2008年1月アーカイブ

市場に出かけたが、山歩きの疲れが今ごろ出てきたのか、だるい。
3階を2周して、4階を1周、また3階の一部を見直して、さらに4階を見直し、
いつもより早めに帰宅する。
帰宅してネットで調べてみたら大山2つ落札できていた。
車で取りにいかなければ。

引き取りにいく手間と時間を考えて入札をやめようかとも思ったが、
海ねことしては持っておかなければ、買っておかなければと思ったのだ。
同じ本でも状態が悪かったらやめていたと思うが、状態がよさそうだったので、
ライバルがあまり多くなく、買えるときに買っておかないと。
しかし、もし落札できなかったら引き取りにいかなくてもいいしと
抑え目な入札だったかもしれない。結果として買えたには買えたが、
買う動機が消極的だとモチベーションが下がりそう。危機感を覚える。
理想論に寄りすぎかもしれないが「買っておかないと」という動機からではなく「買いたい!」「店の商品として欲しい!」「読みたい!」「調べたい!」「皆さんにご紹介したい!」と
喜び勇んで買って帰りたい。そして、すぐにいろいろ調べて、情熱を持って商品化していきたい。
「まあ買っておくか」という動機で買ったものがずっと整理もしないまま
倉庫に置きっぱなしにならないよう、十分活用していかないと。
本の作り手にも、売ってくれた店に対しても、その本を欲しい人に対しても失礼だろう。
第一、自分も気分がよくないし。

shakujii0801.jpg帰宅したら、石神井書林さんから目録が届いていた。
前回、注文したので(残念ながらすでに品切れだったが)お送りくださったのだろうか。
ありがとうございます。
ぱらぱらっと拝見した印象で書くのはかえって失礼かもしれないが、
村山知義など、市場での蒐書の成果が反映され、みごとな構成だ。
構成力だよなあ、と唸る。石神井さんの文章を読むように、
石神井さんがおやりになりたいこと、お考えのことが明解に打ち出されている。
石神井さんの目録は、やはり目録そのものが「作品」だなあ。
もちろん何か買いたいけれど、それ以前に目録そのものが
蔵書として持っておきたくなる資料だと強く感じる。

また送ってほしい人は、ぜひ何かお買い求めのうえ、
石神井さんの名簿に入れてもらいましょう。
巻末にはお買い得のあれもこれもありますしね。

夜、スキャニング作業を進めて50点近くまでやったが力尽きる。
雪が降り始めたので、ああ、いけないいけないと、注文本をとりに倉庫へ運転。

石神井さんのことは別として、
今日も、冴えない日記ですんません。まあ、人間、毎日毎日そう楽しくばかりはいられません。
どうしたらモチベーションを持続できるのだろうか、と
熱しやすく醒めやすい自分としては、しょぼくれてしまう。
明日になったら、きっと気分も変わっているでしょう。
本を読んで寝てしまおう。目が覚めたら自分が石神井さんになれたらいいのに(そんな都合のいいこと、ありえません)。

今日は石神井さんの目録をぜひご紹介させていただきたかったので、
ブログも書いたのだけれども。

読んでいただいて大変ありがたいことと感謝しております。それでも、あまりグチっぽい日記を公開しても、読んだ方が気持ちがよいとは思えませぬ。
自分としても、薄っぺらい脳内を晒し続けるのがつらいときがある。
市場に行って、ああ、ブログを読まれていると感じると
恥ずかしすぎて穴に入りたくなる。だったら書かなきゃいいのに、なぜ書くんだかな自分。
今までもしばしばあるので驚かれることもないでしょうけれども、
ブログや日記をしばらく休むことがあっても元気でやっていると思うので、
どうかご心配なく。ムラがあるだけで、気が向けばすぐにでもまた書くことでしょうし。

oyoyo.jpg最後に、ご紹介するタイミングを逸してしまいましたが、オヨヨ書林 3年ぶりの目録。こちらはすでにご存知の方も多いでしょうけれど。いつの間にやらこんなに蒐書していたのかと衝撃的でした。「刺激を受けた」「おちおちしてられない」と同業者の間に一石を投じた渾身の作。買いたいものがあっても、ついつい出遅れてしまうというご同輩。今回こそ買えますようにー。

「他店の目録の紹介ばかりしている場合か? 自分の店をもっとしっかり」と、お客様のお声が聞こえてくるようです。それも、ごもっともでございます。

ブログや日記に頼らなくても、純粋に品揃えで売れるようにならないとね。本末転倒ですね。言い訳ばかりしている場合ではない。結果がすべてだ。自戒。

丸一日休みはとれないにしても、昨日の高尾山に続いて、今日は世田谷美術館へ。
「パラオーふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展」をみにいく。
最終日の本当に夕方ぎりぎり。
中島敦が妻や子にあてた手紙がとにかくたくさん展示されていた。
凝った演出は面白かったが、
中島と土方の交流ぶり、影響を与え合ったさまが
もっとドラマチックに展示されているのかと勝手に思い込んでいた。
ちょっと尻つぼみな印象は否めず。

沼辺信一さんのブログを読むと図録が充実しているとのことなので、
楽しみは、まだこれからか。

あまりの空腹に、世田谷通りにあるネパール料理店「マウントフィッシュテール」へ。モモが美味。ひよこ豆のキーマカレーも。次回は飲めるようバスか電車で行こうと相談。ちなみに店名は、ネパールにある山「マチャプ・チャレ」からつけられたもの。懐かしい、あの山である(登ってはいないが)。

その足で倉庫へ行き、仕事の続き。

買取でお譲りいただいた全集にご注文をいただく。
あの人からこの人へと本が渡っていく。
さまざまな方とやりとりをさせていただき、楽しいです。
先日はロシア在住のロシア人とやりとりをし、
最近メールでやりとりさせていただいている方は
大変なコレクターでもいらして、ほぉー、と感心させられる。
明日からまた気合を入れ直していこう。
新着本、そろそろ再開したいと思います。お待たせしております。

高尾山の写真は、連れがブログにアップしています。
まるで別世界。こんなところを歩いてきたのかと。
次回は、小仏から向こうへ行ってみたい。
山歩きしたあと下界に戻ってきて、古書店をのぞく。そうしてから飲む酒は最高なんだ。

地元の神社で骨董市があり、服を100円で購入。

市場に向かう。買えなかったものもあれば、買えたものもあり。
服は1着100円のでいいが、本だけは何千円、何万円のものでも買うのだ。
市場には良いものも出るが、安くない。
でも、いろいろな本が見られるし、値段を覚えられるので、勉強と思って通っている。
第一、行ってみないと何が出ているかわからない。
きのうは某誌、創刊当時の編集部記録という珍しいものを入手。
本と違ってふたつとない資料は、興味があるものなら何がなんでも買っておきたくなる。
これで、だいぶ目録の骨組みができてきたかなあ。まだまだか。
紙の目録に憧れるが、やはり必要とする多くの人の目に触れるという意味では、
検索で利用いただけるWeb上目録もいいかもなあ、と思ったり。

帰りに用あって吉祥寺・バサラブックスへ立ち寄る。
初めて行ったが良い店でした。
給料日の週末、次々にお客さんが訪れて、福井さんと会話を交わす。
皆さんから愛されているなあ。
福井さんがどれほど思いをこめてやっているか、本の並びや、
店内の空気から伝わってきた。
なんというか、一生懸命やっている店というのは、本当にわかるなあと思った。

取り置きを頼んでおいたミニコミ、講談社文芸文庫3冊、こどものとも3冊、かがくのとも3冊購入。ついでに、連れが予約をした落語のチケットを受け取る。

「こどものとも」「かがくのとも」はやはりよいので、市場でも積極的に買っている。100号以前のもの、もっと欲しいのだが。当時の特製版も含めて。

きのう市場に出ていた戦前のキンダーブック、内容も状態も本当に素晴らしかった。70年代60年代以前の絵雑誌各誌を集めている海ねことしては、皆さんにぜひ見ていただきたかった。結果として、買えなかったが、どこの店も。

仕事が立て込んで休みがとれない。
せめて、土曜、発送が終わったら高尾山に行ってこようと思います。
この夏、3000メートル級の登山をとお誘いいただき、
少しでも歩いておかないと。体重もちょっとは減らしておかないと。
高尾山頂から影信山、陣馬のほうに足を伸ばしたい。歩いたあとのビールが楽しみ。
そのまえにまずは発送作業から。
明日は世田谷美術館に行きたいなあ。
土曜日曜、メール対応が少し遅れます。

仕事の合間、必要あってのことだが、
地元のマンガ喫茶(ネットカフェ)で「スラムダンク」を読み進める。

次なる古書月報用の、いとも過酷なるテーマをいただき、
溜息つきながら下書きに手を加える。
下書きに手を加えすぎて、文章の流れが悪くなって失敗するパターンが最近多いように思う。
初めて書くときの勢いをできるだけ忘れないように、
流れが損なわれないように書きなさいよ、と、わが心に刻む。

昨晩から読み進めている角田光代
「あしたはドロミテを歩こう イタリア・アルプス・トレッキング」読了。
南部の徒歩徒歩会に参加させていただき、山歩きをしたときの感覚を思い出す。
壮大すぎる自然を目の当たりにして戸惑う感覚。
登頂して「感動」というよりは「ボーっとしてしまう」感覚など、うー、わかるーと思ってしまう。
飲んでいるとき以外、浅蜊のように無口で、というところまで共感する。
角田さんにはコクテイルでの井上荒野さんトークショーのとき、
たまたま前後の列にかけていたので一瞬、軽くご挨拶させていただいたきりで、無論ご当人の記憶にもあるまいが。
いつか機会があらば、バローロでも飲みながらお話させていただけたらと。私の夢のひとつです。

角田さんの著書を読んでいると、
前の夏、旅猫雑貨店の金子さん夫婦と富士山登頂したときのことも思い出す。

月の輪書林さん、これですよ、これだー。
といっても、徒歩徒歩会で一緒に絶壁を歩いただけの関係で
ここまで提言させていただくのも図々しいとは思うが、
角田さんの感覚こそ、あのときの感覚に近いかもしれない。
少なくとも私はそうだった。
いや、月の輪さんは、子供のころから山歩きしていたのでしょうから、
大分違うかもしれないのですけれど。
柔な都会人が山に向かうときの心境を
角田さんは随分リアルに描き出していると思った。
自分の目で見て、自分の耳で聞いたことしか書きたくないというスタンスにも、
うんうんと頷きたくなる。
引用ばかりしている、ちょっとどうかな、という立場の私でさえも。

先日、短期集中で一息に仕上げてしまったので、
底が浅かったかな、もうちょっとどうにかできたかもしれないけれど、
一人相撲のままではいけない、と公開した海ねこ小特集。
まあまあの反響でした。ほっ。
一方で、同業のN堂さんからは、肉付けして、
もっとこうすることもできたのではないか、と具体的なご指摘をいただく。
お言葉をいただいた瞬間、落ち込んだ。その店だったら、同じ題材を使ったとしても格段に
すばらしい内容に高められていたに違いないと、
N堂が手がけた場合のWeb目録まで目に浮かんだので。
が、無反応なのがもっとも怖いわけで、アドバイスをいただけるとは大変ありがたいこと。
これを機にまた進んでいけばいいのだから。

いずれにしても、何か放ってみないと。
見えない布に向かってボールを放つように不安だけれども、
何かしら反応があれば耳を澄まし、目を凝らすべき。
いただいた反応をもとに、次を考えていくしかない。
試行錯誤しながら続けていくしかない。
資金と体力・知力が続く限り、あれこれやってみるしかないと自分に言い聞かせる。

いやしかし、この業界、師と仰ぎたいような店が実に多いです。
港や書店さんには苦難の時代など、あったのでしょうか???

minatoya36.jpg「港や書店古書目録
CONSTRUCTION 建築土木史と都市史料」36号が完成しました。

巻頭5ページは「塚本靖 古建築装飾粉本・断片」
ーー建築装飾史の泰斗・塚本靖が帝大講師時代から描き続けた古建築装飾模写および拓本類の断片。

●THE GREAT EARTHQUAKE OF JAPAN,1891
 明治24年 濃尾地震震害写真帖
●入浴者必携 熱海繁盛記 明治37年
●ポスター 貯蓄報国 「貯蓄は身の為 國の為」(昭和14年頃)
●支那事変下の戦勝記念手ぬぐい
●大日本国防婦人会 襷(たすき)
●「露店」東京都臨時露店対策部編 東京都 昭和27年
昭和二十四年から施行された露店整理事業のドキュメント写真集

●東京都庁 本館建設工事写真

●オリベッティ「コンセプト アンド フォルム」同展カタログ 昭和46年

●ANDRE LURCAT PROJETS ET REALISATIONS アンドレ・リュルサ建築作品集 パリ1929年

●BOUTIQUES 1929 パリの小商店建築写真集

ほかにもたくさんたくさん。
総ページ454ページ、うち写真ページだけでも56ページとたっぷり。
注文は先着順に受付だそうですので、お早めに。
目録そのものが大変貴重な資料となっています。
港や書店の古書目録には、近い将来、かなりの古書価がつくのではないかと、もっぱらの評判。

おおいに刺激を受けながらも、ああ、また
つい先ほど、一本の電話で、頼まれ仕事を引き受けてしまった海ねこ。
10年20年、お付き合いいただいている人から頼まれると無下にできないッス。
更新しようと途中まで入力したものも、
信頼できる人にデータ入力してもらったので、あとは画像を104点ほどスキャニングすればよいものも、
なかなか捗らない有様。
新着本が滞りぎみで、お楽しみにしていただいている方には申し訳ない限りです。
分厚い港や書店の古書目録ばかりが立派に感じられる今日このごろ。

雪になるのだろうか。予報より降り始めが遅いようだが、いつになったら降り止むのだろうか。
月曜の市場用にと出品してきたのに、
すごく安くなってしまうか、まったく売れ残ってしまいそうで困ってしまう。
でも、悪天候のときこそ、良いものを安く買えるチャンスだし、
市場にはいつ何が出てくるかわからないし。
雪であったとしても、なんとか神保町にたどりつけるとよいのだが。

そういえば、20日はようやく岩崎ちひろ美術館へ。
「生誕110年記念 初山滋 大回顧展」へ行ってきたのでした。
「父 山本五十六 家族で囲んだ最後の夕餉」(山本義正)読了。
先日の小特集にあった手紙の主も、海軍の仕事で海外渡航が多いようだったので、
山本五十六や家族の思いに重ね合わせながら読んだ。

全集を整理しながら入力作業。
合間に梱包・発送・受注。
全集はありがたくも、おふたりからお譲りいただいた分があるので、
イタミが少ないものを選り分けて。
あれこれ確認しながらで、延々、入力し続けたが、今日中に終えるつもりが終わらず。
時給計算したら死にたくなるかもしれないので、しない。
あくまでも地道な積み重ねしかないのでコツコツと。

それにしても運動不足なのに、飲み食いの量は相変わらずで体重増加の一途。
生活を変えないと本当にまずいと思う。
来週終わりごろ少し休ませていただこうと思う。決まりましたらHP上で告知します。

今年の目標は、休むときは休む! やるときはやる!

これだな。

だいたいにして、自分は完全休養がヘタすぎると思う。
旅行にいっても、出先から始終メールチェックしていないと落ち着かず、
ネット接続不可のところに出かけても古書店ばかり探して、大荷物を抱え込まずにいられないし。
まったく仕事ができない場所に行くか、山登りか海か、とことん体を使っている最中か、
そのぐらいしか仕事から離れられないのか。
高度経済成長期かバブル渦中の日本人ならいざ知らず、なんだか心が貧しいよな、私。
貧乏性なのか、仕事を絶えずしなくてはいけないような気がして、
そんな自分に自分で疲れてしまう。
そのクセ、本当に目指すべき道には一向に進めないままで、まわり道、迷い道ばかり。

先日、呑んだあたり(一緒にいた面子)からぼんやりつかめてきたと思うが、ちっともそちらに行けない。
いったい何をしているのかー。自分で自分に凹んでしまう。
こんなことじゃ、続かないよー。続かないようじゃあ、お客様にも、お世話になっている方に対しても失礼だよ。
以前からお客様からも定休日をつくるといいですよ、と言われていたのに、なかなか余裕がなくて。
挙句の果て、ときどき破裂しそうになり、バカ飲みしては二日酔い、三日酔いで延々寝込む有様。
いろいろ億劫になり、日々鬱々、布団から出られない繰り返しなのだ。
命、無駄にしてます。情けなさすぎる。ええ、自分でもわかってるんスけどね。

夕刊に以前お世話になっていた人が写真入りで出ていて、ビックリ。
お声が懐かしく思い出される。ご活躍のご様子で何よりでした。

明日は運転だ。しかし、寝る前ぐらいしか時間がとれないので、
どうにか「イサム・ノグチ」の続きを読み進めないと。
わけあって、週末には「山本五十六」も読み終えていないと。
起きられるのかー、私。首都高でぶつかるぞー。
18日、カリジェ関連のイベントにお誘いいただき、行きたかったのに行けそうになく、至極残念。

しかし、こんな日記みたいな文章、本当に公開するの? あまりに恥ずかしいです。
「ブログのファンです」なんて言われた日にゃあ恥ずかしくて恥ずかしくて
(でも、ちょっとうれしいのがまた恥ずかしくて)狂いそうになります。読み返したら削除したくなるかもね。

データ入力をお手伝いいただいた人のお宅へ。
書棚を眺めつつ、お茶をご馳走になる。
膝や背中に手をかけてくる兎が可愛らしい。
夜道、霙になる。
必要あって、これから「イサム・ノグチ  宿命の越境者」(ドウス昌代)を読むところ。

先日、Hの輪さんに言われた言葉がひっかかっている。
ご当人はなにげなく発した言葉と思うが、
自分にとって痛いところを衝かれた。
ときどき痛みも与えてやらなければ
どこまででも怠惰になってしまいそうな人間なので、有難かった。
なんとかしなければと思うが、突破口がたやすく見つかるようだったら誰も苦心はしない。
暗がりを手探りで進んでいくようだ。
いつか、一条の光を探せたらいい。

ちひろ美術館に行きたい、フィルムセンターにも行きたい、旅したい。
その前に市場へ行かなければ。
先日買った分を引き取りにいくついでに、不要本を出品してこよう。
その前に車に山積みしてある本を整理しなければ。
整理が苦手な人は、古書店なんぞやるもんじゃないです。はい、私のことです。

「大正12年(1923年)、お父さんからの 海外のおみやげ」
海ねこホームページに更新しました。

小さな小さな特集ではありますが、
何かしら感じていただけたらと、眺めて、読んで、楽しめる構成を心がけました。
古書店は古書ありきで、まずは古書がなければ何も始まりません。
しかし、古書を単なる”モノ”として売るだけでなく、
何かを発信し、どなたかに届けたくて
自分はこの仕事をしているように感じています。
市場に通い続けているうちに、ときたま、出会いがあります。
そして、まったく知らない方の人生に触れさせていただくような思いをいたします。
ご覧いただくだけでもうれしいですが、
何かピンとくるものがありましたら先着順ですので、どうぞご注文をお願いします。

いやしかし、粗っぽいつくりかもしれませんが、
集中しましたため、いささか力尽きました・・・。
「ポラン書房 第二回2箱3日古本市」が2月15日(金曜)から17日(日曜)、
大泉学園・ポラン書房で開催されます。
2箱ほどですが出品します。
その目録締め切りがありますので、来週までしばらく新着本は休ませていただくかと思います。
ご注文の受付・発送は通常どおりです。

「ブログ最近、更新してないですね」と言われたので、
ホームページには日記をちょこちょこ書いているのだけれど、と思いつつ、
まあ、ここにも書いてみますね。

頑張って早起きし、発送&請求書と納品書。
書類書きには、いつまでたっても慣れられず。
何枚もプリントしては、失敗してやり直す連続。

昼から、今年初の市場。
本も人も少なめだったが、久々に会えた同業者らと会話するも愉し。

買いたいものがあったのだけれど、
絵本の大山すぎる山に混ざっていて、とても買えない。
できれば、古いものは古いもの、新しめのものは新しめのものと分けて出品してもらえると
買いやすいのだけれど、と思う。
といいつつ、自分も出品するとき、ついつい大山にしすぎるので、
気をつけないと。

電車で鴨居羊子の自伝、読了。
時代の寵児というイメージを抱いていたのだが、
どうやら本人は孤独の淵を彷徨っていたようで驚く。
こんな自分は違う、あんな自分も違う、違う違うと思い続け、闘い続けてきた人なのか。
俄然、興味を持った。

ねこのうち1匹がどうやら膀胱炎らしく、獣医に連れていくべきか否か相談する。
あまりにも気持ちよさそうに熟睡していたため思いとどまって、
もうちょっと様子をみようかということにするが、どうだろう、明日こそ連れていくべきかな。

食事しながら、NHKスペシャル「白夜の北極圏・高さ1300メートルの大岸壁に挑む
伝説のクライマー夫婦」を観る。
凍傷で指を失くしてまで、なお挑戦し続けるふたりに、
はじめ「なぜ?」と信じられない思い。
が、挑戦中のふたりの表情をみてちょっと納得。
できないかもしれないと思っていたことに諦めず挑戦し続けて・・・。
努力の末ついに”できた!””やれた!”と思えたときの達成感、気持ちいいだろうなあ。
おふたりにとって、挑戦し続けていない自分はつまらないんだろうなあ。

私はライター業も古書店も自分に向いていない、向いていない
と思いながら続けてきたのだが、
挑戦しなくなる自分、トライし続けることに飽きてしまう自分こそが敵なんだろう。
本当の敵は自分の中にいる
・・・と。そんなことは、20年近く前、
某タレントのインタビュー中にも聞いたような気がするのだけれど。

番組を観ながらクライミングが面白いと言っていた”照井さん”の話を思い出した。
やってみたくなるのが怖いよ、わが性格。
いやいや、冬山と岸壁だけは私には無理でしょう、やめておきますよ。
せいぜい、春・秋の山、夏の海ぐらいにします。
ぼちぼち、野生イルカと泳ぎたい・・・。旅したい。うずうず。

って、こんな文章、つまんなくないですか。お目汚し、すんませんね。
明日は、ねこの様子を見ながら、洗濯をして、新着本の更新をしたい。
発送もします。買取の返信もします。先ほどメールが届いていた仕事の用件もやります。
せめて心だけでも、青空の向こうにぽーんと放ってやりたい。
年賀状はやっと3枚だけ出しました。

ブログでは年頭初のご挨拶になります。
本年もよろしくお願いいたします。

年賀状をいただきました方にも、
まだ返信ができないまま失礼しております。

都内病院で2度めの手術を受け、闘病生活を続けていた義理の叔父が
年末12月30日、逝去。
年始1月2日に故郷で通夜、3日に告別式となりました。

2度めの手術前、手を振って見送り、
麻酔から醒めれば話ができると信じていた家族。
それなのに、手術をしたのとは別の箇所で脳内出血が起こり、
意識は戻らないままとなり、家族の苦悩の日々が始まりました。
自発呼吸がほとんど見られなくなり、
「早くて3日、長くて1週間」と突然告げられた家族。
愛する人と別れなければならない苦しみ、たるや・・・。

叔父家族は生涯、転勤族でした。
だからこそ、かもしれないのですが、
出会った人とはすぐーー山手線や中央線の隣の席になった人とでさえーー
誰とでも気軽に話をするような人でした。
連れと結婚することになったとき、
田舎の親戚には「都会の女に騙されて?」と心配する人もあったようですが、
もっともフランクに笑顔で接してくれたのが叔父でした。
そんな叔父でしたが、転勤族ゆえ東京周辺にいる親戚は限られていたため、
せめて家族の話を聞く相手にでもなれればと、私たちはなるべく病院に通いました。

私なんかのこのこ行っていいの? と何度も思いましたが、近しすぎない半ば第三者のほうが叔母たちも気楽かもと自分に言い聞かせて。

何度も思い起こされたのは、
1度めの手術のあと、顔面の半分が麻痺していたため、
食事をぼろぼろこぼしながらも、なんとか食べて食べて生きようとしていた叔父の様子でした。
農業のことばかり考え続け、
その日も農薬問題を熱く私たちに語っていました。

そして、一縷の望みにすがりついてでも、
なんとかならないかと苦悶し、
何をどう考えればいいのか、混乱しながらも模索し続けていた家族のさまが
目に、耳に、焼きついて離れません。
意識が戻らない叔父のそばで、
「お父さん、頑張ってるね。頑張って偉いね」と、体をさすり続けた家族。
個室に移動できたこと、体のあちらこちらから出ている管を
とある看護師さんがきれいに整理してまとめてくれたこと・・・
ささやかな希望の灯であっても
「よかったね」「うれしいね」と愛しみながら、家族どうし励ましあっていました。
人工呼吸器を使っていたのですが、自発呼吸がときどき混ざるようになり、
「このままなんとかもってくれれば」と信じようとした家族。
最期の最期まで、「お父さん、意識がなくてよかったね。
意識があったら、熱くて、苦しくて、本人が耐えられなかったと思う」
と言い続けていた家族。

何が大事なのかは、よくわからないけれども、
人に与えられている時間は実に有限であって、
その日がやってくるまで、
わが道を這いつくばって進んでいくしかないのでしょうね。
いったい、自分に何ができるのかな。何もできないのかもしれないね。

いまだ私は混沌とした気持ちのままですが、
三が日を過ぎたことですし、ここらで、ちょっとだけ書いてみました。
経過は、連れがブログに綴っています。

そんなこんな。

相変わらず呑めば陽気になるコンコンチキっぷりを
すでにどんじゃか発揮している私ですが、
本年もどなたかに喜んでいただき、
自分自身も楽しくいければと願っております。

ああ、ついに美容院にも行けずじまい、明るい洗面所に行くたび白髪が目立つよ。
なにとぞ、よろしくお願いします。

cookyto.jpg

2013年9月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

アーカイブ