思えば遠くへ来たもんだ

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E書店さんの古書目録、「勉強させてください」とお願いして
89年、2000年、2008年のものを分けていただいた。
勿論、古いものはすでに取り置き分などないそうだ。「こんなのしかないんですよ。差し上げます」と下さったものなのだが、「校正本」「回覧用」と背に、手書きの文字が入っている。
中を開いてみたところ、
ご本人による赤ペンによって、
発行後、気づいた訂正文字が、あちらこちらに加えられていた。
Eさん、よくぞお譲りくださったものだと感謝あるのみ。
今度お目にかかったら深く深く御礼すべし。
と同時に、ちょっと聞いてみたい。
1冊完成させるまでにいったいどれほどの時間と労力が要ったのか。
そして、物質的、精神的、経済的な困窮の際、
どこでどのようにして、しのいだのか。
20年前のことだがなんと話してくださるだろうか。

あのT書林さんが影響を受けたものとはこれなのか。

古書マニアなら勿論、よくご存じなのかもしれないが、
自分は初めて現物を目にした。
まさに、読む目録、である。

1冊を通して見れば、かつて生を受けた人の足跡、人となりがクッキリ浮き彫りになる。

自家目録を作る人には、大きく分けて、二通りのタイプがあると思う。
商品説明など最小限でいい、演出はいらない、
むしろ商品の力で、お客さまに判断していただこうと考える店。
自分なりに説明を添え、編集することによって、商品の魅力を際立たせ、より気付いてもらおうと考える店。

E書店の場合は、おそらく、後者に近いのだろう。

とことん調べあげて構成している。
足元に及ぶべくもないと感じるのは、
生きた証を鮮明に裏づけるかのように、
物(販売するための古書・古美術品など)がぎっしり並んで充実したさまだ。
好きな人が目にしたら、ぜひこの店から、
いずれかを買ってみたくなるのではないか。

古書店の目録なのだから物が並んでいて当然。
しかしながら、これだけの古書・古美術品をとことん集めて、集めて、集め抜いて、
構成するまでに至った努力を思うと、
軽い言葉は出なくなる。

Eさんが影響を受けたのは誰なのだろうか。

EさんもT書林さんも、ご本人が好きでやっているのには違いないが、
人知れず、どれほどの努力をしているのだろう。
一体、何が彼らをそうさせているのか。
人並み外れた執着心だけで、こんな"しんどい"ことを続けられるものだろうか。
自分の「市場で買えなかった」「今度は買えた。でも、支払が大変で」
などという瞬間的なホザキは、まるで赤子の屁である。

古書店というのはいったい、なんという因果な職業なのだろうか。

古書マニアも、古書店も、いずれもおそるべし。
走っている古書店があって、支持して支えている古書好きがいて、
経済の歯車として機能している。

不景気を危惧して
「なんとかなるまであと4年はかかると思います。
そこまで体力がもつかどうか」と顔を曇らせていたN堂さん。
「今日、~さんがいないから買うチャンスだよ。
買っておいたほうがいいよ。買ってから、どうするか、あとで考えればいいから」
と、昨日、笑顔で囁いてくれたのだが、
また、いろいろ聞かせてください。

「みんな~、このいちばん大変なときに、
なけなしのお金を払ってコンサートに来てくださって・・・。
もうちょっと余裕のある方も・・・。みんな、本当にありがとう」
と、ライブの最中、言葉に詰まり笑顔でカバーしていたのは、矢野顕子だった。

なんとか生き抜いていくしかないですね。

ああ、古書月報の原稿を書いてくれる店をなんとか探さなくちゃ。

 

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