薄田くんと石井さん

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PCを開いたら、古書月報のために依頼していた原稿が届いていた。

古楽房・薄田くんから、だ。

私は中央線支部の機関誌担当なので、
組合員・関係者に書いていただくようお願いするのが仕事なのである。
断られることも結構ある。
これまで執筆を引き受けてくれた
徳尾書店、百年さん、本当にありがとうございました。

薄田くんはちょっと考えさせてくださいとの返事のあと、こちらが望んでいるとおりボスと相談し、
ご自身も考えたうえ、執筆を快く引き受けてくれた。
しかも、仕上がりの原稿を見て、驚かされた。
私が依頼した内容を踏まえたうえで、
きちんと自分らしい色が出ているのだ。
依頼内容をあれこれ書いたがため、むしろ逆効果となって失敗したーと悔やむことがあるが、
この人は違った。
与えられたものを受容しながら、しなやかにフィットしていこうとする力、というか、
自分の中における強烈な個性と柔軟性のせめぎ合い、というか、
バランスが圧倒的に素敵だ。とてもマネできない。
大げさにいえば、未来への希望を持った。

古書月報の原稿、今回は自分も書くよう依頼が来ているのだった。
薄田くんにかなうはずもないが、ちょっとは恥ずかしくないものにしよう。
ウソ。考えすぎるとかえって堅くなってつまらないものになりそうなので、
まあ、いいや。流れで。
そもそも、確定申告もまだですよ、というか、
共同目録(月曜倶楽部、アートブックバザール)、明日締切なのに、まだまだなのです。
と言いつつ、さらに書くのだが。

昨夜読破した「幼ものがたり」よかった。
石井桃子さんが70歳を前に、幼児のころの体験を回想した自伝。

幼いころの体験を鮮明に記憶しており、
臨場感を伴って見事に再現できる石井さん。
自身の幼児体験は、石井さんを生涯、支えていただろうし、
ずっと児童文学に携わってきたこととも大いに関係しているだろう。

歌で覚えていて、そこから芋づる式に思い出したり、
記憶をどんどんさかのぼっていくさまが面白い。
あれほど印象に残っている人なのに、どうしても名前を思い出せず、
悔しい、と地団駄踏むさまも面白いし、
もっともはっとさせられたのは次のような部分。

「幼い私を、その池へ誘ったのは、何だったのか。
とにかく、ある日、私はひとりでそこへゆく。
(そこは、家じゅうでも、人気のないところだから、
ふだんは、わざわざひとりではいかないのである。)
すると、そこに見つかるのではあるまいか、と
何となく期待していたものがちゃんとあって、
私はうれしくなって、ぞっとする。
うす白い茎が、濃緑の葉のあいだから、つんつん突きでているのである。
その茎はとても固かった。しなしな、しなうのをつみとって、
穂もちょんぎると、扁平の棒になった。
両はしを上まぶたのすぐ上と、下まぶたの下にあてがうと、
目があいたっきりになってしまう。
私は、近所の友だちをよんできて、その茎をつみ、
みんなで「目っぱじき」で両目を見ひらいて、ぞろぞろ、庭を練り歩く。
おとなたちは、私たちを見て大笑いし、
私たちも、自分たちが、さぞ異様なようすをしているだろうと
想像して、大はしゃぎするのであった」(「目っぱじき」より)

「何となく期待していたものがちゃんとあって、私はうれしくなって、ぞっとする」
「私たちも、自分たちが、さぞ異様なようすをしているだろうと想像して・・・」という部分、
好きだった、ぞっとするほど好き。

「桐の花」は3ページほどの掌編だが、甘い香り、
手にくっつく感触、花を過ぎてから枯れた桐の実が落ちてくる形状、実を振ると鳴る音
・・・・・、五感をフル活用させ、記憶に刻みつけていたさまが伝わってくる。
昔、女の子が生まれると、その子の嫁入りのときの箪笥の材料にするため、
女の子が次々生まれて、祖父は桐を植えるので忙しかっただろう
といった客観的な観察力もさることながら。

「桐の木一本でも、何ヵ月かするうちには、これだけの変化があり、
子どもにいろいろのことを感じさせ、おぼえさせたのだろうが、
何といっても、あの桐が私に一ばん美しく思えたのは、
仰ぎ見て、あの、紫の花房が、みんな天を向いてならんで立っていたときのことである。
どうしていまのひとたちは、あの花、あの匂いのために、もっと桐を植えないのだろう。」
と、こう締めくくられている。

さまざまな商売を営んでいた家々、売り手たち、その子どもたちなど
記憶の中の見取り図とともに再現されていた。
この時代、浦和の北、中山道に面した人々の暮らしぶりが伝わってきて、
1910年代にタイムトリップするかのようだ。自身の思い出を回想しながら、一流の読み物に仕上げられる人が、どれほどいるだろうか。

私は、石井桃子さんがどんどん好きになる。
とともに、石井さんが亡くなったなんて。
人がひとり亡くなるのは、巨大な図書館が焼けるに等しいといったのは誰だったか。
もう読めないのだな、石井さんの新作は。石井さんの思い出も。
次々執筆し続けた石井さんに感謝したい。

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