2011年5月アーカイブ

「ここらでちょっと気分転換したい。自分自身、古い絵本を見てみたいし、
開店以来、ほとんど休みらしい休みもないし、でも、「日本の古本屋」は一時休止が簡単にできるが、
ホームページはどうやって休んだらいいのだろう」
みたいなことをツイッター上でこぼす。
すると、
「オンライン古書店を始めてみたいので、実地体験を兼ねて
何かお手伝いできませんか」と未知の方からメールをいただいた。
有り難いやら、びっくりするやら、恐縮するやらである。
当方を利用した体験はないが、ブログも読んでいただいているのだという。
返信を書こうかと思ったが、私の体験や感想でも
もしかしたらどなたかの参考(反面教師にでもなれば、それでいい)になるかもしれないと
パブリックなブログに書くことにします。
が、自分でもどんな展開になるか書いてみないとわからず、長文ですムダに長文。
しかも、ひとりよがり。ああ、こんな文章読みたくないよね、と思うが、
ときどきは書きたくなります。こんな駄文でも、長すぎて、書くにも時間とエネルギーがいりました。
だから、ときどきしか書けません。もっと書いてねとか言われても無理なので、
たまに、で充分です。たまに、で勘弁してください。誤字脱字、意味不明な文章も推敲する時間をとれないので、さっと読み飛ばしてください。

オンライン古書店を利用している人は多いだろう。
私も他店をよく利用する。海外の古書店からもネットで検索して、カード決済で買う。
先日、目録の名簿を整理しながら気づいたのだが、
私のところも、リアル古書店が近所にない地方の人というよりは、
よくご利用いただいているのは、東京と関東近郊、そして大阪や神戸など都心の人が多いようだ。
ネット検索で、欲しい本を欲しいときにピンポイントで探すことができるオンライン古書店は
今後も需要は減らないだろうと予測している。

経営する側としても、都心である程度の広さ・利便性のある実店舗を構えるには、
家賃・維持費がかかりすぎる。
その点、ネット古書店だったら、何百冊か本があって、置き場所を確保できるのであれば、
割合、始めるのは手軽だ。
やろうと思ったら、誰にでも始められる敷居の低さがある。
だから、ネット古書店を始めてみたい人も多いのだろうと思う。

ただし、利益を生み続け、資金をまわして、次の仕入れへ次の仕入れへと続けて
ホームページなり「日本の古本屋」なり「スーパー源氏」なり、
ネット古書店を維持して、さらに新たなお客様にどんどんご来客いただくためには
それなりの工夫がいるし、そうたやすくないことはいっておかないとならない。

この先、私の個人的体験に基づいて話しますーそれも2003年から8年、続けてきた体験からだけ述べますので、ご了承ください。

私自身、ネットで物を買い始めた初期、とても楽しい体験をした。
アマゾンマーケットプレイスが始まってすぐのころだと思う。
マーケットプレイスか楽天のイージーシークだったか、ちょっと記憶が曖昧だが、
そのころ熱中していたミュージシャンのフィギュアつきカセットテープ、中古のものを見つけて注文してみた。
すると、届いた荷物がとても素敵だった。
パン屋さんだかケーキ屋さんだかの素敵な紙袋に入っていて、再利用のなのに、かえっておしゃれな印象を受けた。
「楽しんでいただけたら幸いです」みたいなカードが添えられている。
自分が欲しいものを自分で注文したのだから当たり前なのだが、ものすごく嬉しかった。
まだ中古品をネットで買う体験をさほどしたことがなかったので、
まるで、自分が欲しかったものをピッタリビンゴの感じで、
それも可愛いパッケージにくるんで知り合いからプレゼントしてもらったかのような
錯覚を覚えたほど、幸福な気持ちになったのだった。
ネットで物を買うのが、それほどパーソナルなお付き合いだということを
そのとき知った。

当時、私はライター歴がもう20年以上になっていて、かといって作家にもなれず、編プロを作ることもできず。
近しく付き合ってきた社員編集はどんどん出世して現場からいなくなっていくし、
むしろ若い編集者の手足になって、リクエストされるままのものをつくっていかないとならなくなっていた。
いまだに覚えているが、一言一句、自分の言葉でないと気が済まない完璧主義の大卒女子編集者がいたな。
彼女の望むとおりに原稿をこしらえたつもりだったが、彼女は自分の思いどおりでないとイヤだったのだろう。
あとから、一言一句、ほぼすべて原稿を書き直されたことがあった。私はなんのためのライターなのだろうか。
彼女のやり方だと、おそらくついていく人は周囲にあまりいないだろうとわかったが、
アンタの文章がヘタクソだから使えないわよと烙印を押された気持ちだった。
それなりに経験値も重ねていたつもりだったので、かなりこたえた。
編集長が知り合いだったので「彼女のことをよろしく頼みます」とは頼まれたものの、
胃が痛くなるような思いをしてまで付き合っていけませんよという気持ちだった。

(書いたあとから、ふっと思い出した。K社の雑誌編集をしていたころ、みうらじゅんさんからご寄稿いただいた映画評 原稿のうち「ボク」とあるのを、堅めの雑誌にあわせて「僕」とするなど、毎回、一通り打ち直していたのは私でした。みうらさんご本人に相談もなく・・・。当時、編集として普通だと思っていた。私も「彼女」と同じようなことをしていたのだ。みうらさん、お読みになるはずないとは思いますが、その節は申し訳ありませんでした)

編集とケンカしないで、なるべく気に入られるよう心がけて
生きていくよりも、自分が思ったように経営する仕事をしていきたいと思っていた。
(でも、実際、今だってペコペコしまくっている。
昔、J事務所のマネージャーから「なんでタレントにそんなにペコペコするの?」と
からかわれたことがあった。
ペコペコするのは、私の小心から来る性格上のものだと、あとから気づいた)

当時、アマゾンマーケットプレイスなど始まったころなので、
素人でも中古本を売るということに参入しやすかったな。
タイミングがよかったのだろう。

当時、知人編集から回してもらっていた仕事があった。BOL JAPANという
ヨーロッパ資本の、新刊書を販売するサイトがあった。今でいうAmazon co.jpのようなもので、もっとジャンル別に本の紹介文を売りにしていたように思う。
新刊が送られてきて、さーっと読んでは、その本を買いたくなるような文章を書くのが仕事だった。
その「モノ」の良さを何か引き出しては、魅力を伝えて
その「モノ」を欲しい気持ちにさせる文章を書くーそういうことは仕事で慣れていた。
なので、新刊書の良さを書くのもそう辛くはなかった。
むしろ、ピッカピカの新刊が送られてきてタダで読めるし、しかも、編集者の配慮から
「旅行もの」など好きなジャンルを選べたし、それでお金はいただけるし。
それはそれで悪い仕事ではなかった。Oさん、元気ですか?

アマゾンマーケットプレイスやイージーシークで本を売ることから始めたが、
自分のサイトを立ち上げて、本の紹介文をつけてみた。
さんざん仕事でやってきたことだったので、
長く文章を書くことには慣れている。
こういうブログをご覧になればおわかりのとおり、私にとっては
決められた字数におさまるよう時間内に書くより、制限なくダラダラ書くほうがやりやすい。

はじめ、さまざまなジャンルを扱っていたが、
もっとも反響がよかった絵本を次第に多く扱うようになっていった。
絵本なので「単行本」ほど時間をかけなくても読めるのも良かった。
編集から文句を言われることもなく、一字一句なおされるようなこともモチロンなく、
絵本を読んでは説明文をつけてサイトにアップしていく・・・。
その作業をコツコツ続けていったら、おそらく書名などの検索でくるのだろう、
私が長く長くなんでもかんでも書くクセがあったので、検索でひっかかりやすいようだった、
次第に、知らない人がどこでどう知るものやら、注文が入るようになっていった。珍しめのものでも、ポンと注文が入る・・・。打てば響くような感触に面白みを覚えた。

「説明文が丁寧でわかりやすい」とご好評をいただいたので、はじめは気を良くして続けた。うちのウリだという自負さえあった。

が、組合に入ってしばらくして先輩のP書房さんから「あのホームページの説明文・・・。あれと同じことができる人はいないだろうね」と言われた。解説文をきちんとつけてアピールすれば、案外売れるには売れるのだが、効率的とはいえず。どんなにガンバっても本を読みながら解説文をつけていくのは
1日5-6冊程度だった。
しかも、単価は高くてもせいぜい3500円とか。多くは1000円ー2000円、安い本だと700円とか。
仕入れ値を考えると、1日かけていくら利益が出るのか、時給計算など怖くてできない。
次第につらくなっていき、自分のなかのノルマを達成しなければと思うと
パソコンに向かって文章を打ちながら気持ち悪くなってしまう。次第に、肩凝り、そして、ドライアイと吐き気が・・・(たとえ、でなく、本当にそうだった)。勝手に、身を削るような思いをしていた。
「そのやり方はやめたほうがいいね」と組合の先輩に飲み会の席でキッパリ言われた。
私は、組合に入ってから、商売のやり方を多くの先輩たちに教わってきたのだと、今になって本当に実感している。

主に教わったのは、?舎さん、?書房さんだが、
自分で本の値段を作っていくこと。
自分なりの値つけができる本とは、どういう本なのか。
どのようにして、そのような本を探して、どのように値つけして、
どのような人を対象にして、どのように展開していけばいいのか。
ネットで一度きてはすぐ他店へと流れていく「一見さん」ばかり相手にしていてはダメ。
ネット検索で値段比較できるお客さんは、(私も同じようにしていたのでわかるが)
別にひとつの店に固執する必要がない、
どんどん自分にとって便利な店に流れていき、買いやすい値段で買いやすい本を買う、
そして、また別の店に移っていく。
自分の店はこういう商品を売っているんですとアピールする目録を作ること、
目録を出すたびに、まとめて買ってくださる顧客をつくって、
そういうお客さんを大事にしていくこと。
あの人が買ってくれるはずというのがあれば、明古(メイコ=古い良い本がたくさん出てくる古書市場。相場は高いが、だからこそ地方からも優良書が毎週毎週集まってくる)の最終台でだって買えるようになるよ。詳しくは書かないが、まあ、そんなことを教わってきた。

高額の文学書を扱う有名な?書林さんからは、
何度も呑みにいっていると、お付き合いをしているお客様が大勢いて、
本当にどれほど頼りにされているかよく伝わってくる。
画像を見たいといってくる人は大抵買わないので、
うちは画像をとる機械がないので、と断るというので、ドライなのかと思いきや、
自分のところのお客さんのためには、ほとんど利益が出なくても
市場出品をとことん世話してあげている。
目録商品を顧客に発送するときはできるだけパラフィンをかけてあげる、
なるべく親切にしてあげたほうがいいね、ということを教わった。?書林さんの深い教養・知識と優しい性格は、顧客にもきっとよく伝わって支持されているのだろうと思った。

商売を続けていくためには、利益を出さないといけない、
仕入れを続けていくためには、利益がないとやっていけない。
とくに力仕事では男性にかなうはずがなく、女性が薄利多売を一人でやるのは大変。
寝る時間も惜しむ勢いで、とにかく死ぬ気でやらないと無理だと思う。
が、その前に腰痛になって立てなくなるか、体を壊すかになりかねない。
実際、女子の古本屋のなかにはすでに休んでいる人、消えていった人も結構いるんです。
売れる高額商品がないと、難しいと思う。

店によって、利益を生んでいる部分は違うはず。また、当方は専門店だからかもしれないが、
需要のあるものーそれもできれば、多少なりとも利益が出るような高額商品が
少しでもあるかないか、それによって生き延びられる年数に差が出てくると思う。

そのためには、仕入れである。仕入れと勉強、それから体験とカンである。
どんなものだったら、人は欲しいのか、
どんなものだったら、高くても買いたいのか。

自分が買う側だったらどうなのか。

私は自分自身、何万かする洋書絵本でもときには思い切って海外から買う
体験をしたことがあった。自分自身の体験・直感は大きいとも思った。

目録を作るようになって、市場で高い値段で競いあって買われていく絵雑誌が
どれほど需要があるものなのか、次第にわかってきた。

利益が出る出ないなど考えずに、貯金を崩してでも
身を切るような思いで買わないと、そういうものは他店に買われてしまう。
そう簡単に買わせてもらえないことも次第にわかってきた。

つまりは、仕入れのためのお金を生むためにも、
売って売って売って売っていかないと、店は続けていけない。
(財政力のある店、貯金がうなるほどあるような人は別問題)
買って買って買っていただけるようなものをどんどんどんどん仕入れていかないと回転していかない。

その末端に自分はいるわけですが、
でも本当に、欲しかった本が届いたときにお喜びの言葉をいただくと
本当にやりがいを感じます。その感覚は何年たってもかわりません。
人に確実にお喜びいただける、本当に良い仕事だと思います。
ただ、何年も続けていくためには、やっぱり楽な仕事ではないのは確かでしょう。
努力が好きな人だったらきっと楽しめる仕事なんだろうと思います。
楽な仕事なんてないですからね。

ものすごく見栄えがいいのに、じきぱたっとやめてしまうネット古書店が多いのは、
手間がかかるからだろうと思う。
 時間を見つけては仕入れにいく(セドリ・古書市場での仕入れ、どちらも同じ。仕入れが大事)
→売れそうな本を売れそうなふうに工夫しながら売る努力
→注文が入ったらできるだけ早く倉庫に在庫確認しにいく
→ご希望の集金・発送方法などお聞きして、ご希望に近い形で集金・発送方法をお知らせする
→集金する=ご入金いただく
→入金確認できたらなるべく速く、なるべく丁寧に梱包・発送する(一刻を争う注文が飛び込んでくることは少なくない)
→確実に届くよう、お客様に発送メールをお出しする
 ハガキやFAXでのご注文も結構多いので、念のためハガキかFAXで本を送ったお知らせをする
→本が届きました、とメールが届けば、お礼のメールも書く
→相談ごとがメールに書いてあったら、時間とエネルギーが続く限り、できるだけ対応する
→知りたいことが書いてあることも多いので、できるだけ調べて答える(本当に多いのです。
中にはメールを書くことがものすごく気軽な感覚の人がいるようだ。名前や連絡先も書いてないメールは相手にしたくないが、ムシもできず。本当に非常識すぎて、ひどいと感じたときはスルーさせてもらうが。丁寧な文面で書いてきている場合、わかることは調べて差し上げたりもします。以前は長く書いていたが、今はもう短いです。それでも、時間とエネルギーは使います。収入につながらないことのほうが多いのですが、この部分で結構消耗もします。でも、大事なことでもあるんです)
→いただくメールから読み取れる最大の情報を感じ取らねばなどと思っていると、ときには勘違いをしたり、相手が怒ってもいないのに怒っているように感じられたり、ああ、気を悪くさせてしまったかもしれないと胃が痛むような思いをしたり、神経がいくらあっても足りない
→何があっても次、次といけるようなタフさが必要?
神経が図太くならないとダメだと思うが、あまり無神経すぎて、初めて接する人の気持ちをまったく汲んであげられなくなるのもどうかとも思うし。


ネット古書店は見た目より利益を出すのが楽じゃないだろうと思います。

ただ、目録で高額商品がようやく動くようになったとしても、人気の本はどうしても抽選になってしまう。
公共の図書館・美術館・大学の先生・研究者・愛書家・・・、さまざまな方の競争のさなか、有り難い思いと一緒に、同じ本を何冊もご用意することができずに申し訳ありません、と、いたたまれない気持ちになります。「思ったより当たってほっとしました」「想像と異なる結果でしたが、少しでも頂け安堵いたしました」などのメールが届くと、もう恐縮するやら申し訳ないやら、あるいはどこまで本音なのか、どこまでメールの文章から読み取るべきか、あれこれ思い悩みます。抽選の結果、ご希望どおりにならなくて本当に恐縮です(欲しい気持ちがわかるので、なおさらのこと心が痛む)ただただ、頭を下げるばかりです。と同時に、それほど注文が重なるものを今後また仕入れられるのかどうか、また買って買って買い続けていくことを考えると、本当に心細くて、胃がおかしくなりそうになります。
 
目録をやっても、ネット古書店をやっても、どっちにしても、続けていくとなると、そう楽なものじゃないだろうと思います。

やるだけやってみて、あくまで体験程度にして。さっとほかにいくのも、今ふうかもと思います。

やる気がある人はやればいいと思います。やってみればわかります、やりたいなら、たぶん、やってみればいいです。

古書組合に入って東京の古書市場に通う気があって、さらに飲み会が好きな人にだったら、もっといろいろ教えてあげられるかもしれません。組合に入ったとたん、いろいろ教えてくれる先輩が現れたり、市場に通っていくうちに、いやがおうにもいろいろ気づかされることは多いです。

ああ、発送しなくちゃ。パスポート申請しにいかなくちゃ。たまには気分転換と勉強のため、そして、チャンスがあれば仕入れのため、海外出張してきます。誰が何といおうが、出かけてきます-。さいなら。

2013年9月

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