2011年3月アーカイブ

もう明日明後日には入稿しないと、

印刷・発送が間に合わなくなりそうな状況です。はあ、紙は確保できるのでしょうか? ミニミニ展示会までに、お客様にお届けできるのか・・・。ドキドキはらはらです。

今回の目録3号には、とある人から原稿を寄せていただきました。

ちょっと前までは印刷代も送料も高かったため、古書目録といえば、一行いくら売らなければ、という世界だったようです。

しかしながら、今この時代においては、もっと自由度があってもいいのではないか、と。

紙不足・インク不足の折ではありますが・・・。

読んで何かの参考になる、目で見て何かの役に立つ、読む要素を持たせてもいいのではないか、と。

ましてや、紙代も印刷代も郵送代も、私が払うのですから、いいですよね、読む要素も?(自問自答しつつ)また誰かに何か言われるかもしれない、と思いつつも、進めてしまいます。えっへっへ、フリーライターの頃は企画を通すのは難しく、売り込みなど困難の極みで、ごく限られたページ数で要望どおりのものをはめこむのにも、ずいぶん苦心してきましたから。

昨夜、原稿が届きました。このような状況で、パリー小田原ー東京を行き来して落ち着かない気持ちでいるという彼女に、ずいぶんご苦心を強いてしまいました。

ですが、内容は素晴らしいです。苦心していただいただけのことがありました。

私たちがぱっと訪れて、なにげなく目にしている「展示」「展覧会」の裏に、どのような人のどのような思いがあるのか、大変よく伝えてくれます。

ましてや、ご家族として、どんな思いを抱え、どのように関わってきたのか。

苦闘の歴史、そして、くぐりぬけて見えてきたものがとてもよく記されていると思います。

古本 海ねこ 自家目録3号、巻末に掲載します。進行上、今からだと巻末に挟み込むしかなさそうですが、ぜひご一読ください。いま苦しみや悲しみを抱えている人にも、希望を感じたい人にも、よろしかったらぜひお手にとってみていただきたいです。

こんな現況ではありますが、どうかどうか。茂田井武 装丁本の展示とともに、お楽しみに、と申しておきます。

sakura.JPG

苦しくたって、悲しくったって~♪

春はやってくるんですね。

岡崎武志さん、義母・加藤皆子さん、誕生日おめでとうございます。

久々スーパーに行ってみたら、ガラガラの棚はほぼそのまま。

食べ物を得るだけでも精一杯、こんな時期に古書を買う人は少ないのでしょうか。

古本 海ねこ 自家目録3号、まもなく入稿予定です。

4月22日(金曜)10~18時、23日(土曜)10~16時、神保町にて「ミニミニ展示会」を行います。

自家目録に掲載した洋書絵本は即売予定。目録掲載品で現物をご覧になりたいものがありましたら、事前にお申し付けください。状況が許します限り、ご覧いただけますよう持参してお待ち申し上げたいと思います。また、時間が許す限り、目録掲載品以外にも即売品を何か用意できたらと思います。

なお、やりますよ、ガラスケースが何台も使えるので、さて、何を見たいのか自分はと考えて思いついたのが、まず「茂田井武 装丁本」でした。

ということで、ミニミニ展示会ですが、「茂田井武 装丁本」展も同時開催予定です(協力・古書落穂舎、龍生書林、西秋書店、トムズボックスほか)。

詳細は追ってまたご連絡いたします。日程は確定ですので、よろしかったら手帖の予定に書き込んでいただけますと幸いです。

まずは、無事、お手元に目録をお届けできますよう、目録入稿を目指します。ああ、イベントに間に合うようお届けできますのでしょうか。綱渡りで、私自身、危うい感じです。

なんとか少しでも早くお手元へ無事届きますように。なるべく頑張ります、印刷所さん、製紙工場さん、インク工場さん、郵便局の皆様、宅配の皆様、そして、お客様、どうかどうか宜しくお願い申し上げます。

 

15時すぎ、発送しようと郵便局に行く。
「すいません。計画停電に備えて、今はもう動かせないんですよ。
ATMならまだ使えます」
と、顔なじみの局員さんに言われる。
いつもの局員さんたちが申し訳なさそうな顔をして、
すでにしまっている自働ドアの向こうにいた。

15時半、パンという音とともに、テレビの画面がすぅっと消え、
動いていた洗濯機がパタンととまる。

高速出入り口や電通大学が近いので、このエリアは停電にならないのかと、昨夜、近所の飲食店で話したばかりだったが、やはり計画停電は実行されたのだ。

PCはバッテリーで動くには動くのだが、
LANを使っているので検索機能は使えない。
仕事をする気になれなくて、漫画を読もうとしてみたが、
落ち着かず、お話をうまく追えない。
トイレに行ったら、便座がヒンヤリ冷たい。

外から帰ってきた連れがラジオをつける。
飼い主が落ち着かないさまが伝わるのか、
ねこも落ち着かず、うろうろして、にゃあにゃあ鳴いてくる。
ねこと遊ぶ。
iPhoneに入れてある運動ソフトを使って体を動かしてみる。

次第に薄暗くなってゆく。
何度も漫画を読もうとするが、暗い中、目が痛くなってきたので、
漫画も本も諦める。

ふだん電気にどれほど頼っているのかと、思い知らされる。
日頃から「これだけ電気使ってるから、原発反対なんてとても言えない」とつぶやいていた自分だが、
安全と利便性と、どちらを選ぶのかと聞かれたら、どう答えたらいいのか。

野菜スティックなるスナック菓子で空腹を埋めていたのだが、きちんとしたものが食べたくなる。
ガスが使えるだけでも大変有り難い。
冷蔵庫をあけないように、
2分でできる乾麺を茹でて、
薄暗い中、ネギを洗って、薄めに切ってぶちこみ、
ナンプラーを垂らす。
食べたいときに食べたいものを自分で用意できる幸福。
被災地の方、どれほどご不自由だろうかと思いつつ、
汁をすする。温かいものを自分で作って食べられるというだけで、これほど気持ちが楽になるのだ。

そんななか、iphoneに次々に届く友人・お知り合いからの
「誕生日おめでとう」のメッセージ。
「こんな時だからこそ、おめでとう。楽しんでください」というメッセージ。
誕生日おめでとうと言ってくれる人がいることが、これほど嬉しいとは。
誰かの誕生日「おめでとう」の言葉を惜しまないようにしようと思う。

結局、iPhoneでツイッターを読んだり、facebookでコメントを返したりして
停電の時間をやり過ごす。
電気がついたら、仕事したいなあ。仕事したい、と思うなんてなあ。
私たちは計画停電が終われば明るい電気、ふだんの生活、自由な時間が戻ってくる。
被災地の方は、そうはいかない。
福島原発で懸命に作業をしている関係者にも、
福島原発の半径30キロ以内に住んでいる人にも、
自由に料理して自由に食べたいものを食べられずにいる避難所の方々にも、
着替えすら自由にできず、シャワーを浴びたい方々にも、
いまだ救援の手が充分届いていかない被災地の方々にも、
ふだんどおりの時間、自由が少しでも早く訪れますように。

いやしかし、18時23分現在、本当に暗いんだなあ。

あ、18時24分、電気がつきました。電気のありがたみ。
ありがとうございます。

ブログを書いている人、読ませていただいてます。
私も、たまには書くことにしよう。

追伸 こんな小商いにもかかわらず、海ねこのお客様からも、お気遣いいただきました。
ご連絡をくださいました方、そして、「不要不急の確認はやめていました」と
書いてくださった方がいらっしゃいましたが、
ご連絡などくださらないまでも一瞬でも、お気にとめてくださいました方、
本当にありがとうございます。

レターパックで間に合うよう、入浴剤を送ってくださった方、感謝の二文字です。

消防車の音が鳴り響いていますが、
停電後の火災が起こっているのでしょうか。
何もかもが不安につながりますよ。ようやく寝付いても、悪い夢ばかり見ますよ。
お互い、どうか無事でいましょう。あなたの無事が、きっと誰かの支えになっていることでしょう。

ブログを書く回数が減っているうち、こんなことになってしまいました。

被災地の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

現地に住んでいるわけでもないのに、落ち着かず、不安で仕方がありません。

テレビを見ても不安になるけれど、テレビを消してしまうのも、それはそれで不安。

仕事に手がつかない自分がおかしいのかと思っていたのですが、ツイッターやブログを見ると、皆さん、それぞれ、落ち着かない様子。
岐阜に住んでいる義母は帯状疱疹が悪化して痛いらしく、NYに住んでいる友人も、報道を見ながらも偏った情報しか入らず、かえって不安になってしまうらしい。

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3月11日(金曜)、14時47分。そのとき、私は神保町・古書会館におりました。

13時すぎ、神保町駅に着。電車の中で、NさんからDMを受け取っており、いったん古書市場に行って出品物を半分ほど見てから13時50分頃、ヒナタ屋へ。Nさんからの買取品を受けとらせていただき、お支払い。Nさん、ありがとう。その日だったか、翌日だったか、ドイツ・ライプチヒに行くと言っていたのだけど、Nさん、無事に飛び立てたのかしら。ねこ絵本を買ってきてほしいとお願いしておいたので、買ってきてもらえたら嬉しいのだけど、うちのお客様もお喜びになると思うのだけど。そのときは、地震が起こることなど予測がつくはずもなく、笑顔で手を振って、古書会館に戻りました。

会館3階で、まだ見ていなかった本を見て、途中でMちゃんらと話をしていたら、突然、揺れが始まりました。
地面の深いほうからごーっという感じで、なんだか不気味な揺れ。
じき収まるかと思ったら、ぜんぜん止まらない。

「どうする?」「どうしよう?」と言い合います。N堂さんらは「ここは耐震構造のはずだから」「ここがダメなら、ほかもダメだから」と言いますが、個人的にすぐ頭に浮かんだのは、ニュージーランドのことでした。

3階にいて、鉄筋コンクリートの床が抜けて、上から大量の本やら重たいカーゴやらが落ちてきて埋もれる光景ばかりが想像されました。いやだ、ここで死ぬの? と結構リアルに思って、そう感じた自分にはっとしました。ふだん、生きているのがしんどいと思うことも多いくせに、なんだよ、そんなに生きたいのかよ自分、と驚きました。

Mちゃんは荷物をとりにいきたいと言いましたが、いいよ、逃げようと、Mちゃんには悪かったかもしれないけど、必死に手を握り合って階段を下りようとしました。手を握り合っていたときに感じた力とぬくもりが、支えになりました。
目に入ったのは、階段手すりにしがみついて動けなくなっている高齢・K文堂さんの姿でした。奥様がオロオロしながら気遣っていらっしゃいました。K文堂さん、大丈夫だったのでしょうか? 

Mちゃんと手をとりあっていて、手に力が入る。

なんとか外に出ましたが、どこまで逃げても大丈夫な場所などないので、一体どこにいればいいのか?

気づいたら震えていて、怖い怖いと泣きそうでした。
地震がこれほど怖いと、生まれて初めて思いました。ほかの人も同じことを言っていました。

ビルはまだ揺れたまま、電線がびゅんびゅん揺れている。集まってくる人がみんな、不安そうな顔をしている。携帯は通じない。SNSで家族に連絡しようとしても何も入らず。ツイッターにも何も入れられず、何も見られず。携帯が通じなくて、家族と連絡がとれないとオロオロうろうろしている男性たち。

地下では催事の最中。お客様たちをまずは誘導してから、店員らが外に出ようとしたそうです。

「地下でさえ揺れていたので、そうとう大きいと思った」と立石書店・Oさん。ワンセグを見せてくれ「震度6だって。震源は-」と教えてくれて、東京がこれほど揺れたとは、震源に近い人は一体どうなっているのかと。
ワンセグを見せてもらって、初めて客観的な情報を得られた気持ちになりましたが、お台場から煙が出ている光景には不安をかき立てられました。
「フジテレビのアナウンサー、ヘルメットにフジテレビのロゴが入ってるよ」と、誰かが言ってくれ、ちょっと笑える。と同時に、ちょっとでも笑えるのが心を軽くすると痛感する。

「生涯に一度か二度体験するかどうかの揺れだよね。貴重な体験だわよね」と、先輩の女性古書店さん。

「地下はあんなに揺れているのに、会計の列が普通にできていた。
まだ悠然と本を見ている人もいて、逆に驚いた」と、ほかの店の人。

余震がきて、Oさんが「ビルから離れろ。ガラスが降ってくるぞ!」と大声で叫びます。
Oさんにしがみついていたかったのですが、Oさんは「地下が心配だから様子見てくるわ」と地下へ戻ります。あとOさんは「携帯通じないから、嫁が心配。店は大丈夫か」と何度も言っていました。

もう会館内に戻るのはイヤでしたが、薄着で出てきたので寒くてかなわず、iPhoneや携帯はつながらなくても手元にないと不安なので、荷物をとりに3階へ戻りました。
市場はいったん中止とアナウンスがあったのですが、3階に何人かいた古書店さんたちは冷静に本を見ていて、その様子には本当に驚かされました。飲み仲間でもある先輩古書店さんたち、O舎さんやR書林さんらはいつもと変わらず、お互いああだこうだと言いながら最終台手前の本を吟味していました。

上着を着て荷物を持って再び外に出ましたが、何度も何度も余震が続いて、ヘリコプターがブンブン飛んでいる。
あとでツイッターを見たら「九段会館の天井が、、」とあったので、ああ、それでヘリが、と思いました。
被災された方、亡くなられた方、及び、ご家族やご友人のことを思いますと、胸がつぶれそうです。

Mちゃんは「店が心配だから様子を見てくる」と出ていき、
余震のたび、どこにいたらいいのかわからず、道の真ん中で他店さんと一緒にいました。
会館8階ベランダの植木がユサユサ揺れて、どこかから救急車の音が聞こえてきます。
公衆電話に見る見る行列ができていきます。
まもなく、神保町のかなりの店で、棚が倒れています、と館内アナが。職員・O場さんが館内アナでいろいろ知らせてくれ、さまざまな情報を看板に貼り付けていきます。
店の様子をみにいった古書店さんたちから、店がめちゃめちゃだあという声が聞こえてきました。

3階に戻ると、すでに市場は再開されていて、明治古典会の経営員さんらが冷静に、しかも、かなりのスピードで開札を進めています。
こんなときなら、案外安く落札できるかもと、私と同じことを考えた古書店は結構いたようです。
私も急いでいくつか札を入れましたが、安めに入れた分は、N文庫さんにまんまと負けました。

15時半ごろ、空腹だったので、いつも一緒に食事をする仲間らと表へ行きましたが、飲食店はガスがとまったとかで食事できず、コンビニへ。見る見るおにぎりは残り僅かになっていき、カップ麺も減っていきました。

職員・O場さんの情報で電車が動いていないことが判明。
やがてツイッターが見られるようになりましたが、「大地震!」「揺れた!」などの声を見て、共有の体験を皆していることがわかりました。
家族には何度もメールやSNSを入れていましたが、やっと連絡が入ってきたのは、メール。

以下、家人とのメールやりとり。

15時02分「大丈夫ですか?」
15時10分「大丈夫ですか? 神田の書店、棚が倒れたらしい。電車とまりましたね」
15時34分 家人から「ビル揺れた。外に避難中や。」(第一声。ああ、良かった無事だった)
15時37分「うちの食器、落ちたやろね。ねこ大丈夫かな?」
15時40分 家人から「猫はよけるとは思うが。物が心配、倉庫も」
16時20分 家人から「会社終了。帰っていいと。飲み会中止。しかし電車止まってる。歩いて帰ってみるか」
16時28分 「実家連絡とれず。電車とまりましたな。かえれないな、食料確保」
16時33分 家人から「飴と飲み物持って歩き始めた。土岐も揺れたと連絡あった。電話は通じないね。メールは大丈夫そう」

http://www.omaken.com/mongo/2011/03/post-710.html(家人Mongoのブログ)

会館から出られなくなるのは恐怖ですが、耐震構造になっているはずと皆と言い合いつつ、8階・休憩室にて、おにぎりとお茶。
テレビ報道で初めて、各地の状況を目にする。信じられないような光景の数々・・・。

「この会館が耐震構造だなんて誰が言ったんだろうね、本当かな」と笑いながらS書林さん。バッグから「いつも持ち歩いているから」と非常食を出したのには、「本当に心配性なんですね」と思わず笑う。
水漏れで古書が濡れてしまった光景を見て、地震保険に入り、本は必ず1冊1冊OPP袋に入れていると話していたS書林さん。有名店の、あんなにいつも素晴らしい文章を書くS書林さんなのですが。
余震が来るたび、「揺れてるよね?」「揺れてる」「気持ち悪いね」「船酔いしそう」と、皆で言い合いつつ、どこを見て、何を考えていればいいのやら。

神保町の店の人たちは店の様子が心配なようで、早い時間から、どんどん帰っていきました。
R舎さんは、棚が倒れることはなかったようですが、壁にはってあるものがどさどさ落ちてきて、バックヤードがぐしゃぐしゃとのことでした。

築年数が古い木造住宅に住んでいるM堂さん、同じ方面のH書店さんらは
「歩いて帰ってみる」と出ていき、気をつけてねと心から願いつつ手を振ります。

N文庫さんは「どうしよう」と言いながらも、ツイッターに奥さんが「自宅のことが不安だけど、ひとりで帰るのはもっと不安」「自宅がめちゃめちゃ」とあったのが気になる様子。「やっぱり帰ってみる」と出ていきました。途中、早稲田で古書G・Mさんから自転車を借りて、西荻窪方面に向かったようです。

電車がダメならバスはどうかと東京駅方面まで歩いていこうと出ていったN堂さん、「だんだん寒くなる。決めるなら今。もう決めないと」と自分に言い聞かせるように何度も言っていました。
「電車はどうなんだろう、6階のパソコンで調べてみよう」というので、ツイッターに流れてくる情報をお見せしましたが、やはり自分の目で確かめたい様子で、6階へ確認しにいきました。
やがて「帰ってみます。ダメなら戻ってくるから入れてね」と笑いながら出ていきます。やがて、風が強くて寒くてダメと、気象庁前あたりから戻ってきました。
やがて「スプリンクラーで本がびしょびしょになっていたりしないか、様子が不安なので、とにかく帰ってみる」と再び帰りましたが、戻ってこなかったので、ちゃんと行き着けたのかな。

電車はとまっていたはずのに、遠方の古書店さん、皆さんどうやって帰ったのかと思いました。

自宅と倉庫のことが心配でしたが、近所に住んでいるBさんが「外観だけでよかったら見てきましょうか」とツイートしてくれ、ご好意に甘えました。向かい道をはさんで自宅向かい、軽量鉄骨の2階が倉庫なので、潰れて下の階に迷惑がかからないか、常日頃、不安でならないのです。本当に、ありがとうございます、Bさん。

19時45分、3時間以上かけて自宅まで歩いた家人からメール。
「帰宅。猫全員無事。本とCDは崩れてる。食器棚なかでやや倒れ。割れはなさそう。猫トイレ&飯やったら倉庫見てくる」
そのメールには、声をあげて喜びました。
iPhoneや携帯だけは手放さずにおこうと、何度も何度も何度も見て、iPhoneのバッテリーがどんどん減っていきました。それでも連絡のため頼みの綱、見ずにいられなかったです。

吉祥寺に住んでいる老親のことが心配でした。築年数が古く、とくに戦後すぐに建てたのではないかと思われる棟もあるので。
何度公衆電話から電話しても話し中のまま。埋もれて死んでいるのではないかと不安でした。(母と弟に携帯メールしておいたのだけど、返事がなくて、翌朝、弟から「家が散らかったけれど、皆無事」というメールがきて胸をなで下ろす)

結局、会館から帰れなくなった人のため、会館8階は開放し、7階、会議室を男性と女性別々の寝場所に開放すると理事らが決定。
警備の問題上、21時までに皆、会館に戻るように、その時点で人数を確認しますとアナウンスがあり、食事しにいきたい人はそれまでに食事しにいくようにとの指示でした。

古書展から帰れなくなったお客様のため、1階受付周辺にいられるようになっていて、
女性お二人は「歩いて帰るわよ」と宣言していました。
「本当に大丈夫ですか」と皆で心配すると「若い頃、ーからーまで歩いて帰ったから大丈夫」とのこと。
T書店さんが手元にあったおにぎりを「少しですが」とお渡ししました。
お客様のうち、どうしてもお帰りになれなかったお二人は、7階 会議室でお休みになりました。

電気も水道も通っていたため、暖房のきいたところでトイレも普通に使えて、皆で過ごすことができました。
「停電して、トイレも使えなくなっていたら、どうなっていたか」とNさんが言い、被災地のことを思いました。
6階事務所に職員さん理事らがいて、iPhoneの充電をお願いしたりもしました。早い時間に電池を買ってきたのですが、自前の充電器が働かず、本当に助かりました。会館の電気をお借りしました、ありがとう。
ニュースが流れる中、次第に皆で話す元気もなくなってきて、ぼけーっとテレビを眺めつつ飲むしかありませんでした。
店内で何店舗かの人らと過ごしていたというR舎さん、Mちゃんらが22時ごろ、会館にやってきて皆、飲んで仮眠。
「古書展はどうなるのか」「どうするのか」と真剣に相談している店の人たちも。

翌日、7時ごろ都営新宿線、京王線が動くと報道があり、
ダメもとで「帰ってみます」と退出。遅れ気味で満員のぎゅうぎゅうでしたが、
Nさんから買い取った本、市場で買えた本のうち大事なものだけを潰れないか心配しつつ持ち帰りました。
調布駅に着いたら、吉野屋の店頭に「水道管破裂のため、しばらく休業します」と張り紙。
天気がよく、家々がごく普通に、朝から洗濯物がベランダに干され、
布団もジャンジャン干されていました。
皆が日常に戻ろうとしているのか。日常と非日常のごちゃ混ぜな感じと、その中にいる自分と。

天災のもとには、人の力は本当に小さい。ちっぽけすぎる。
ですが、人の心は強い。さまざまな人の気持ちが、自分の支えになっています。
被災地に駆けつけられない自分を申し訳なく思っているけれど、まずは自分の近くにいる人をなんとかしていくしかないし、自分自身をなんとかしていくしかない。
これから先、まだまだ余震がくる予報ですし、原発のことも不安だ。
なんとか無事でいてください。
何もできないからと、自分を責めないで。できることからやっていくしかないので。

ちなみに、うちの連れ合いは、原発のニュースをUstreamで見て、今は、CNNのニュースを見て「放射能を測っている光景なんか、日本のニュースは流さないぞ」とつぶやいています。
もうちょっとしたら、西荻のN文庫に立ち寄り、老親の様子をみにいってくる予定です。被災地の方には及ぶはずもないですが、年齢や体験量、どこに住んでいるかにかかわらず、参っている人は多そうです。

月曜からは発送を再開しないと。市場にも行かないと。
できるだけ通常どおりに戻していきますが、
この先も余震やら何やらで郵便や宅配がどうなるやら、
到着が多少遅れる可能性があることはご理解いただきたく、お客様にはそのようにメールでお願いしております。

なお、自宅や倉庫の本たちは、多少散らばって落ちたものもありますが、棚も倒れず無事でした。お客様から買取させていただいた古書たちも、市場で集書してきた本たちも無事です。目録3号、発行までなんとかこぎつけられますよう努めます。今後とも、よろしくお願いいたします。

ブログの文章がFace Bookにも反映されるよう、家のものが苦心してインポートしてくれました。

ですが、最新の記事は「今年も宜しくお願い申し上げます」となっている。
きゃあ、いけません! 何か書きます。

もっか、目録3号を製作中です。

入力につぐ入力。
レンガ、あるいは、ブロックをこつこつ積み上げていくような作業です。

こんな本も掲載します。

douyouningyou.jpg

一見地味ですが、扉の絵は、あの人です。これが実に良い。
童謡は、おそらくこの本のための書き下ろしと思われますが、夫人のあの方です。これまた、しみじみ良い。(答えは、目録3号をご覧ください)

昭和4年に婦人之友社から出版された本です。

「子供之友」や「コドモノクニ」の絵柄に触発されたご婦人が、人形作りにエネルギーを注いださまが伝わってきます。

あと、あれとこれとこれとこれを入力して、順序を整えて、校正をして、目録入稿までの道のりは近いようで遠く、けれど、遠いようで近いのではと。

なお、明日3月4日は我が家のねこらの誕生日です。9歳かな。

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