頬をひっぱたかれた日

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集書に苦心しているとブログに書いて、
お付き合いさせていただいているお客様から本を何かお譲りいただきましょうとご提案いただく。
そして、大事なお客様を困らせてしまう。
なんという甘えっぷりだろうか。

製作中の目録の構成をわかっているのは私だけである。
見えないものと見えないものの間に橋をかけ、何とかつなげていくような作業であり、
作っている人にしかわからない。
ただただ並べているだけだろうと思われるかもしれないが、
たとえば時代順に並べていくだけでも、
コツコツ並べながら見えてくるものもある。

そういうものをしっかり伝えきれるのかどうか。
お客様から譲っていただいた古書、主が亡くなって古書市場に出てくる古書たち、、、、
活かしきれているのか自問自答の繰り返し。

自家目録を出すたび、質が落ちていく店が多い、といわれる。
せっかく始めても2~3号でやめてしまう店が多い、といわれる。

同じジャンルであっても、ご覧になるお客様によって
どこのどの部分が欲しいのか、まったく異なる。
ひとりでも多くの方に「お!」と思って、大事なお金を払おうと思っていただくためには、
そう簡単にはいくまいよ。
ああ、もっともっと古書市場に通わねばなるまいよ。
えびなさんも、石神井さんも、私が尊敬する店主さんは本当にコツコツ市場に通って
それはもう目を皿のようにしてあれこれ探しているのである。

そうして、闇に葬られていきそうな紙の山からすくいあげられるものも多いのだ。
先人たちの生きてきた証しを、これはよし、これはダメと選んでいかねばならないのだ。

もっと自覚せねばと思う。

昨夜、受注本を探しに事務所へ立ち寄ったら、
月の輪書林さんからの封書がポストに入っていた。
月の輪さんがお持ちだった、某店の目録を譲ってもらったのだった。
月の輪さんの手紙に、目録次号、そして、次々号への思いが
さらりと書かれていた。さらり、とだが、薄く軽く「さらり」でないことは自明である。
いただいた目録と、月の輪さんのメモに
頬をひっぱたかれたような気がした。

北條さん、岡崎さんに「ついにリアル店舗を始めた」みたいなことを書いていただき、
ご紹介くださったお気持ち、大変嬉しく、ありがたく受け止めております。
ただ、自分のブログには書いてきたつもりですが、
今のところ、海ねこは、ほかの何より目録に注力していきたいのです。
そうしていかないと、これまで目録を出すたびお買い上げくださる方々に申し訳がたちません。
ときどき、現物をご覧になりたいとご希望なさる方がいらっしゃいますので、
アパートを借りて倉庫という展開のままでなく、
なんとか接客スペースがある事務所をこしらえたかったです。
過去の目録掲載本がしまってあるようなバックヤードがある。
PCで検索すれば、何がどこにあるか、わかるようにしてある。
そのようにして何かご覧になりたいというご希望があれば、いつでも何か奥からお出しできるようにしたかった。
ついでに何かお好きなものをお探しになっていただけたらと、店頭に
ちょっとした古書店ふうの棚を設けました。

そんないきさつでしたので、こんなにパパっとこしらえただけで
「リアル店舗」というには、あまりにもお恥ずかしい話です。
日々、真剣に「リアル店舗」を続けようと全力を注いで邁進している方に申し訳ないぐらいです。
わざわざ、その店に人に来ていただく、足を運んでいただくというのは大変なことです。
そんな簡単に、魅力的な店舗を展開できるとは、いくらバカでも
そこまで甘いことは考えておりません、ゆめゆめ考えてはいけないと思っております。

音羽館・廣瀬さんの努力を見よ、ささまの優秀な店員らの博識ぶりを見よ。

このブログをお読みいただくかもしれませんので、とりいそぎ。
月の輪さん、お客様のE様、T様、厚く御礼申し上げます。また、ご連絡申し上げます。

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