2007年1月アーカイブ

“CONSTRUCTION 建築土木史と都市史料”
港や書店 古書目録 33号が完成。
表紙にあるとおり、目玉は
台湾統治の遺品二つ
「台湾陸軍永久建築記念」写真帖
1930年代 台湾総督府
行政資料 及び 統計書。

石神井書林さんや港や書店さんが
市場で蒐書に励むお姿をしばしばお見かけする。
その成果が、毎号の目録に終結しているわけで。

石神井書林さんの目録にも感じたことだが、
一行一行に込められた迫真の思いが
しみじみ伝わってくるような目録だ。

気分転換もかねて、ちひろ美術館へ行ってきた。
「ノルシュテインの絵本づくり展」が
想像よりはるかによかった。
ノルシュテインの感想は
気が向けばまた改めて書くことにする。
連れの感想はこちらに。

昨日は、いわさきちひろの年表を見たりして、
彼女が「生身の人間」であったことを思い知った。
前にちひろ美術館に行ったときは年表を見る余裕がなく、
あんなにきれいな絵を描く人が、
壮絶な生涯を送っていたことを知らずにいた。

20歳、婿養子を迎えて結婚。夫の勤務地である満州へ。
21歳のとき、夫が自殺。
27歳、長野で日本共産党に入党。
31歳、共産党の松本善明と結婚。
48歳、夫が衆議院議員に。
52歳、十二指腸潰瘍になる。
55歳、癌で死去。

「知ってるつもり」ふうにいえば
激動の人生と言えるだろう。
天使のように可愛らしいお顔だし、
人あたりはひじょうに柔らかかったらしいが、
日記の一部が文庫に掲載されているのを見ると
気性は案外、激しかったらしい。
師事していた丸木俊ふうの絵を描くほうが似つかわしいのではと思う。
しかしながら、彼女が描く絵は、
あくまでも、子供の無垢さ、健康で純粋、繊細な部分だ。
ファンタジーの世界といっていい。

夫と自分の親と同居して介護もしていたらしい。
夫は仕事で忙しく、
家庭のことは彼女がひとりで切り盛りしていたようだ。

きれいな絵を描くのは、
日常生活において唯一の逃げ場だったのかも。
かえって、彼女の業の深さというか、
美しい絵にこめられた凄みを感じる。

もっといろいろ知りたくなり、
「ノルシュテインの絵本づくり展」
「ユーラシア・ブックレット アニメの詩人ノルシュテイン」
「ユーラシア・ブックレット ロシア絵本の世界 おはなしは国境を越えて」
「妻ちひろの素顔」(松本善明)
「いわさきちひろ 知られざる愛の生涯」(黒柳徹子 飯沢匡)を購入。
最後の文庫本には、
絵の教室で、生徒どうし順番に
裸像のモデルをつとめた話があり、
ちひろさんも裸になっていたことが書かれていた。

帰宅後、買取本の査定をする。
特別に読者から愛されていたらしく
キリトリが多い雑誌なのだ。
何十冊だか、キリトリや書き込みの有無を確かめるため、
ページをめくりながらノンブル(目次)を目で追う繰り返し。
何ポだろうか、活版の小さい数字を
追い続けて目が痛くなる。
古書店なら皆やっていることだろうが、
古本屋って地味な作業の繰り返しだなあと思う。
時代の寵児みたいに
脚光を浴びている古書店主はごくごく一部の人だし、
その人であっても、裏では
日々の地味な作業に追われているんだろうなあ。

出掛け図書館に立ち寄る。
先日、買ったばかりの「パッチギ! 対談集」を
持ち歩きながら読んでいたところ、なんと、その日の晩、紛失。
同じ本を二度買う気になれず、図書館にリクエストしたのだった。

本日の市場は、明治古典会。
N書店さんのアドバイスどおり、いつもより早く着いた。
いつもぎりぎりに駆けつけていたので、
早めに着いたというだけで、ちょっと余裕な気分である。

特選市ということで、出品数も人の数も多い。
福永武彦のまとまった草稿、初山滋の画稿などなど、
垂涎ものの出品も…。

海ねこの目的は、出品した商品が売れるか否か
行方を見届けること。
買いたいものは数あれど、
ここ何度か買いすぎているので、今日は買い控えるつもりだった。
ばんばん落札できたとしても支払いがきついので、
何件も入札したが、いずれも弱気な札ばかり。
他店に負けたにもかかわらず、
“まあいいや。支払いに悩まなくて済むから”
と、ほっとしてしまう自分が情けない。
支払いのことなど気にしないでバンバン買いたいものに入札できる
他店が心底、羨ましい。

もちろん、そんなことでは当然、買えるわけがない。
Woodcut(西洋の木版)関係の洋書を1本、どうにか落札したのみ。
この洋書の束には、とても素敵な本が何冊も含まれていたので、
良い仕入れになったと思う。
近々、海ねこにアップする予定。お楽しみに。

かなり欲しかったものは、数百円の僅差で他店に敗北。
悔しくないといったらウソになるが、
今日のところはよしとする。

本日は、買う気満々ではないので熱くならない。
熱くなれないので血沸き肉踊るような面白みはないが、
その分、ふだんより冷静。
どの店がどんな本にいくら入札しているのか、
また、どのような様子で本を見て選択しているか、
ふだんよりは周囲を見ていたつもり。

皆さん、本の値段をとてもよくご存知だと思う。
無知ゆえ、さほど人気がない本までも
勢いのみで
相場より高値でバカスカ買ってしまうのは、海ねこぐらいだ(涙)。

出品したものも、高すぎず安すぎず、
実に適正な価格で買われていった。
最終的に落札してくれた店の値を見て、
二番手の店がいくら入れたのか、だいたいの想像がついた。
もうちょっと高くなったら…と夢のようなことも考えていたのだが、
やはり皆さん、その品がいくらで売れるか、いくらで仕入れるべきか、
熟知しているのだ。
プロだから当然である。
こんなことに感心しているから「ぬるい」と言われるんだろうなあ。

市場でさまざまな店の人と話すのは、いつもながらに面白い。
出品されていた50年代ー60年代のロシア絵本をめぐって、
パージナさんと初めて言葉を交わす。
喇嘛舎さんからは、定例の飲み会にもっと来るようにとのお達し。
なぎさ書房さんからは、なぜかミルク飴を分けていただく。

古書会館2階は、月曜の中央市会への出品本がチョー大量。
仕分けする経営員さん、お疲れさまです。

地下では「趣味の古書展」開催中。
月の輪書林さんの棚から、串田蔵書を何冊か買わせていただく。
月の輪さんはマスク姿。ちらりとご挨拶したのみだが、お風邪だろうか。

ところで、来月、とある店の棚をお借りして、
海ねこの本を出張販売する計画がある。
2月は催事への参加もなくなってしまったし、
海ねことしても願ったりかなったり。
何を持っていこうか、今から楽しみ。
月半ばは立て込みそうなので、早めに準備したいと思う。
詳細がわかりましたら早めにお知らせしますので、
都内近郊の方、ぜひお立ち寄りいただけましたらうれしいです。

「肉体労働っていいよね
良く眠れるから」(「失踪日記・吾妻ひでお」より)

まさにそのとおり。
すでにもう睡魔にまとわりつかれている。

22日の市場(中央市会)で落札した38本+20冊を整理すべく、
運転して古書会館へ。
1本20冊と計算すると、概算750冊から800冊ほどだろうか。

N書店さん、ノミラくんにアドバイスしていただいた言葉を
思い出しながら整理を進めていく。
N書店さんの適切なアドバイスには
どれほど多く助けられているかわからない。
酔ったノミラくんは私をケチョンケチョンにけなすばかりだが、
シラフのノミラくんは親切だし、アドバイスも的確。

カーゴ1台山盛りだった本を、
カーゴ2台使って分類・整理していく。
フクシくんがカーゴを
「台がわりに使ってください」と運んできてくれたのだった。
ところが、要領が悪い私は、床に本を分類しながらどんどん積んでしまって、
床いっぱいに本の山が広がってしまう。
途中で、積み上げた本が雪崩れてきて背中を直撃。
(ちなみに頭だと脳震とうを起こしそうになる)
「いったーい!」と声をあげても、だれも助けてくれない。
上を向いても横を向いても、周囲はカーゴの鉄格子。
会館2階の仕分け場はぎちぎち満杯で、カーゴとカーゴの間で
ぽつんと整理している自分は、話す相手もなく、聴く音楽もない。
どこか離れた場所から
「いてー!」と他店らしき男性の声がする。
やはり雪崩れてきた本が当たったらしい。

夕方、資料会終了後の本が降りてくる時間になり、
フクシくんにセカされる。
合間に資料会を物色し、とある児童文学作家の全集を落札。

運転しながら、あれこれ音楽を聴く。
一昨日、昨日…、ここ最近いろいろな人から言われた言葉、
メールに書かれていた言葉、
ブログのあの一文、
本で読んだ一節など思い出し、
反芻しながら運転し続ける。
人の口から発せられた言葉、
もしくは人によって紡がれた言葉の重み。
あの言葉、好きだったな、
ちょっと思わせぶりで勘違いしそうになるよな、
言葉の裏にある真意は何だろうか…などなど、
ぼんやり考えながら、
びゅんびゅん行きかう車に混ざって運転し続ける。
今日も、人の言葉を咀嚼しながら生き永らえている。

急ぎで本が必要だという新聞社の方からのご依頼で
明日25日、バイク便の人に本を渡す約束。
午前中にきちんと用意しておかなければ。
夜は取材だ。取材する側でなく取材していただく側。
緊張するなあ。
車で行くので、アルコールの力を借りられない。
借りずとも普通に話せるようになりたい(どんなやつだ、ワシ)。
明日は、どんな言葉と出会うのだろうか。

古書ファンなら皆様、とうの昔からご存知だろうとは思うのだが、
石神井書林古書目録である。

71号(2007年2月)、巻頭は写真中心の18ページなり。

解説があちらこちらに入っていて、
面白い。読ませる目録だ。

巻末に
「いただきましたたくさんのご注文を励みに、
本年も蒐書に懸命でありたいと思います」との言葉。

紙の目録でなくてもいいのだが、
自分がつくりたいのは、こういうものだなあと思う。

と、志はあるのだが、
現状はというと冴えない日々に埋没している。
冴えない理由は、こうありたいと願う像と
そうなれない現実とのギャップにあるように思う。
いくつになっても、追い求めるものにたどりつけず、
鬱屈する思いをどう発散していいのか、いまだにわからない。

あれやこれや、とある場所に書き散らしているうちに、
ネット上に公開できる内容ではないかも、と、はたと気づく。
ネットで公開するならだれが見ているのかわからない、
充分すぎるぐらい気をつけるようにと
近しい人から言われていたのに、
気づいたら自分で自分の首を絞めている。
読んでほしくない人に読まれたくないなら、
ひとり日記帳に書けばいいのだ。
読んでほしくて、こそこそネットに書き散らすなんぞ、あほあほ、
さびしがりのこんこんちき、だ。
書くなら堂々とブログに書けばいいのだ、これからは。
もっと堂々と歩いていきたい。
今夜は「失踪日記」でも読んで眠ろう。

19日は、明治古典会へ。
金曜・月曜とも一度休んでしまったので、
久々という気がする。

「絵画・写真・建築 他 美術書 カーゴ2台分」ということで、
アート関係が4階にたくさん出品されていた。
海ねこも1件、2本分、落札。
3階では中原淳一関係14冊を落札。
1万円未満は上値と下値の2通り、
1万円以上は上値・中値・下値の3通り、
落札希望価格を書き込める仕組みだが、どちらも下値で落ちた。
1週間休んだだけでもカンが鈍るのだろうか、
高く入れすぎたようだ。
でもまあ、買えてよかったと自分に言い聞かせる。

前に中央市会で落札した分を支払いにいく。
19日に落札した分をまた来週、支払わないといけない。
諭吉が飛んでゆく。さらば、諭吉。

終わりかけ、他店がどんな本をいくらで落札したのか
見てまわる。これがとても勉強になるのだ。
N秋さんが落札した古い絵本、ああ、これいいなあと
勝手に見させていただく。
玉晴さんに「それ、買ったの。それ、いいよ。
めったに見ないよ」と言われる。
ノミラくんも「買ったんですか」と寄ってくるが
「違う違う、買ったのは私じゃなくてN秋さん」と言う。
さすがN秋さんはよく見ている。
自分がこの絵本に気づかなかった、見落としていた、
とは口が裂けても言えない(書いて懺悔した)。
おまえの目は節穴か、と、自分を呪う。

徳尾書店さん、股旅堂さんと食事でも、ということになる。
石神井書林さん、港や書店さんがそば屋に食事をしていくので、
よかったらどうと誘っていただき、5人で話す。
長年、自家目録を中心に活動している石神井さん、港やさん、
そして、
自家目録第一号を出したばかりの徳尾さん、
目録に関心がある股旅堂さんと私、ということで、
自家目録の話題など。

徳尾書店さんの自家目録第一号には
写真900点以上が掲載されて、ひじょうによく作られていた。
聞けば聞くほど感心することばかりだが、どおりで目録づくりに慣れているわけだ。
以前勤務していた佐藤書房時代に、ずっと目録を作ってきたそうだ。

「華宵叙情画集」全3集(昭和4年)を3冊、苦心して集めた話に刺激を受けた。
1冊めは、華宵が好きで、もともと所有していた。
2冊めは、目録に華宵を掲載したくて3冊揃えられたらいいな
と念じていたら、運よく市場に出品されていた。
「高く買いすぎたね。うちでいくらで売ってるか知ってる?」と
他店さんに言われたそうだが、3冊揃えて目録に
掲載するんだからいいんだいいんだと自分に言い聞かせたらしい。
できることなら3冊揃えて、目録のあのページの
あのスペースに掲載したいと夢のようなことを思っていたら、
あちらこちらの市場をまわっているうち、
ついに埼玉の市で3冊目を見つけたらしい。

最近は、自家目録に掲載する珍しい本を探すため、
神保町の市場ばかりでなく、神奈川や埼玉にも顔を出している。
4月、大阪で開催される全古書連の大市にも行きたいのだという。

自家目録を自分がつくりたい本・つくりたい構成で
埋めたいという気合・気迫が、彼のモチベーションにつながっている。
欲しい本を探し続け、買い続けるためには、モチベーションの維持が必要だ。
私にとっても課題。
年は若いけれども、経験豊富な徳尾書店さん
股旅堂さんのやる気におおいに刺激していただく。

目録に関心があるので、
石神井書林さん、港や書店さんに自家目録をお送りいただきたいと
勇気を出してお願いする。

終わって、銀座へ。
銀座7丁目・月光荘画室で22日まで開催中の
羊毛倉庫スズキチアキ×poppetドモンユウコ
「イーハトーブの人形たち」展をみにいく。
宮沢賢治の世界を、人形で表現しようというのである。
チャレンジングな試みだと思う。
丁寧に丁寧にこしらえてある羊毛フェルト人形に見入る。
全長20センチにも満たないような小さい人形なのだが、
ドモンさんの解説によれば、
ストールはカシミアの手織りだったり、
セーターは母上の手編みだったり、
小道具のドングリは友人の手作りだったりするそうだ。
ご本人の思い+さまざまな人の思いが「作品」として結実している印象。

羊毛のぬくもり、
ディテールまで心をこめてつくられている丁寧さ、
揺ぎない安心感がそこにある。
よいものを見せてもらった。
心がほっこりしてくる。
市場で高く買いすぎただろうか、
なぜあの絵本を買わなかったのだろうかという
ちっぽけな悔やみを束の間、忘れる。

スズキチアキさんに
「カッコいいおねえさんですねー」と言われた。
カッコいいだなんて生まれて初めて言われた。
最初で最後かもしれないので、日記に書いておこう(笑)。

そろそろ仕事をせねば、なので、あとは駆け足になるが。

高円寺・円盤で「上野茂都 月例ひとり会」。
上野さんのHPはこちら。
招き猫を見てみたい。
ライブの様子は連れがブログに書いているので、そちらをどうぞ。

円盤でご一緒させていただいたスーさんと3人、
コクテイルへ。
スーさんの話がひじょうに心に響いてきたのだが、ここには書けない。
泊まり客のため、
ザラメを使ってビーフシチューを煮込んでいるスーさんであった。

金曜晩のコクテイルはひじょうににぎわっていた。
人の声がどわわーんと暖かく渦巻いていた。
週末、リラックスした様子で語り合う人の声っていいなあと思う。

魚雷さんとはいまだ緊張して、うまく話せず。
酔ったノミラくんには相変わらずやられっぱなし。
コクテイルでバイトしているコウケさんに作品である写真を見せてもらう。
ハンドルネーム(?)を教えてもらったのでネットで日記を読んてみた。
勢いたっぷりで、ひじょうに面白い。
夢と不安いっぱい、はちゃめちゃだった
自分の二十代のころを思い起こさせる。
「でも、私はもっと暗いところがあったかもね」と家人に聞くと、
「彼女だって明るいばかりじゃないよ、書いてないだけだよ。
明るいばっかりの人なんていないでしょ」と言われた。

上野子ども図書館で開催中の
「北欧からのおくりもの」展(1月28日まで)に、ようやく行った。
前日、皇室のかの方がご来場になったと新聞に報道されていたので、
混雑しているのだろうかと思いつつ…。

さほど混雑というほどのことはなく、
建築の見学に来ていた団体さんが目立ったが、
あとは個人で来ている人がぱらりぱらり。
二人連れの熟年女性の会話が耳に入ったのだが、
スベン・オットーの作品を翻訳したことがあるとか。
仕事でなのかご趣味でなのか、どなただったのだろうか。

北欧神話、カレワラの古書から、現代の作家のものまで、
同館が所蔵する北欧の子どもの本320点ほどが展示されていた。

トペリウスがすでに昭和17年、翻訳されていたことを知る。
「小鳥の歌と物語」(実業之日本社 萬澤まき・訳)

海ねこで扱ってきた本も何冊か見た。
そう何度も入荷しそうな本ではなく、
ああ、この本は今度いつ入荷するんだろうか…と遠い目になる。

なじみのある絵本作家のものもあれば、
「自転車に乗る蚊のエーゴン」「ベニーのバスタブ」
のフレミング・クヴィスト・メラーなど、中を見てみたいと思わせるものも。
フィンダスの原作本も展示され、横には
スヴェン・ノードクヴィストが83年に出版した
「アート・エーマンとアルファベット」が並んでいた。

最近のロシア絵本は、北欧の絵本の影響を
かなり受けているのだろうなあと、ぼんやり考える。

なかなか興味深い展示だったのだが…。
いかんせん、電車で増田みず子の処女作
「死後の関係」に没頭していたのがまずかった。
しかも、読みきっていなかったため、
「死後の関係」に描かれた人物たちの行方が気になってならない。
一巡してはみたものの、心ここにあらず、
解説文の文字がちっとも頭に入ってこない。
増田みず子の文章にひきずられ、
魂までもっていかれてしまったかのようだ。
困り果てて、いったん廊下に出て、
眼下に広がる冬木立をぼーっと眺める。
再度、展示を見てはみたものの、
増田ワールドの吸引力にからめとられ、どうにも集中できず。

夜は、新着本を更新。
以前、人から薦められた
「パッチギ! 対談篇」をセブンアンドワイに注文した。
送料がかからず、近所のコンビニで受け取れるので便利だ。

明日は久々の市場。
支払いも待っている。
またしても支払い続きの月末が近づいてきた。
ここらで、まとめて市場に出品して支払いに備える?
一瞬、血迷いそうになるのだが、
3月ごろから古書展の目録づくりが立て続きにあることを思うと、
どれをどう市場に出すか考えものである。
市場に出品するよりは、できれば自店サイトで売りたいし、
そうはいっても各種支払いも待っているし、
近々、買取でかなりの出費がありそうだし、バランスが難しい。

新着本を10冊アップしました。

いつでしたか、南部のとある店の人から
「海ねこさん、1冊更新するのにどのぐらいかかるの?」
と聞かれて
「結構かかりますね。1日に10冊ぐらいがやっとですかね」
と言うぐらいしかできなかったのですが。
「そんなに時間がかかるんじゃ、
更新するのがイヤにならない?」
と聞かれたので
「そうですね。ときどき億劫になることがありますね。
でも、お客様からも紹介文が参考になるとおっしゃっていただくことですし、
今さらやめられないんですよね~。
最近は、本によっては解説文なしもありますよ」
と、もごもご答えました。

その店の人は、アマゾンマーケットプレイスに
ぱぱっと登録すると、
本によってはものの数分で注文が入るとのこと。
さすがだなあ、と、ぐうの音も出ない感じですが。

確かに、効率という面からすれば、
海ねこのやり方はアウトー! でしょう。
非効率というしかないのかもしれません。

たとえ500円の本であっても
何か説明を書こうとすると
そう短時間では書けないですし。
時給計算などしてみようものなら(怖くてしたことないですが)、
ううむ、中学生のバイトよりもっと低いのでは。

それでも、うちがここまでどうにか続いてこられたのは、
効率とはまったく逆ですが、
1冊1冊、どうにかして解説文をつけてきたことも関係があるような気がします。

ずいぶん前に紹介した本であっても、
文中にある著者名、キーワードなど検索エンジンをたどって
全国のあちらこちらからご注文をいただきます。
本当にありがたいと思っております。

店主としても、積み上げてあった本の山をより分けて
1冊1冊に目を通しながら紹介文を書く儀式を経て、
商品化していく作業が嫌いではありません。

時代に逆行しているのかもしれませんが、
まあ、こんなやり方があってもいいんじゃないかと。

海ねこに何か新しい本が入っていないかと
チェックしてくださる方のためにも
もっとこまめに更新していきたいと自分に言い聞かせております。
二日酔いになって1日ムダにしてしまう回数を
多少なりとも減らしたいと。
海ねこのイメージと違うかもしれませんが、
まあ、そんなことも思う夜です。

不在

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夜の帳がおりる。
帰りくる人もなく。
行くあてもなく。

ときどき、ふっと
実体と虚像との境目がわからなくなる。
目が覚めたら、すべては夢か幻か、はたまた…。

いくつになっても、
さまよえる船、迷い子のようだ。

ねこのぬくもりだけが確かな温度。

僕は生きているんだろうか。

起き抜け、部屋の換気をして
ぼーっとしたままPCの電源を入れる。
お湯を沸かしてコーヒーを入れる。
メールを確認。
ブログだのmixiだの、新たに書かれている文章を読む。
錯覚かもしれないが、世界とつながっているなあと胸を撫で下ろす。

昨夜は、仕事を終えて、つかの間のお酒タイム。
沼辺信一さんがブログで紹介なさっていた
「子供のために Pour les enfants
~花岡千春タンスマンを弾く」が聴きたくなり、アマゾンに注文。
だいぶ前に買って積んだままだった
村上春樹訳「グレート・ギャツビー」を読もうかどうしようか、家人と話した。
トムズボックスの「もたいたけし文庫」を家人に見せてあげる。
矢野顕子「えがおのつくりかた」を見せてもらう。

「えがおのつくりかた」をパラパラめくっていく。
奈良美智との対談、大貫妙子との対談、NYでの暮しぶり、
自宅写真、スタジオ写真、愛猫4匹の写真…。
“矢野顕子”に生まれなかった自分を無念に思う(笑)。
へえ、質のいい蝋燭はススが少ないのね、
いいなあ、アロマキャンドルかあと思う。

ぐるり・岸田繁と矢野顕子の仲良しぶりに羨望と嫉妬(何ゆえ?)。
「坂本美雨 かあさまをめぐるQ&A」にあった一文にきぃーっ(笑)。
「くるりの岸田君と知り合ったのは私のほうが先なのに、
いつのまにか取られて。
トランク持ってNYの家に帰ったら岸田君が『お帰り』って。
『へっ、どういうこと?』って」
(無断引用。
さらに読みたい方は「えがおのつくりかた」をご購入ください)

毎日、幾度となく、仕事の合間にさまざまな人のブログを読んでいる。
そうね、読んで楽しいのだから、自分もどんどん書けばいいね。

“おお、百年さんは積極的に市場に行っているなあ、買取も頑張ってるなあ”
“日月堂さん、いいものを仕入れてますねえ”
…活発に動いている店の様子を見ると、
海ねこの新着がとまっているのが悔やまれる。
新着本のペースが落ちると、HPへのアクセス数が落ちて、
まんま売り上げに影響してくる。手抜けませんわ。

あと数日お待ちください。
昨年、買取させていただいたあれもこれも、更新待ちのままだ。
まずは、目の前の仕事を片付けて発送して…。
まもなく、海ねこも動かしていきますので。

あまカラ115号、お探しの方がいらっしゃいます。
百年さんにないかなーと思って電話してみる。
樽本さんは今ごろ中央市会だろうなあと思いつつ。
115号をお譲りいただける方、ご一報いただけますとありがたいです。

オンライン古書店を続けて3年8か月。
日々の地道な作業を続けながら、ふと気づいたことがある。
お客様のおかげで、点と点がつながって線になり、
線と線がつながっていき、
やがてひょっとしたら面になるかも? と思えるような面白みを感じつつある。

お母様の遺品をご処分されたいという中部地方のお客様がいらっしゃる。
知的好奇心旺盛だったお母様のお人柄がしのばれるようなラインナップだ。
当店としては欲しい雑誌が含まれていたので、
ありがたくも懸命に買取の見積もりを提示させていただいた。
数日たってもお返事がなかったので、見積もり提示額が安すぎたのだろうか、
もうダメかなと思っていたところ、
今さっき、ご承諾いただけそうなお返事をいただいた。

と同時に、思い浮かんだのは、九州のとあるお客様のことだ。

最近、この雑誌周辺に何度か続けてご注文いただいている。
初めてご注文いただいた品は、
この雑誌にしては類い稀なほど美品だったのたが、
あいにくキリトリありだった。
もちろん隠すことなくHPに明記し、
事前にもご確認いただいたうえでお買い上げいただいたのだが、
数日後、届いたのは、嘆きのメールだった。
なんとキリトリ部分は、
お客様がこよなく愛されているタレントさんの写真入りページだったのだ。
何のページがないのか、きちんと表示すべきではないか
というクレームだったのだが、
雑誌の価値を評価していらっしゃり、
悲しいけれども返品の依頼ではないとお書きになっていた。
私がお客様の立場だったらどんなにか無念だっただろうと、心が痛んだ。
自分に出来るのは、心が痛んだ思いをメールすることだった。
寛大にも、同じ方からその後何度か追加ご注文をいただいている。
毎回、お望みのページがきちんとあるかどうか十二分に確認し、
できるだけ丁寧にお伝えするようになった。

クレームのメールをいただいたおかげで、
お客様が何を望んでいらっしゃるのかよくわかり、
他人(点)と他人(点)がつながることができたのだった。

今度は、中部地方のお客様からの買取が、
九州のお客様のお役に立つかもしれない。
本を介してのやりとりなのだが、
人と人のやりとりを重ねながら点と点がつながっていく思いがして、面白みを感じる。
偶発的なことも積み重なってみると意味合いが生じることがあるだろう。
まったく手探りながら、見えない何かを紡いでいくような心持ち…。
人から見たらお笑い草かもしれないけれども、
♪I’m a dreamer…だねえ。

ところで、ちょっと立て込んでいるため、
明日の中央市会は行くことが難しいかもしれない。
本当は行きたいのだ。
映画に使う小道具として、
とある時代の児童文学全集の探しものを依頼されているし、
ご依頼の方もお待ちだろうと思う。
何かないか探しにいきたい…。

値段にしたら、たかだか2千、3千円程度のものだろうから、
なぜ懸命に探そうとするのか、他店の人から見たら不思議だろうと思う。
映画の小道具だからこそ頑張って探したいというのとは違う。
ご依頼の方からいろいろお聞きするうちに、
この時代、日本の出版界でどのような児童文学全集がつくられていたのか、
私自身がひじょうに興味を持つようになりつつあるのだ。
市場に行くと“あれ、こんな本がつくられていたのか”
とさまざまな発見がある。
イタミがある本であっても、きちんとつくられた本を手にしていると、
当時の編集者たちの気持ちまで伝わってくるように感じる。

最初、点だったものが、人とやりとりをしていくうちに熟成していき、
線となりつつありそうな手ごたえ。
目に見えないけれども、あるんだよー、だ。
こんな感覚を得ることが興味深く、また市場に通うのかもしれない。

人は、ほかのだれかのためにどこまで頑張れるものだろうか。
だれかのためになれる喜び・張り合いというのは確かにあるのだろう。
だれかから必要とされてこそ、やっていてよかった、
生きている意味があったと希望を覚える瞬間があると思う。
ただ、長年続けていくうちにしんどいときもあるだろうから…。
けっしてだれかのためではない、
自分が面白いからやっているのだと思えるからこそ、
貧乏も面倒も煩うことなく(ときに煩ってはいるが)
古本屋を面白がって続けていられるのだろうと思う。

ちょっと優等生っぽいことを書いちゃいましたが、
実は、目の前の仕事が進まない気分転換なのでした。
天気がいいと、ただそれだけで気分がいい。

「徳尾書店」と書いて「とくの お しょてん」と読みます。
一昨年9月に、八王子・佐藤書房から独立して1年と数ヶ月。
「漸くここに最初の目録を発行することが出来ましたのでお送りします」
と書いてあります。

記念すべき目録第1号のテーマは
「戦前戦後の漫画・挿絵とその周辺」。

すべて書影入り(巻頭8ページはカラー写真)で
見ごたえ充分。

小宮山書店の目録は、小宮山さん自身が
パソコンソフトを使ってデータ入稿しているようでしたが、
徳尾さんはどうなのかな。
名簿はどうしたか、お金はどのぐらいかかったのか、
今度市場でお会いしたら聞いてみよう。

いいなあ、おもしろいなあ。
私も、こういうのやりたいなあ。
目録づくり、私は好きだと思います。
実店舗もいいけれど、海ねこは目録でいくかも。
雑誌をつくるような感覚で。
紙の目録は高くつくなら、HP上で企画を組んででもよいのかも。
そんな気がしてきました。
各店舗の目録を見て研究してみたくなりつつあります。

ちなみに、店主の近況もちょこっと。
軽い風邪ぎみですが、
日々、発送と受注をこつこつやっております。
弱気だ弱気だという人もありますが、
個人的には、小さな胸をはって、せめて堂々としながら生きたいと。
今の心境はそんなところです。

新着本もそろそろやっていきたいところですが、
週末から週明けは立て込みそう。
買取の対応がたまっていて、年末にお問い合わせいただきました分に
ようやく、まもなくご返答差し上げられます。
お待たせしている方にお詫びいたします。

雨の中、海ねこに届いたパッケージ。

包装紙をあけると、その中には。

“海ねこちゃん”スタンプがふたつ。
製作してくれたpoppetさんに感謝。
お客様に本をお送りするとき、愛用させていただこうと思います。

さて、そのpoppet ドモンユウコさんですが、
新年は、人形の作品作りに追われていたらしい。

というのには、理由があって。


↑画像をクリックすると、少し大きくなります。

羊毛倉庫スズキチアキ×poppet ドモンユウコによる
「イーハトーブの人形たち」展が
1月16日(火曜)から22日(月曜)、
銀座・月光荘画室5で開催されます。
11時から18時(初日は13時から。最終日は16時まで)

中央区銀座7-8-15
新橋会館別館ビル3階
電話 03-3571-1116(会期中のみ)
お問い合わせ 月光荘画材店 03-3572-5605

「十力の金剛石」「猫の事務所」「銀河鉄道の夜」
「水仙月の四日」など、
羊毛フェルト人形で宮沢賢治の世界を展開します。

下記、2通りのワークショップもあります。

「羊毛倉庫の羊毛フェルト人形Q&A」
“作りたいものがあるけど、どうすればいいのかわからない”
人に個別で技術的な対応を。
期間中、最終日をのぞき17時まで。予約不要。
参加費用 1時間千円。または時間無制限2千円。

「poppetの羊毛フェルト指人形」
初心者を対象に、poppet特有の大きな指人形を製作。
3種類からお好きな人形を選ぶことができます。要予約。
1月20日(土曜)・21日(日曜)両日13時から15時。
参加費用3500円(材料込み) 定員・各6名。

詳細はpoppetブログを。

昨日の朝日新聞朝刊で
フィリパ・ピアスの訃報が報道されていた。
86歳。
AP通信によると、昨年12月21日、脳卒中のため死去。
このほど出版社が明らかにした、とのこと。

「トムは真夜中の庭で」は、
いつだったか、秋元康さんが雑誌で推薦していた記事を機に、
読んだ記憶がある。
子供のころではない。
成人してからのちのこと。
成人してから読んでも、物語の世界にぐいぐい引き寄せられた。

フィリパ・ピアスについては、ほかの方がいろいろお書きになるだろう。
沼辺信一さんのブログをぜひご覧ください。

昨日1月5日は、初市だった。
明治古典会。
出品期間が短かったため、品物が少なかった。
三島由紀夫の生原稿を少し読む。
こんな字だったのだな、達筆ではないと思う。
「思ふ」が「思う」など、
旧字体が新字体に赤字で直されているのに関心を持つ。
その横にあった「性と~」という生原稿は、だれのものだったか失念(情けない)。
字に魅力がある。
あの有名な文章の生原稿がここに、と、わくわくする。

古書のやりとりという以上に
組合員どうし新年の挨拶をする場といった趣だったので、
そこそこに挨拶をかわし、昨年末に落札した分の支払いを済ませて、
まもなく退出。
開店間もない石田書房さんにお邪魔する。
店主・石田さんは年末、風邪で臥せったようだが、
もうだいぶお元気になっていた。
引越しすぐのころからお邪魔していたので、
当時のガランとした光景が目に焼きついている。
石田さんの努力あって、店は整い、
並んだ本が1冊1冊息づいている。
生命を吹き込まれたお店はこれほど変わるのだと学んだ思い。
逆にいうと、手をかけないと店はじき抜け殻になってしまうのだろう、
海ねこもどうにかしていかないと。

石田書房は錦華通り、旧ナウカの北側あたり。
中国茶のファーストフード前、がらんどうの隣です。
いい店ですよ。皆様、ぜひお立ち寄りくださいね。

近くで遭遇した石神井書林さん、港や書店さんと食事。
あとから石田さんも加わって。

店舗をやってみたいなら、
自分がやったらどうなるのかシュミレーションを考えてみればいいと
アドバイスしていただく。
売り上げが高い店は高い店なりに、
低い店は低い店なりに、毎日毎日、売り上げを気にして
その呪縛から逃れられないことも聞く。

石神井さんも港やさんも、
ほとんど目録販売のみで店を展開していると聞いて、
どうしてそんなことができるのだろうかと。
目録の魅力に開眼しそう。

市場ではついつい熱くなってしまう。
帰ってから、なんでこんなに高く買ってしまったんだろうと
熱くなってしまった自分を悔やむ話。
いやしかし、どうしても欲しいものがあって、
ついつい高く入れてしまうほどでないと、
市場として活気がないだろうし、魅力がないのでは、という話など。

日本の古本屋で注文があった本をとりに、
五反田の南部古書会館へ。
遠藤書店さんと新年のご挨拶。
前日4日からの営業だそうで、お客様も結構いらしたとのこと。
遠藤書店さんのご商売ぶりには
今年もいろいろ学ばせていただきたいと思う。

ロッカーに詰め込んだ本をよいしょよいしょと
いったんすべて出しながら、注文本を必死に探す。
ところが、なんと。
がっくし。なかった…のである。
在庫管理がいかにできていないか、ということ。
我ながら情けない。

五反田展ですでに売れてしまっていたのだ。
五反田展で売れた本をきちんと整理して、
HPや日本の古本屋からはずす作業さえ済んでいなかった。

無駄足だったと思いたくないので、
ロッカーに詰め込んであった本の一部、
南部の振り市に出品してくる。

帰宅して、梱包につぐ梱包。
発送を終え、倉庫に注文本をとりにいく。
帰宅して、家人がこしらえた遅い夕食をとる。
発送メールは日を改めてからになってしまった。
皆様のもとに、本が無事に届きますように。

6日は雨なので、落ち着いて海ねこの作業に集中できそうだ。
なんとかもうちょっとどうにか
魅力的に店を展開していきたいと思う今日このごろ。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年夏に発売になった「いままでのやのあきこ」を
改めて聴く。
disc3としてついている「DVD」が大変すばらしい。
買っていない人、買ったほうがいいかも、よ、
と、よけいなことを言いたくなるぐらい。

「クリームシチュー」は世界平和に通じる曲だと再認識。
槙原敬之による名曲だが、
矢野顕子がグローバルな曲に高めた印象。
好きな人がいる人に。
そして、イラクとアメリカのすべての人に
聴いてほしいぐらい。
好き好き、大好きな曲。
大声で歌いたいぐらい好き。

同じディスクに入っている
ピーター・アースキンによるドラムは、
音数が少なく、無駄がまったくない。
厳選された音。日本の侘び寂びに通ずる世界と思う。
チャーリー・ヘイデンのベースは謳う。
太く謳うベース。

すぐれた藝術に助けられ、
生きている印象ですよ。
ちっぽけな人間にまでも生きていく喜びを教えてくれる。
まったく、ありがたいことでございます。
(追記。だいぶ飲んで書いてしまいました。
暑苦しくて、恥ずかしいです。失礼しました)

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