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 好き嫌いのハッキリ分かれるチャールズ・キーピング。
実は、海ねこは、かねてより心ひかれて集めてまいりました。
万人受けするものよりむしろ、好きな人はたまらなく好き、といったものが個人的には好みです。
そういうものこそ、扱っていきたい。そんな店があってもいいじゃないですか。
 嫌いな人に別に無理に押し付ける気はありませんが、
ご存じない方には、一度お手にとってみては、と思う次第です。

 絵柄の重苦しさ、一筋縄ではいかない難解さ、などから敬遠する人もいるのですが、
これほど、繊細にしてダイナミック、
詩的ともいえる独自の世界観を貫こうとした人もいないのでは?
光は闇があってこそ輝く、闇あってこその光、いう話を思い出させられます。
 長年、じっくり支え続けたOxford University Pressもスゴイと思う。

 チャールズ・キーピング(Charles Keeping 1924年~1988年)は
ロンドンの下町、ランベス生まれ。
14歳のとき印刷所へ奉公に出され、技師として働いたのち海軍へ従事。
海軍退役後の5年間、リーゼントストリート工芸学校で、リトグラフ、エッチングを学びました。
そののち、作家として活動しながら、同校で石版を教えていた時期も。
 サトクリフ作品の挿絵などでも有名ですが、自ら文章・絵ともに手掛けた絵本も多数。
絵本では、自身の少年時代の体験をもとに、多感な子どもの心を描き続けました。
一貫して舞台としたのは、自らが働きながら生まれ育った下町でした。

"Charley, Charlotte and the Golden Canary"(日本語版「しあわせどおりのカナリヤ」)で1967年ケイト・グリーナウェイ賞、
また"The Highwayman"1981年にも同賞を受賞。
1975年には"Railway Passage"(日本語版「たそがれえきのひとびと」)でBIB金のりんご賞を受賞しました。

ごく一部ではありますが、作品を紹介します。

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↑"Charley, Charlotte and the Golden Canary"1967年。
日本語版「しあわせどおりのカナリヤ」。
移り変わってゆく街に暮らす少年少女。カナリヤを通して二人は・・・。
もっとも入りやすいので、キーピングの入門にもオスススメ。

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↑"Alfie and the Ferryboat"(日本語版「アルフィーとフェリーボート」)1968年。
テムズ川の川岸、砂糖工場の裏に住むアルフィー少年。
毎週金曜ごとにやってくるバンティおじさんは、すりきれたレコードを古びた蓄音機でかけます。
そして、船乗りだったころ、冒険をした話をしてくれました。
キーピングのおじいさんも、やはり船乗りで、すぐれたストーリングテラーだったそうです。
日本語版は、神宮輝夫・訳。

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↑"The Christmas Story"1968年。
カバーにはこんな紹介文が。
Charles Keeping has been illustrating books for  about twelve years,
and has come to be recognised as one of the outstanding English artists in this field."
(キーピングは12年間ほど、絵本を作り続けてきて、
この分野において、卓越した英語のアーティストの一人として認識されるようになってきました")
やはり、個性的すぎるというのか、英国でも、そうそう簡単に売れたわけではない、ようです。

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↑"Joseph's Yard"(日本語版「ジョゼフのにわ」)1969年。
れ果てた庭に1本のバラを植えた少年のお話。
ようやく育ったバラのつぼみを目にしたとたん、ついつい大好きなあまりに摘みとってしまい、
バラをダメにしてしまった少年は・・・。

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↑"Through the Window" (日本語版「まどのむこう」)1970年。
ジェコブ少年が「まど」を通してみた、現実とも夢ともつかない1日の出来事。

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↑"Richard"(1973年)。
スコットランドの警察馬として働くリチャードを力強くも優しく、独特のタッチで描いた作品。

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↑"Wasteground Circus"(1975年)。
さびれた街にサーカスがやってきたさまを、二人の少年の目を通して描いています。

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↑ほとんど文字がない不思議な絵本"Inter-City"1977年。
メトロで移動する人々の様子、
そして、窓によりかからないで、と小さく書かれていますが、
心の窓から眺めたかのような心象風景・・・。

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↑"Willie's Fire-Engine"1980年。
消防士に憧れる少年ウィリー。
でも、実生活でのヒーローは、ミルク売りおじさんミックでした。
ミックがやってこない日が続いて・・・。
同じくミックを探す少女と出会います。
怖いけど、目を離せないような・・・。
キーピングの絵本にはいつも驚かされますが、これもまた、一体なんという絵本なのか。

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↑Adam and Paradise Island"1989年。
巻末に"Charles Keeping 1924-1988"として、
オックスフォード大学出版のために30年以上、イラストレートブックを作ってきたこと、
キラリと光る、オリジナリティーあふれるアーティストとして広く認められていること、
1988年5月16日に亡くなったこと、
これがオックスフォード大学出版にとって
キーピング、最後の作品であることが記されています。

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リクエストをいただきましたので、画像をこちらにアップしておきます。

昭和21年11月、宮島書店より発行。
ホッチキス綴じのいわゆる「ペラペラ本」です。
B5 20ページ 当時の定価9円

画像で見ると、かなり立派なものを想像されるかもしれません。
しかしながら、現物は、いってみれば薄っぺらで、かなりちっぽけです。

戦後、それまでにこらえており、
溢れんばかりのエネルギーを爆発せんとばかり、
たくさんの絵雑誌が発行されました。その勢いは、まさに「雨後の筍」の如しでした。
紙不足の折、たとえ粗末な紙であっても確保するのが、それぞれ精一杯だったようです。
文章には、何十年もかけ、なんとか美しいバラの花を咲かせようとした人の心が綴られ、
初山滋の思いが紙面いっぱいに描かれています。

発行から65年を経た今日、なかなか見かけない本となりました。
おそらく当時の発行部数もさほど多くなかったのでは?
もともとの紙質が良くないですから、
ヤケも背スレ、ホッチキス錆もあります。それでもよくぞ残っているものだと思います。
海ねこが古書市場で見たのは、これまでに2度のみです。
きちんと買う古書店があり、きちんと買うお客様がいらっしゃるおかげで、
たとえ造本が粗末であっても、煤けたペラペラの本であっても、大事にされます。
そうして、古書は人の寿命をたやすく乗り越え、時代をまたいで受け継がれていきます。

「少女らよ、うつくしくあれ、
あかきばらの花とさけ、
うつくしきもののいのちは
あめつちのなかにはてなし」(表2の詩より)

金子彰子さんの詩集「二月十四日」。
どうご紹介したらいいかなあ、と考えて、
ちょっと書き出してみたのですが、
ああ、よけいなことは書かないほうがいい、と思いました。

金子彰子さんご自身からご許可をいただくことができましたので、
ひとつ詩をひかせていただきます。

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バッテリー

またひとつ、朝が
君のいる場所を照らす

人吉からメールが来て
そして桜島
わたしは祖母をなくし
オムツの心配がなくなった父母に
内臓が消えたかのように安堵している

渡って昼寝して
それだけ
それだけだよ
私達
いつかは果てるけど
まだまだだし
仕事に殉じて
何が消えたのか

もうすぐ正午だよ
圏外に遠ざかる君よ
そこに
破格の笑顔はないけれど

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「金子彰子詩集 二月十四日」(亀鳴屋)214冊限定。

●亀鳴屋
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

●金子彰子さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/Kaneco/

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執着、忘却、煩悩・・・、ありとあらゆるもの、詰まっています。
こんなきれいな詩集の中いっぱいに(下の写真)。

追記 当方、思いもよらぬ形で金子さんと関わらせていただきました。ずいぶん前になりますが、雑誌「鳩よ!」の入力をとある女性に依頼しました。「固有名詞、名前など出来るだけ拾ってください」と依頼。入力、さぞかし大変だったと思います。とても時間がかかりましたが、丁寧な仕事ぶりでした。結果として「金子彰子」名の検索で当店にご注文くださったのが金子さん。「鳩よ!」に以前掲載された若き日々の詩作を金子さんご自身が再発掘することにつながりました。入力したAさん、今ごろどこでどうしているでしょうか。Aさんのおかげで何かと何かがつながっていったことを知らせたい、以前メールしたのですが連絡がついたのかどうか不明です。どうしてるかな、Aさん。ウサギ好きのAさん。古書店勤務は続けているのでしょうか? どこかでご覧になっているようでしたら、ありがとうと言いたいです。

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"南部のジプシー・クイーン"こと杉野書店ののんちゃんから
詩集をお送りいただきましたー。

「虚空にもどる父 杉野紳江詩集」(土曜美術社出版販売)。

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2008年8月7日に旅だった、
最愛のお父様への追悼集とのこと。
もうかなり前になりますが、コクテイルで絵本酒場を開催中でしたか、
花粉症だった私にノンちゃんが
「父が医師なので」と渡してくださったお薬のことを思い出します。

「でも、父はもう肉体舟の制約を受けない
魂は、いつも皆と一緒」(「四十九日の法要」より)

「柳屋のポマード」「入れ歯」「手紙」などなど
わかりやすい言葉を使っていながら、その場の空気、溢れるような気持ちなど、
たくさんたくさん伝わってくる詩の数々。
のんちゃんの思いが、お父様がご愛用なさっていた
ポマードの匂いとともに鮮やかに香ってくるかのようです。

「父が亡くなって二ヶ月
孫たちのおかげで
母も漸く、笑うようになりました

喪の悲しみに伏していた我が家にも
やっと笑いの勢力が広がってきたようです

そうだ!
私も笑おう!

悲しみを少しずつ
かなたにおしやろう!

人間には笑う能力があるのだから

秋の青空に向かって笑おう!
父も、きっと微笑み返してくれるはず」(「笑おう!」より)

のんちゃん、勝手に抜粋させていただきまして、すみません。
全文につきましては、皆様、詩集をご購入のうえ、ぜひ。

「南部のジプシー・クイーン」には揚羽堂さんも登場!
「賢すぎる消費者」には、しっかり者のご主人様を思い浮かべて、ついついニヤリです。

外国生活における印象を描いた詩、古書市場での詩も収められています。

のんちゃん、誠にありがとうございました。
ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/nobuesugino35
今後もまた拝読させていただきますね。

それから、この場を借りて、あの方この方に御礼とお詫びを、ば。
素晴らしいものをお送りいただいても、
筆豆でなく、お礼状もお送りできずに失礼ばかりしている私を
あの方この方、どうかお許しください。大変有り難く、感謝しております。

それから、文末になりましたが、本日11月2日は、股旅堂さんの誕生日。
おめでとうございます! ご活躍をお祈りいたします(←人ごとじゃなく、なんとか頑張らないとね、うちも)。

(追記 股旅堂さんの誕生日を1日間違えて書いておりました。正しくは11月2日です。お詫びして訂正いたします) 

今、私が手にしているのは「あいうえ、お、だよ」という絵本です。
(長田弘 あべ弘士・絵 2004年、角川春樹事務所)

「う が いいました。
わたしは あめ になる。
しっとりと やわらかく みどりうるおす あめになる。」

「たいせつなのは
ことば、だよ!
長田弘とあべ弘士が贈る傑作絵本。ー子どもから大人までー」(帯より)

帯にあるこの文字は、本当だなあと思う。
好みは人それぞれだし、エンディングがねえ、など難癖つければつけられますが、久々にしばし感服。

これほどの絵本をうみだせる作り手・環境があるんだと、希望を持てました。
作った人、売ってくださった方、ありがとうございます。

「どうぶつえん ZOO」(アンソニー・ブラウン作 藤本朝巳・訳)も凄いですねえ・・・。思えば、絵本作りのプロのお宅から譲っていただいた絵本たち。いつか売ろうと、しまいこみすぎたことを反省。

見たつもりで、見ていないもの。聞いたつもりで、聞いていないもの。ネット上のごく一部の情報だけでわかったつもりになって、切り捨ててしまっているものの多さ・・・。くらくらしますな。

南陀楼綾繁さんオススメの音楽、かなり趣味に合うので、
知らないものに出会うたび、どんななのか聴いてみたくなる、と。
嬉々としてCDを買いまくっている連れですが。

今度は、内澤旬子さんオススメのコミックをネットで注文。
南陀楼さんが買ってきたそうですが。
「おのぼり物語」(カラスヤサトシ)
笑って笑って、やがて泣けてくる。やあ、これは凄いや。

http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/20081006

はあ、しかし。
やらなくてはいけないことがあるときに限って、別のことをしたくなるのは何故?
古書市場も休んでしまったのに。

そういえばブログ散歩していて思い出したのですが、月の湯でのこと。女風呂のカラ浴槽に腰かけて、ひとり、黙々と、けん玉の練習に励む向井さん。「向井さんは努力家だよね。天才肌だけど努力家。努力を嫌がらない天才」というと、bukuさんが「最強だよね」と。「褒めすぎ? 私たち、なにこんな褒めてるの?」とリボーくんらと帳場で笑ったのでした。楽しかったですねえ、月の湯。なんか、胸がカランとした感じ。祭りのあとの淋しさ、だな。青春映画の1シーンみたい(←意味不明)。あとからじわじわくる楽しさというか、実に素敵な3日間でした。どう考えても飲みすぎで、肝臓と頭がとろけそうですが。

Open House Market - 解体直前・昭和の住空間を訪ねる特別な一日 -
連れが画像などアップしています。

http://www.omaken.com/mongo/2008/10/post-469.html

良い天気ですねえ。出かけたくなるなあ。おっと、仕事仕事っと。

kondomata.jpg

「これは、小さな子どものための本です。
しかしまた、大きな子ども、いえいえ、もしかしたら、大人たちをもまた、
つい、ひきずりこんで、にっこり笑わせてしまうかもしれない本です。
じっさい、訳者であるわたしじしん、つい、おかしいものだから、
訳しながら、笑わずにいられないところがありました。
しかし、訳すのは、笑っていては、できませんから、わたしは、笑いをこらえながら、
しかつめらしい顔をして、日本語探しをしていたにちがいありません。
(中略)
わたしは、欲ばりなので、厳密に本当のことも、好んで読みたがるのですが、
こういう、なんでもかんでも、おかしな物語にくみこんでしまう
幼児童話の空想性にも、たいへん魅力を感じてしまうのです」
「この『こんどまた ものがたり』には、パフィン版に入っている四十三篇から、
わたしが面白いと思った十篇を選びだし、日本語にしたものです。
詩や短篇の本をつくる場合、だれが選んだか書いてないで出されることが日本では多く、
わたしはそういう慣習にはっきりと批判的なので、
ここにそのことを明らかにしておきたいと思います」
(一九七九年初春 木島始 あとがき より)

本日送りだす本のうちの1冊から。
『こんどまた ものがたり』(岩波ようねんぶんこ)
ドナルド・ビセットのお話とイラストもさることながら、木島始さんの文章がまた格別。

月の湯に持っていく本は102冊用意しました。
絵本は、お勧めのものばかり。
では、梱包・発送をしてから続きを用意します。

昨日は矢野顕子×レイ・ハラカミ「yanokami」ライブのため、
恵比寿リキッド・ルームへ。
締め切り仕事があったが、家族からの「もうチケット買っちゃったから」
「タイムリミットがあるほうが、かえって仕事が進むでしょ」
いう声もあり。

スタンディング・ライブには、
かつて良い印象だったためしがない。
身長152センチほどの自分が、
身長180セントの人と同じチケット代ってないんじゃない。
遠い昔、渋谷の巨大ライブハウスで
大きな柱のかげでむくれながらカシオペアを聴いた体験から始まり。
フジロックでスタンディングも悪くないと思ったが、
地下に人ぎゅうぎゅうの状況とか、いまだに得意じゃない。
今回は、レイ・ハラカミ、99%見えず。
矢野顕子の頭の上のほうが、ときどき人と人の狭間からちらりと見えた。
あまりの大盛況ぶりに貧血で倒れる女性客、続出。
出口間際の壁にもたれかかっていたら、
目の前で、女性がバタンと倒れこむのに遭遇した。
「大丈夫ですか」と声をかけたら「・・・・・出口、どこ?」と聞かれた、
これがすべてライブ中の出来事。

「ラーメンたべたい」ジャズバージョンのソロが秀逸でした。
一箇所ミストーンかもと思ったけれども、
いや、テンションなんだろうと即思い直した。
矢野顕子はなかなかジャジーな人だと、
先日のブルーノート東京から思い続けている。

6年間を過ごした恵比寿西をそぞろ歩き。
すっかりさまがわりしていた。
よく買いにいったピーコック隣の酒屋がなくなっていた。
米屋もなくなっていた。
わが家で飲み明かして、朝方買いにいくと
出来立ての豆腐がうまかった豆腐屋さんには
病気のためご迷惑をおかけします、と貼紙がされていた。

しばしば朝まで飲んでは
「雑誌のあるべき姿とは」
「どうしたら企画を通せるか」など青臭い話をしていた
居酒屋「たつや」は健在。
つくねの味がまったく変わっていない。
変わらないところがあるというのは、いいもんだな。

朝方、蚊が大発生。
明け方から羽音に起こされてすっかり寝不足。
市場に行けず、買うことができなかったとある作家の書簡を
譲ってほしいと、徳尾書店と股旅堂にすがりつく夢を見る。
寝不足だったためか、
汗だくで午睡をむさぼってしまった。
深川に行きたかったが、家人ひとり出ていった。
午睡むさぼるぐらいだったら行けばよかったかな。

こうして書いている今も、蚊が顔にまとわりついてくる。
殺生はなるべくしたくないが(といいつつ、つくねとか食べちゃうけど)、
蚊に刺されているところを正視するほどは達観できず。

夜になっても蝉がかしましかったこの界隈でも、
蝉より虫の声がまさる季節へと。
季節が移りゆくかのようです。

たまには、詩でも。
「童謡集」という名ではあるのですが。

「幸福」
世界はこんなに物で一ぱいなのだから
われらは王さまのやうに幸福な筈だ。
ーーロバアト・ルウイス・スティイヴンスンーー
(諸国童謡集より 竹友藻風・訳)

「エルフの声」
誰が呼ぶ? 誰が呼ぶ? 誰?
あなたが呼んだのか?あなたかーー
わたしが呼ぶ。わたしが呼ぶ。わたし!
わたしの飛ぶところへついておいで。--
何処へ? ああ、何処へ? ああ、何処へ?
地の上か空の中へか?ーー
おまへが来る処にわたしはゐない!
おまへが飛ぶ処には、居なくなってる、--
止まれ! ああ、止まれ! ああ止まれ!
かはい子鬼(エルフ)よ、止まつて遊べ!
何処に居るのか教へてくれーー
ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!
ーーイリアナア・ファアジォンーー
(諸国童謡集より 竹友藻風・訳)

「空想」
あゝ、
わたしはいつもみんなから、
馬鹿にばつかりされてゐる。・・・・・・
いつそ阿弗利加(あふりか)へでも逃げださう・・・・・・、
そこにはおいしいバナゝが熟し、
子供を象に乗らしてくれる。
ノルドカープの岬まで
辿りついたら黒ん坊(くろんぼ・原文ママ)に、
すつかり化けて弓と矢と、
駱駝を必ず手に入れる。
そしてもうそこを離れない、
家へも決して帰るまい!
構ふものかい!
あゝだけど、四月の柳祭りには、
市場へ行かなきやつまらんな!
それにあの新しいスケートも、
置いて行くのは惜しいなあ。
といつてノルドケープには、
スケート場もないだらう・・・・・・
母さんや、猫の仔や、弟も、
置いて行つては可愛さう・・・・・・
いや止めた、一層じつとしてゐよう・・・・・・
ーーモラーフスカヤ女史ーー
(露西亜童謡集より 米川正夫・訳)

「自由の鳥」
空を飛ぶ鳥は、心配も知らず、
いとなみも知らないで、
永久にすむ自分の巣さへ、
齷齪(あくせく)つくることもせぬ。

長い夜を枝に寝ねて・・・・・・
紅い陽が東に昇るときーー
神さまのお聲に目をさまし
羽ばたきをして唄ひだす。

粧(よそほ)ひを凝らした春も過ぎ、
焼けつくような夏もゆけばーー
晩秋は霧と雨とを、
地の上へ持つてくる。

人は淋しく悲しむが・・・・・・
小鳥は遥か海を越え
暖い國を目ざしつゝ、
春来るまでと飛んで行く・・・・・・
ーープーシュキンーー
(露西亜童謡集より 米川正夫・訳)

大正15年「世界童話大系」(尚文社 非売品)
第十六巻、世界童謡集(上)諸国童謡集(翻訳篇 竹友藻風・訳)
第十七巻、世界童謡集(下)独逸童謡集(茅野蕭々・訳)、
仏蘭西童謡集(西條八十・訳)、露西亜童謡集(米川正夫・訳)、支那童謡集(青木正兒・訳)
(序文・茅野蕭々 仏蘭西童謡集はしがき・西條八十 露西亜童謡の特質・米川正夫)

活字、イラストが美しい各巻800ページ超。

17巻には「安彦と俊彦に パパより」とされた序文に以下の文章。
「去年の秋、神田の古本屋を漫渉してゐる中に
珍しく古風な装丁と挿絵の入つたイギリスの童謡集に出会はした。
出版年月は記されてゐないが、出版所はロンドンのフレデリック・ワァンで
表題には“Mother Goose's Nursery Rhymes,Tales and Jingle”とあり、
「はしがき」に・・・・・・(海ねこ注・中略)記されて居り、
多少の注釈が入って居る。
予はこの書物の年代を知りたいと思つてゐたが、
其後リイナ・エックスタインの「童謡の比較研究」
“Comparative Studies Of Nursery Rhymes”の中に
著名な童謡集の書目を挙げてあるのを見て、
これが一八九〇年に出版せられたものであることを知つた。
「諸国童謡集」を編む時に予が参照した
最も古い英國の童謡集はこの書物である。
注釈なども今は時代おくれになつたものがあるかも知らないけれども、
読みながら興味を惹いたものだけを附記の中へ附加へて置いた」
(序 より 竹友藻風)

お買い上げありがとうございます。
いつかまた逢おう。

COME BY CHANCE

| コメント(7)

内容が良いのに、すぐには売れない本があります。
次の本も、長らく当店の倉庫にしまいこまれたままでした。
しっかり見つけていただき、
本日、お客様のもとに旅立っていきます。

ストーリーと絵が良いのです。

ひとりぼっちの女性が歩いて歩いて歩いて・・・
たどりついたのは、長年置き去りにされていた廃屋でした。
彼女は、たったひとりでおんぼろ家に手を入れます。
こつこつと修繕していくうちに季節がめぐって。
ようやく完成した家に
"COME BY CHANCE"というプレートを掲げます。
厳冬の晩、やってきたのは牛。
風の吹きすさぶ晩、やってきたのはねこ。

荒天から逃れるように次々、動物が訪れて…。
家は動物たちでにぎやかになります。
もう彼女は孤独ではありません。

春がきて、動物たちは出ていきます…
「また来てね」と笑顔で送り出したあと、
がらーんとした部屋で放心する彼女。
しかし、そこには、居残りを決めたねこのぬくもりが…。

この本を手にすると、
店舗を手作りしている友人や、
ひとり暮らしをしている叔母など、
さまざまな人のことを思い出します。
わが未来に思いを致します。
大人のための寓話と読めなくもありません。

本をお買い上げくださった方は、
ご家族が療養中とのこと。どうぞお大事になさってください。
本が少しでも安らぎをもたらしてくれますように。

なお、こちらの本はすでに品切れです。
当店在庫分は一切ございませんので、ご了承のほどお願いいたします。

COME BY CHANCE
MADELEINE WINCH
ISBN: 051757666X

ライナー・チムニク 好きだった本
1 熊とにんげん(処女作)
2 レクトロ物語
3 セーヌの釣りびとヨナス
4 クレーン男
5 タイコたたきの夢

木々に花がさくと、老いた熊おじさんは毎日、日がしずむまで
石に腰をおろしてたのしんだ。
「なんだい、おじさん、花は毎年さくじゃないか。
おんなじだよ。どうして先にすすまないの?」
と熊はたずねた。だが熊おじさんはこたえた。
「今年がいちばんきれいなんだ。
こんなにきれいにさいたことは、はじめてだよ」
(上田真而子・訳文 より引用)

"末期の眼"を、これほど平易な文章で描くチムニク。
文章は詩的。行間に音楽が流れているようです。
チムニクが音楽好きだったのは間違いなく、
楽器が効果的なモチーフとしてよく使われています。
「クレーン男」のトランペット、「タイコたたきの夢」のタイコ、
「熊とにんげん」の角笛など。

「熊とにんげん」は初版1954年。
チムニク24歳、まだ学生時代だったころの作品です。
24歳でこんな作品が書けるとは…。
生きた年数じゃないんだなあ。

チムニクの本、店の商品としては在庫がありません。
あしからず。
お持ちで、すでにご不要の方、よろしかったらお譲りください。
喜んで買取させていただきます。
とくに単行本、高額買取いたします。文庫も歓迎!
tomobash@parkcity.ne.jp

そうそう、「熊とにんげん」には
人々がカーリングをして楽しんでいる絵があります。

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