緊急事態に直面する。
大正11年、出版部を設ける。10月号に出版部創設の社告を掲載。
出版部が初めて出したのが「金の星童謡曲譜集」第1集、第2集(野口雨情・作。本居長世・作曲。岡本帰一・装丁)。
翌12年2月、「少年少女の童話読本」(沖野岩三郎・著 岡本帰一・画)を出版、
3月、「童謡十購」(野口雨情・作 石井鶴三・装丁)を出版。
ところが、関東大震災により、
友人・小絲勝次郎と共同で始めた下谷元黒門町の出版部は全焼。
在庫の出版物はすべて焼けてしまった。出版部は、書籍6点を発行しただけで解散、という憂き目にあう。
解散を余儀なくされ、翌年、佐次郎は金の星社独自で児童出版物を出すようになる。
小絲は同年、金の星社の「金」の字をもらって金襴社を興す。

大震災後の物価急騰。
ひところは売れて売れてたまらなかったのだが、すでに雑誌を発行すれば累積赤字は増える一方となりつつあった。
なんとかもちこたえなければと、佐次郎は「金の星」存続を賭けて出版部の再起をはかる。
出版物で得た収入を雑誌に投入しようという算段だった。
大正13年から次々「童謡集 青い目の人形」(野口雨情)「日本の児童と芸術教育」(沖野岩三郎)など出版。
版を重ねていくが、大正末期、大きな変化の波が出版界に押し寄せていた。
大手出版社による返品自由の「キング」創刊、円本ブームなどだ。
トップランナーだった「赤い鳥」がついに力尽きる。

出会いと別れ、雑誌の隆盛、盛衰・・・。
ご興味のある方は、ネット上でのこのような駄文でおしまいにせず、
ぜひ「『金の船』ものがたり」をご購入のうえ、お読みいただきたい。

金の星社はその後、倒産の寸前に救出され、驚くことには今日も続いている。

海ねこの手元にあるのは昭和2年、3年の金の船社・編の2冊である。
昭和2年の「にっぽんいち・ひらがなおとぎ」は発行者「荻田卯一」
発行所は「資文堂書店」(麹町区飯田町2-3)となっている。
昭和3年発行の「小学一年生の童話」は編者「横山銀吉」
発行所は「資文堂書店」(麹町区飯田町2-3)とクレジットされている。
「横山銀吉」とは、金の星と別れてからも雑誌「金の船」を続けた横山寿篤の別名か、
あるいは近親者なのであろうか。どなたかご存じでしたら、ご教授いただけましたら幸いです。

それにしても、すでに専門ジャンルとして取り組んでいる先輩書店も多く、
なるべく遠ざけていたかった1920年代30年代、やはり避けては通れないようだ。

引越シーズン、片付けものシーズンのようで、買取のご依頼が何件か。
申し訳ないが、諸事情により、お断りすることも少なくない。
以前からお約束させていただいていた分は勿論、お伺いする。
「金の船」が漂い続けた流れと重ねるのはおこがましいが、
海ねこは何処へ漂っていくのだろうか。
感傷的な思いを吹き飛ばすかのように、いくつか新たなご注文をいただく。
外は雪。足元に気をつけてお出かけください。

運動不足の解消を兼ねて歩く。「北の国から」SP、とうとう見終わる。

そのほかの時間は、ひたすら自家目録の入力。
あれこれ調べたり、脇道に逸れすぎ。冊数はいまだ300に満たない。

あれほど多忙そうなオヨヨ書林が、目録完成とのこと。
またしても、追い抜かれてしまった。

何やってんだ、自分。いよいよ、こもるしかない。覚悟を決める。

フレーベル館の歴史、絵雑誌の歴史を調べたいが、
もはや余裕なし、か。
調査するより、とにかく入力、か。

といいつつ、3日は南部古書組合の徒歩徒歩会、山行き(天気が大丈夫ならば)。
9日は、月曜倶楽部・アートブックバザール共同目録締め切り。
古書組合の機関誌「古書月報」原稿、人に依頼するばかりでなく、
とうとう自分も書くはめになり(志願したわけでなく、機関誌部からの指令により)13日締め切り。
日本の古本屋にリンクする中央線支部の店舗紹介、ぼちぼち考えないといけない。
いよいよ、遊べない。

月曜の古書市場に行きたし、されど・・・。発送はお待たせしてはいかんでしょう。時間を有効活用できる薬、欲しい。目が覚めたら仕事を進めてくれている魔法のこびと、どこかにいない? もはや、だらだら寝たり、ごぼごぼ飲んでばかりいる場合じゃないようだ。「ご自分がいつまでも生きてると思っているでしょう。違いますよ、いつか必ず死にますよ」(北の国から、杉浦直樹演じる山下先生から田中邦衛への言葉。台詞はちょっと違いますが)

 

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

アーカイブ