買えても買えなくても

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最初は、見るだけのつもりだったのだ。
目録に掲載されていた、某氏の書簡を見てみたくて足を運んだのだ。

27日は、市場の中でも最大級の「大市」(一新会)。
26日が下見の日であり、入札もできるのだった。
ものすごいものがたくさんたくさん出品されていた。
ああ、見るだけのつもりだったのに。
大市に行くと、感覚が麻痺する。
通常の市と違って、最低入札価格が1万円からなのだ。
3件に絞ったが、何万も入札してきてしまった。
書かないと買えないから、書くしかないのだ。
他店より高く書かないと買えないんだもの。

「珍しいものを持っていれば買ってもらえるんですよ。
せっかく専門ジャンルがあるんですから、
こういうときに買っておかないと」
と某店ににっこり囁かれ、
もっともかも、と思ってしまった。
戦前戦後の絵本、絵雑誌だけでも、
(まだまだ不勉強な私にとっては)これでもかこれでもかと
見たことがないような凄いものが次々、市場に出される。
今日も、この機を逃したら、二度とお目にかかれない束かと思えてしまったのだ。
とたんに、預金残高など忘却の彼方に雲隠れである。

しかし、もしも本当に落ちたら支払いはどうしよう。
3件とも上札で落ちたら・・・?
1日にン十万の古書を買うなんぞ、正気の沙汰?
もし買えたとしても、ああ、一体どうやって支払えばいいのだろうか。
開札は明日なので、それまでにだれかに電話して、「中止」と書いた札を入れて
入札はなかったことにしてもらうよう頼もうかどうしようか。

市場に行くと、買わずにいられない。
ジムへ行くと、なぜか周囲に混ざって
ついつい運動に熱中してしまうのと似ている。
ジムに行くと、マシンがあるし、周囲が皆、運動しているし、
なんとなくやる気になるじゃないですか。
市場に行くと、買わないと! 絶対買わないと! と思えてくるのだ。
場の空気もあるし、周囲の凄腕の店が目に入る影響もある。
また、固定価格と違って、
入札方式だと、負けたくない、
自分が買わずにどうする? と妙な競争意識が働いてしまう。
古書を買うって本当に楽しい。
買うは天国、支払うは地獄、だ。

市場を出たとたん、嘘のように財布の紐が堅くなる。
東京堂書店で文庫2冊購入(友人オススメ桐野夏生のとある本、
銀色夏生「銀色ナイフ」)。
ちくま文庫で欲しいのがあったのだが、
「千円」という値段にたじろぐ。
さっきまで何万も入札してきたくせに、
わずか千円に怯えてしまう不思議。

タテキンであさっていたら、
さっき市場で顔をあわせていたKさん(タムラ従業員)が目の前にいた。
私の顔を見て、「あ」と。
笑っておくしかないかとばかり、くすりと笑った。
なぜだか見られてはいけないところを見られたような気がして、
そそくさと立ち去る。
振り返ったらKさんもいない。気つかってもらったのかな、すんません。

安いカフェで軽食をとりながら、本を読む。
暖かいカフェラテに読書。
つつましやかな、しかし、大きな幸福。
自分はこれだけで十分なのに、
なぜ市場で歯を食いしばるのか。
なぜ、こんなふうになっちまうのか、自分。
トイレの鏡に向かって
やめるときは在庫すべて市場に出しておしまいだし、
やめるのはたやすいことだし、なんとかするしかないじゃん、と自分に言い聞かせる。
「お金は作るもの」という某店の言葉も思い出す。

ちょうど読んでいた木山捷平「長春五馬路」で、
主人公がボロ屋を始めたところ。
わが身と重なり合うが、
彼ほど商売をやれるとは思えない。

東京堂書店でもらったスクリプタ(紀伊國屋書店)を読む。
岡崎武志さんがブログに書いていたとおり、内堀弘さんがいい。
本を追いかけていた人たちがこの世から消えたあとでも、
本だけが遺る。
遺った本だけが遠い日の空気を覚えている。
ーーうう、旨いなあ。

夜は、NHKホールで、パット・メセニー・グループ、
ブラッド・メルドーらのライブ。
チケット代1万円を出すゆとりすらなくて、
連れに出してもらう。
1万円かあ、1万あれば、今日もう1万多く入札できたかもなあ。
先ほど入札してきた数字が脳裏に浮かんだ。
ひとつでも落ちたらうれしいなあ。
しかし、全部落ちたらどうしよかなあ。
ま、箱をあけてみると、大概、上には上がいて、
買えないのが常なんですけどね。

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