P・F・ドラッカー "プロフェッショナルの条件"

どこかのWebでみつけた記事でまあ読んで見なさい的な意味合いで出ていたピーター・ドラッカーの"プロフェッショナルの条件"を読みました。
7月から読み始めて9月13日やっとですから2ヶ月かかるとは情けないですが、それ以上に内容が濃く、これからも仕事をしていく一人の人間として、いろいろ考えさせられる内容でした。なんとなく肌で感じていて自分の中で自分の言葉になっていなかったこともあれば、なるほどという内容も多く、久しぶりに読んでよかった、と思える本だと思います。

いろんな書評はあちこちにあると思うので、自分が面白いと思ったところをいくつか。

(以下イタリックの部分は引用です)

知識が経済の中心であること
そんなの当然だろ、という人々もいるかもしれませんが、改めて本に書かれているのを読んで納得。

(24ページ付近)
250年前に始まった知識における意味の変化が、再び社会と経済を大きく変えつつある。今や正規の教育によって得られる知識が、個人の、そして経済活動の中心的な資源である。今日では、知識だけが意味ある資源である。もちろん伝統的な生産要素、すなわち土地(天然資源)、労働、資本がなくなった訳ではない。だが、それらは二義的な要素となった。それらの生産要素は、知識さえあれば入手可能である。しかも簡単に手に入れられる。
もちろん、そのような新しい意味における知識とは、紅葉としての知識、すなわち社会的、経済的成果を実現するための手段としての知識である。この変化はそれが望ましいかどうかは別として、もはや元に戻すことのできない一つの変化、すなわち知識を知識に適用した結果である。

その知識というか情報はネットにアクセス可能なら誰にでも手に入るようになって、なんか自分たちが子供の頃は本をたくさん調べるために図書館にでもいかなければならなかったことが手元の携帯電話やiPhone, PCから簡単に入手できるような時代ですよね。
あふれる情報をまとめてどう活用するか、各個人が持つ知識をどう応用して組織の力にするかが鍵だなんて、そんなこと分かってるって言われても本当にそうできているかが微妙なところです。


(27ページあたり)
知識が単なるいくつかの資源のうちの一つではなく、資源の中核になったという事実によって、我々の社会はポスト資本主義社会となる。この事実は、社会の構造を根本から変える。新しい社会の力学を生みだし、新しい経済の力学を生む。そして新しい政治を生む。

この一文を読んで思いつくのはGoogleのことですが、別にGoogleだけじゃなくてまた別の集団が知識や情報をたくさんの人にとてつもないスピードでアクセスできるようにしてしまうのかもしれません。言いたいのは、IT革命のこの先には資本主義社会の次につながるなにかがあるんだろうなあというおぼろげな感覚です。自分の勝手な感覚でうまく表現できないけど。



集中することの重要さ
今の世の中いろんな要求があって大変なのは皆さん同じだと思いますが、この10年前の本(ネタはもっと前なのかもしれませんが)にも同じように書かれてます

新しい任務で成功する上で必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。


ああ、そうだよな。と、思いながら集中できていない自分がいることに苛ついてしまうのですが、いろんな仕事を引き受ける前に本当にそれが重要な、組織に撮って意味があるのか考えた方がいいなあと最近は強く思っています。他の組織のための仕事、とくに中の人向けの仕事が多く、決してOutput(最終顧客)への利益になっていないものも多く、またそれは自分じゃなくてもできることが多いなあと感じてます。



(113ページ付近)
自らの強みを知るためには?
明らかになった(自分の)強みに集中する。
強みをさらに伸ばす。
無知の元凶ともいうべき知的な傲慢を正す。
悪い癖を改める。
人への対し方が悪くて、みすみす成果をあげられなくすることを避ける。
行っても効果のあがらないことはやめる。
努力しても波にしかなれない分野に無駄な時間を使わない。


自分の弱みをなんとかするより強みを伸ばす方がはるかに前向きだなあというのは誰にでも分かるのに、組織にいると「お前はこれこれだからダメだ」とよく言われますね。今までそういう評価ばかりだったのでそういう生き方になったのかもしれませんが(それか自分の性格か)・・・。その結果みんなが万能になろうとしてもなれない、成れる分けないという結果に。


ドラッカーも書いていますが、無能を並にする懸命になっていると。自分で無能と分かっているならその分野は無理だと認めて強みに集中したほうがいいというね、当然ではありますが。
そういう強み探しをやって、そこに集中することこそが個人として、プロとしてやっていくために必要な作業なのかも知れません。



(129ページ付近)
不必要かつ非生産的な時間が多いことについては、誰もがよく知っている。しかし、時間を整理することは恐れる。間違って重要なことを整理してしまうのではないかと恐れる。だが、そのような間違いは、ただちに訂正できる。整理しすぎれば、すぐに分かる。


これは会議に関係する話なんだけど、別に会議以外にも当てはまると思うなあ。
だれもが言い出せないでだらだら続いている組織の慣習、無駄に人の多い会議、会議に出てきているのに何も言わないのに必要な人(そこにいることでOKと判断される)とか、あーもう、と思うことも多いなあ、と。



(134ページ付近)
大きな成果を上げてある人は、緊急かつ重要な仕事とともに、気の進まない仕事についても、締め切りを設けたリストを作っている。それらの締め切り日に遅れ始めると、自由にできる時間が再び奪われつつあることを知る。


自分もリストを二つ作って仕事をしていますが、確かに重要なことの漏れはなくなりました。(その日の仕事リストと、今抱えていることのリストのふたつ)
でも成果が出ているとはまだまだ言えない現実で、例えば中長期の目標と達成具合について知るには、何かもっといい方法がないかと自問自答している日々であります。



(139ページ付近)
成果の上がらない人は、第一に、一つの仕事に必要な時間を過小評価する。すべてがうまくいくものと楽観する。
第二に急ごうとする。そのためにさらに遅れる。
第三に、彼らは同時にいくつかのことをする。


はい、耳が痛いです。一つのことに集中し、最も重要なことからやっていくことこそが重要なら、それを判断し、進めていく上でできなくなってくることを早めに周りに伝えることが大事ですなあ。これは自分できないからこっちやってクレヨン、みたいなね。それを言いにくい場合もあると思うけど黙っている方がよっぽど組織にとってマイナスだよね



必要なのは勇気だ
(143ページ付近)
マネジメントの世界においても、大きな成功を収める企業は、既存の製品ラインの中で新製品を出す企業ではなく、技術や事業のイノベーションを目ざす企業である。一般的にいって、小さくて新しいものも、大きくて新しいものも、危険で困難、かつ不確実なことに変わりはない。問題の解決、すなわち昨日の均衡の回復などよりも、機会を成果に変えることの方が、遥かに生産的である


過去の成功体験ほど楽なネタはないなあと。あのときこれこれで成功したから今回もこれでいけるでしょ!というのは既存の製品ラインの焼き直しで、やはりそこに何らかのイノベーションを目ざさないと、というのは頭が痛いところですよね。それについては考え抜くしかないと、調査、測定し、いろいろやって考え抜いてボツにしてまた何か生み出してそこにイノベーションって出てくるのかなあなんて思ってます、最近は。手っ取り早い成功なんてあり得ないっす。苦労しなきゃ。



満場一致に注意せよ
(164ページ付近)
成果をあげる人は、何よりもまず、問題の理解に関心をもつ。誰が正しく、誰が間違っているかなどは問題ではない。



これを読んで思い出したのは最近の仕事なんだけど、訳の分からないFWDが5回くらいされたメールが飛び込んできて、雰囲気からして自分に何かを押し付けているなと。立場的に整理しないとプロジェクトが動きそうにないのでメールを一番したまで読んだら実はとても簡単なこと、5行くらいで要求、理由、期待することは整理できる内容でした。その間にいた数人はその整理もせずに読んで転送するだけという仕事で、毎度そういうのは嫌になりますが、整理の仕方を教えて今後はやってもらうことにしました。
誰もが長いメールは嫌だし、自分が分からないことを調べるのは嫌だし、時間ないし、そうなると責任ある立場に押し付けて自分は責任ないからという決め台詞で逃げる、というのでは成果どころの話ではないですね。



優れたコミュニケーションとは何か
(170ページあたり)
コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験にある言葉を使わなければならない。説明しても通じない。経験にない言葉で話しても、理解されない。受け手の近く能力の範囲を超える。コミュニケーションを行おうとするときには、「このコミュニケーションは、受け手の知覚能力の範囲内か、受け手はうけとめられるか」と考える必要がある。


うんうん、これこそ基本ですね!
よくコミュニケーションがうまくいかないという背景にはやはり伝える側に多くの問題、つまり受け手の立場になって考えて伝えようとしていないという一方的な問題があると思います。受け手がたまたま理解する力があり、言葉の陰にある意味を読み取って何かアクションしても実は要求と違った、そんなこと頼んでいない、などとなると話はとても悲惨になると思います。
よく伝えること、理解させるためには受けてに分かる言葉を使うことが重要ですね。もちろん、それだけじゃないと思いますが、まずは出発点だと思います。


ということで、感想文前編でした。
後半はまた時間のあるときに!




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このページは、Mickが2009年9月13日 16:53に書いたブログ記事です。

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