2010年5月アーカイブ

やっと晴れ間が出たので洗濯。

と思ったら、みるみる雨が降ってきて、南の窓から大粒が降り込む。

窓辺にあった家人の本が濡れてしまった。大わらわで拭き取る。

支部報、ようやく印刷所に渡して見積もりを出してもらったところ。

支部長・常田さんに最終確認をしてもらっているところ。

ページ数が変更になるようなことだけはありませんように。胃が痛くなりませんように。

校正の段階で、また一通り目を通す必要がある。

終わりそうで終わらない。それが仕事というものです。とはいえ、フリー編集者だったら、せめて30万ぐらいは欲しい仕事だなあ、と、ちょっこし思う。いやいや、組合は助け合いですから、無償で当然ですよ、と自分に言い聞かせる。思えば、古書市場だの理事だの、組合の皆さんに大変お世話になっております。自分が今まで何もしてこなさすぎたのだろう。店のことだけで手一杯だったのですよ、本当に。今も同じなんだけれども。

なかなか自家目録にのみ集中できない。海ねこ、大丈夫なんでしょうか。通帳残高とのにらみ合いだ。

自家目録に書くつもりだが、市場で古書蒐集がしにくい状況になりつつあるような気がする。本当は時間があれば、もっと自店で扱わない本をこまめに古書市場に出品して、どんどん本を回していかないと。市場を活性化していくために、組合員がもっと本を出品したり、買ったりする状況をつくっていかないといけないのでしょうね。抱え持つのはやめよう、と思いつつ、目録をつくるためにはもっともっと何かが必要で、本当に頭と体が追いついていかない。愛書家の方にも、ご不要になった本をもっと古書店、古書市場に回していただくよう、なんとか働きかけていかないとと思う。組合がやっていることを遠巻きに眺めているだけでは、自分で自分の首を絞めかねない。私が思うよりよほど、事態は深刻化しつつあるのかもしれない・・・。皆さん、気づいているんでしょう?

追記 18時47分、支部長・常田さんからGOのメールが届く。NGが出たらどうしようかとドキドキでしたので、おお、待ちかねておりました! 常田さんから組合員の移動について最新情報を網羅するよう指摘されたので、再確認。その最中にまたしても、店名、名前の間違えを発見。念には念を入れて、岩森書店さんに電話すること二度。岩森正文さんには、過去の支部報を10冊お借りしました(長くお借りしてしまったため「本当に返してくれるんだろうね」と心配をかけてしまった)、その他もろもろ、ずいぶん助けていただきました。人名や店名は間違えてはいけない。気をつけないと、ね。 

土日とも、支部報を入稿する前の校正。
延々、校正。
見れば見るほど、間違いが見つかってしまう。
本当は、校正こそプロの方に見てもらうのが一番なのだろうが、
経費節約のため、ザル頭人間の分際ではあるが自分で確認する。確認につぐ確認。

人名は、組合職員さんに用意してもらった紙資料で確認したり、
日本の古本屋やエクストラネットの名簿で確認したが、
思いがけないところで思いがけない間違えに気づいたりして、神経をつかった。
それでも確認しきれない方が何人かいらっしゃって、終わりのない沼地でも進んでいるようだった。
しかも、PDFにすると、なぜだかケイがはずれてしまったり、
きちんとしていたはずの文字が逆向きになっていたりで、思いのほか時間がかかった。

イラストや写真にトレペをかけて、指定をして(いまどき、こんな編集作業しなくてもいいのかもしれない。私のころはやっていた)。ああ、こういう作業、懐かしいなあと思った。

支部報であれ自家目録であれ、1冊のものを自分なりになんとかこしらえていく作業が、私は、とても好きらしい。

連れにもいろいろ助けてもらった。お礼にプチ打ち上げを敢行。

やーっと! やーっと! 印刷所に届けにいくことができそうだ。
あああ、嬉しい-。

石丸澄子さんの素晴らしいイラストも、ようやく印刷所に渡すことができる。
入稿前に火事や災害で損なってしまったら大変なことだとずっと緊張していた。
このまま今晩、放火や大地震にでもあわない限り、印刷所に届けられそうだ。

支部長チェックがまだだし、あれこれ
予断を許さない面もあるのだが、なんとか入稿ができた暁には、
ぷらっと、どこかに旅したいな。
2泊3日で海外に行けたら素敵。でも、今は1日でもいいんだ。

どこがいいだろうかと考えるだけでもわくわくする。

近くの調布飛行場からぷらっと大島に飛ぶとか。1泊だけ、知らない土地にひとりで泊まってみるとか。誰も知り合いがいない街で、よさそうな居酒屋にぷらりと入ってみるとか。

だけど、しばらく天気が良くなさそうだし、
古書市場通いで終わりそうだけれどね。

素材集め(=市場での仕入れなど)からすべて自分で手がけているわけで、自家目録第2号を完成させることができたら、もっともっともーっと嬉しいのだろうなあ。
家が火事にあわないうちに、大病に罹ったり、事故にあったりする前になんとかこしらえて、
本を必要となさっている方のもとに、そう、あるべき場所にあるべき本をしっかりお届けしたいものである。

古書組合 中央線支部報、おそらく来週頭には入稿できるのではないかと。

あちらこちら調整しながら、ページ数を104ページちょうどになんとか納められたので、ついに「編集後記」を書いた。

編集後記を書くのが好きです。

ようやくゴールが見えてくると、ロングランでヘトヘトだったはずなのに、なぜか力が湧いてきます。苦しいのに、まだまだ走れそう、どこまでも走れそうな気がする。この瞬間が大好きです。

中央線支部に所属する古書店160人強向けの支部報。160部限定のものですが、内容がそうとう濃いので、自分としては全力で作りました。

すでに他支部から「読みたい!」という声が集まっているので、多めに印刷する予定-。

値段をつけて、寄稿者に原稿料としてお届けしたらどうかと一時期は真剣に考えた。しかしながら、有料にするとなると難しい問題が出てきそうなので、無料です。中央線支部 支部員向けの媒体ですので、どうしても読みたい方は、古書組合 中央線支部に加入してくださいね笑。

◆石丸澄子さんの素敵な表紙! 片岡知子さんの愛らしい挿画!

◆古書店主22人による力作原稿。出久根達郎さん含む。

◆有力5店 店主らによる本音炸裂 座談会「俺たち古本屋に明日はない・・・のか!?」など。

週末までにもっと整えて、家人に助けてもらって、来週はじめに入稿したい。締切を守ってご寄稿くださいました方々には大変お待たせしました。印刷所にもお待ちいただいて恐縮です。

空腹と運動不足のピーク。ぼちぼち、ビールを買ってこよう。

追記 しまった、「編集後記」A5で書くべきところ、違うサイズで書いていた。仕切り直し。まあ、そう簡単にはいかないですよね。

 

 

「自家目録2号」制作中。日々、本と向かい合う。
先日は小山書店の「梟文庫」、おとといあたりから「岩波少年文庫」と取り組んでいる。

すべては流れていく。
流れていくなかにも、自分がとどめておきたいと感じるものを、なんとかつかみとらないと。
なんとか記録して、なんとか伝えられるよう形にしていかないと。

自分が20年以上続けてきた編集・ライター業では、自分のやりかたに限定した話だが、
与えられた枠にはめるものを
望まれる形に近くなるよう懸命に用意して差し出すような形だった。それが当時、自分の仕事だったように思う。

今は、締め切りもなく、指示する編集者もいない。「楽しみにしています」「お待ちしています」というお客様の声は大変有り難く、おおいに励みになるが、期待にこたえられるのかと不安にもなる。第一、目録の製作そのものは、自分で進行させていかないとどうにもならない。誰もとめない。誰も催促しない。自分で進めない限り、何も進まない。進めながらも、そもそも、集書した内容はこれでよかったのだろうか、この構成でよいのか、この紹介、この値段設定でいいのかどうか・・・。

自信の欠片もなく、どこにもベースがない、なんとかあの方に見ていただけるだろうか・・・。何かしら買っていただけるでしょうか・・・。ひとり苦戦したところで、意義あるものなどこしらえられるのか、一人相撲ではないのか・・・。砂上の楼閣を一人遊びでこしらえて崩すのと、どう違うのか・・・? 投げ出したくなる気持ちとのせめぎ合い、あちらにむぎゅーっと押しやりながら。でも、本当は不安だらけだ。

以前、古書店の目録をそういう目で見たことがなかった。

が、今は違う。自家目録をつくっている各店は、こんな思いをしているのかと。「目録を出して注文をいただけるまでは、今回は売れないんじゃないかと不安でならない」と何十年ものベテラン組からも聞く。
月の輪さん、今ごろ、どれほどの思いをされていることでしょうか。
あるいは、あと一息と足取りが軽くなっていらっしゃるころでしょうか。

ウルトラ・ロングランの末、見えてきた光景はいかなるものでしょうか。
「太宰のお墓参りをして、祈願してきたよ」と笑顔で話していたさま、しばしば思い起こされます。
プレッシャーの負荷などものともせず、信念と持久力で発刊にこぎつけてください。
山仲間として、影ながらお祈り申し上げます。

一昨日・昨晩に読んだ「ひとつの時代ー小山書店私史」(小山久二郎)に
脳天を打たれたような思いだ。
戦前・戦時中・戦後の出版事情がよく伝わってきた。
戦前の作家さんたちとの付き合いも興味深く読んだ。
「チャタレイ夫人の恋人」をめぐる裁判でクタクタになっていくさまに、身を切られるようだった。
感受性ゆえ、忘れたくても忘れられない、あるいは捨てたくないさまざまなものを抱えて生きてきた重み。
歴史の流れを考えたら、ひとりの人間なぞ芥子粒ようなものかもしれない(「龍馬伝」)。が、人が生きて、死んでゆくのが、軽いことととは、どうしても思えない。

古書組合 中央線支部の支部報、制作が足踏み状態。
締め切りを2月、3月に設定して、早くに原稿をご執筆いただいた方には申し訳ないばかりです。
ある方からの原稿戻しをお待ちしているのですが、そろそろ様子をうかがいにいってみようか。

早稲田大学で開催中の「チェコ舞台衣裳デッサン展」http://www.waseda.jp/enpaku/special/2010czech.html
好評により23日まで会期延長とのこと。
夕方、歯科検診なので、その前に立ち寄ってみようか。
その前に、原稿戻しいかがでしょうかとおうかがいにいってみようか。
お忙しいのかしらと遠慮するより、顔を見せたほうがよいでしょうか。

そうだ、自家目録2号の表紙、ぼちぼちきちんとお願いするべき時期でした。
人に頼み事をするとき、相手の都合など気にして遠慮ばかりしてしまうが、
(編集・ライター時代はまったく逆でした。なんという力ずくのやり方だったのだろうか、どれほど人に負担をかけていたことかと今は思う。若いころは情熱の証だと思い込んでいた)
もっと堂々とお願いできるようになりたい。人は皆、対等なのだ、怯えるな、怖がるな、遠慮しなくていい場合だってあるさ。

受注・発送、恐縮ですが、少々お待ちくださいませ。

追記 早稲田に出向いた。小さい一室で、まさかイワン・ビリービンだの、ヨゼフ・チャペックによる舞台衣裳デザイン画を見られるとは思わなかった! ビリービンがプラハで「皇帝サルタンの物語」(1935年)の舞台美術を手がけていたとは。ああ、一体どんな舞台だったのだろうか。入場無料。

 

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