2005年2月アーカイブ

春一番が吹きました。
同じようなことの繰り返しばかりで過ぎてゆく毎日…。
それでも、季節は確実に春へと近づきつつあるのですね。

仕事部屋にケーブルテレビのチューナーを導入。
我が家は電波の入りがよくなかったのですが、
ようやく仕事をしながらFMが聴けるようになりました。
CDをかけるのもいいのですが、何かに集中するとCDをかえるのが面倒で。
リピートにしておくと、同じCDばかり何時間も流れ続けることになります。
その点、FMっていいですよね。
明るい陽射しの差し込む部屋で、ゆるやかに人の声がしている、音が流れている。
悪くありません。
家で仕事をしていると孤独ですが、大げさにいえば社会とつながる感じかな。
そういえば、ラジオが流れている古本屋って結構好きです。

発送準備をしながら、絵本「はなをくんくん」をパラパラ。
ああ、絵本ってすばらしいなあと思います。
大人が見ても、こんなにも力を与えてもらえるのですから。
退屈だなと感じたとき、さびしいとき、うれしいとき…
どんなときでも、近くには本がいてくれますね。

年をとっても、できることなら目が見えたらいいな。
本を読めるから。
小さな文字が読めなくなっても、絵本なら大丈夫かな。

好きな絵本はたくさんありすぎて、簡単にはあげられません。
おなじみ「ちいさいおうち」も、大好きな絵本の1冊。
原題は、“THE LITTLE HOUSE”。

文と絵は、1909年生まれのバージニア・リー・バートンによるもの。
第2次世界大戦中、1942年にアメリカで出版され、
同年、アメリカの最優秀絵本としてコールデコット賞を受賞しました。
彼女は、最初の絵本「いたずらきかんしゃ・ちゅうちゅう」を長男のために、
第2作「マイク・ミュリガンのスチームシャベル」は次男のために描きました。
その後、「せいめいのれきし」「名馬キャリコ」など
数々の名作を後世の人々へと残して、68年、59歳で亡くなりました。

「ちいさいおうち」は子供のころから何度も読んでいたと思います。
でも、大人になってからページをめくると、ぜんぜん印象が違うので驚きます。
これほど深い意味合いを含んでいたのかと、
自分の心境とオーバーラップして、じーんときます。
おそらく、作者は、当時33歳だった自分自身や親への思いをこめて描いたでしょう。
出版当時から、同世代の大人たちが今の私たちと同じように、
さまざまな思いを抱いてページをめくったことでしょう。

「おおきな木」「100万回生きたねこ」などもそうですが、
子供も楽しめ、大人はじっくり味わえる。ときに涙する。
まさに、絵本の王道をいっている絵本だと思います。

“THE LITTLE HOUSE”は世界各国で長く愛され続けているロングセラーですが、
同じ日本語版の「ちいさいおうち」でも、何種類か異なる形態で出版されています。
もっとあるのかもしれませんが、我が家には3バリエーションの本があります。


↑天地23.3センチ×左右25センチの大判。
1965年初版。これは94年の36刷(当時1450円)。
訳は、石井桃子さん。改訳版となっています。
絵柄と活字、文字組みがひじょうにきれい。
作者・訳者名は平仮名表記。題字とあわせて飾り文字になっています。 
ちなみに、カバーをはずすと、ブルーの布貼りに白抜きの絵柄が美しいです。


↑天地20.5センチ×左右16.5センチの小型本。
 岩波の子どもの本です。
 これは現在流通しているのと同じもの。
 1954年初版。これは81年の25刷(当時530円)。
 「改版」です。文字は横組みです。ページは左開き。
 石井桃子・訳のクレジットが入っています。


↑これは上の小型本と同じサイズなのですが、
 岩波の子どもの本 いわゆる「元版」です。
 昭和29年(1954年)初版。これは昭和51年(76年)の22刷。
 上の「改版」と異なって、文字が縦組みで、
 ページは右開き。訳者のクレジットは見当たりません。

元版には、カバー袖(折り返し)に「本のおねがい」
「わたしは本です! よむまえには手をあらってね! ページをおらないでね!」
「ふせるのはいやだよ!」「つばきをつけないこと!」
「ほうりだしたら いたい、いたい!」「では、みなさん、おやすみなさい!」
といった文字と、本を読むカンガルー親子のイラスト入り。
「岩波の子どもの本」元版は、日本の絵本界が産んだ宝だと思っています。
どんなにボロボロでも私は大好きです。

同じ「ちいさいおうち」ですが、
活字の組み方が横組み(横書き)か縦組み(縦書き)かによって、
読む印象はだいぶ違ってきます。
活字の印象も、同じ明朝系ですが、ずいぶん違います。
個人的には、元版、次に大判の活字びいきです。

決定的に違うのは、訳文。
元版で「ちいさいおうちは とてもさびしくおもいました。
まわりのぺんきははげちょろになって、まどもこわれてしまいました。
ちいさいおうちは、たいへんみっともなくなりました。
うちのやねやかべは、むかしとおなじように、こわれないでちゃんとしていたのですが……」
この部分は石井桃子さんの改版では
「ちいさいおうちは、しょんぼりしました。
ぺんきははげ、まどはこわれ、よろいどはななめにさがっていました。
ちいさいおうちは、みすぼらしくなってしまったのです。
……かべややねはむかしとおなじようにちゃんとしているのに」
微妙に違います。
また、ラストのページで石井桃子さんは
「ちいさいおうちは もう二どとまちへいきたいとはおもわないでしょう…… 
もう二どとまちにすみたいなどとおもうことはないでしょう……」と訳し、
元版では「ちいさいおうちは もう二どとまちへいきたいとはおもいませんでいた」
と言い切っています。
どちらがどういうニュアンスをもたらすか、人それぞれに違った印象かもしれません。

さらに、改版には、元版にない扉の前に、ひなぎくの輪と蝶の絵が挿入され、
ページ組みまで微妙に異なります。

興味がない人にとっては「それがどうした?」といったところでしょう。
でも、私から見ると、こういった微細なことがなかなか興味深い。
同じ日本語版でも、それぞれにかかわったデザイナー、訳者、編集者が異なり、
それぞれに違った気持ちがこめられているように思います。

私はけっして“コレクター”ではないと思っています。
コレクターは、手持ちの本を売ることはできないでしょう。
しかし、こういった好きな絵本のバリエーション違いは、
ついつい持っていたくなります。
こうして、ただでさえ狭い我が家の書庫は、
本であふれかえっていくのでした。

2012年9月

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