ナウカ最後の日 ほか

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印象的な出来事が3つあった。

●その1● 市場で大事なものを落札した。
毎週金曜は、市場(明治古典会)の日。
今日は意外なものが出品されていた。
この2月に急逝したデザイナーがお持ちだったもの。
このデザイナーとは、年代こそ多少違えど
同時代を歩んできたという思いがある。
雑誌のグラビアを通して憧れてきた人。
我らが世代のファッション・リーダー。
私たちの代表。
直感的に、欲しいと思った。

ドローイングやら海外ファッション誌のスクラップやら
本の装丁のダミーやら何やら・・・。
元所有者の思いが、そこにしっかりあった。

だけど……
万一、これを買うことができたとしても、どうするんだ、私。
ただ買うだけじゃダメなんだぞ。
古書店は買ったら、売らないといけないんだぞ。
売るためには、どうやって売るか考えないといけないんだぞ。
元所有者がこれらをどのようにしたいのか、
しっかり汲まないといけないんだぞ。
何をどう紹介していけばいいのか、
皆さんが欲しているものも読み取らないと。
わかってるのか、自分? 

入札するかどうしようか躊躇した。
扱えるのかどうか自信がなくて。
思わず日月堂さんに
「あの…○○○○さんのお持ちだった一式が出てるんですけど」と言いにいくと
日月堂さんは「え、本当?」とスタスタっと歩いていく。
一通り商品を見たあと日月堂さんなりの推察を語って
「やったほうがいい。
これをもとに肉付けしていけばK.K氏みたいなものができますよ。
大変だよ。
でも、買っちゃえばそのままにしておけないから。
イヤがおうにも自分でやらなくちゃいけなくなるから(笑)。
苦しいよ。苦しい。
でも、楽しいよ」
私がああだこうだと説明せずとも、
新人古書店の私が考えていることなど、日月堂さんにはお見通しなのだ。

「やってみます、入札してみます」
と即座に言うほど度胸がなくて
「でも、ほかにも出てるんですかね。
もっとほかにもあるはずですよね」とモゴモゴつぶやく自分に
日月堂さんはパキパキっと
「~かもしれない」「~かもしれない」と、その可能性について、
みごとに推察してみせたのだった。

日月堂さんのウェブ版特集目録「机上のK.K氏」のすばらしさに打たれたのだった。
感銘を受け、どうしても「机上のK.K氏」目録の一部を手にしたくなった。
恥ずかしながら生まれて初めて目録の抽選に応募してみたのだ。
恥ずかしながら自分なりに
日月堂さんのやろうとしていることに、
そして、K.K氏のやってきたことにちらりとでもカスリたかったのかもしれない。

その出品には、すでに札がかなりたくさん入っていた。
そのうち、本気で入札している人はどれぐらいだろうか。
買ったら、もう逃げられなくなると思った。
取り組もうとしたら、一筋縄でいかないのは見えている。
しまいこんでさいなら、とはいかない。
やらないほうが楽なのに、かかわらないほうが楽なのに。
CMのオダギリジョーでなくても「どうするどうする、私…」状態である。

札がたくさん入っていたが、結果、
下札で落札した。
本人のサインが入ったものが少ないので、
他店はかかわりあうのを敬遠したのかもしれない。

「買ってしまったけれど、どうしよう」
まだ弱気なことをつぶやく私に日月堂さんはパキパキッと言い放つ。
「おもしろいと思うけどな。
いろいろ肉づけしていけば、おもしろいと思う。
市場に来るモチベーションになりますよ。
(何が欲しいか考えやすくなるから市場に来ても)
圧倒的に買いやすくなるよ。
しばらく市場に通い続けないとね」

「印刷解体Vol.3」(9月29日~10月16日 
澁谷PARCO ロゴスギャラリー)を控えていて
お忙しそうな日月堂さんに甘えさせていただき、すみません。

さて、どうしよう・・・。
帰りに図書館で著作をかたっぱしに借りてきた。
ネットでいろいろ検索してみた。
その人の関連雑誌を集めるだけじゃなあ。
そういうのは、とうに大宅文庫がやってるしなあ。
何をどう肉づけしていけばいいのか。
大きな宿題を抱えこんでしまった子どもみたいな気分だ。
いずれにしても長期戦だろうなあ。
一年後、形にできているのだろうか。心配。
でも、少しずつやっていかないとと思う。
海ねこにとってすばらしきターニング・ポイントになればいいのだが。

●その2● ゴージャスな顔ぶれによるお茶 in 古書会館
なぎさ書房さんにお茶に誘っていただく。
古書会館の8階は休憩できるようにつくられている。
なぎさ書房さん、お茶をご馳走さまでした。
やがて、豪華な顔ぶれが三々五々と集ってきた。

私の左側にいた方から順に時計回りで、
股旅堂さん、なぎさ書房さん、石神井書林さん、
ポラン書房さん、古書りぶる・りべろさん。
股旅堂さん、石神井書林さんとお話したのは初めて。
石神井書林の内堀弘さんが当店HPをご覧くださっていて、
しかも、新聞記者にHPをご紹介してくださっていたとのこと。
さすが古書組合の広報ご担当だけある。
(正式な役職名はすみません、忘れました)

内堀さんは、古書店の店舗が持つ可能性について
いろいろお考えの様子だった。
古書会館を使って企画中のイベントもおもしろそうだ。

さて、組合の「古本屋になるための1日講座」が10月9日に開催される。
まったくずうずうしくも早速応募した私。
一応、控えめに「組合員です。古本 海ねこと申します。
一般の方優先でしたら、そのようにお願いします」とコメントを添えて申し込んだ。
内堀さんに「ダメダメ」と言われたらお詫びして諦めるつもりだったのだが、
逆に「どうぞどうぞ」と快く参加を許可していただいた。

まだまだ参加者募集中です。皆様、お気軽にいかがでしょうか。
以下、詳細。

「古本屋になるための1日講座」
10月9日(月・祝)
 午後2時~4時 東京古書会館
 入場無料(要事前申し込み)
 出演
 芳賀健治(うさぎ書林)
 樽見博(日本古書通信編集部)
 山崎有邦(オヨヨ書林)+南陀楼綾繁(ライター)
 主催・東京古書組合
詳細、お申込は「古本屋になるための1日講座」特設ホームページ

●その3● ナウカ最後の日
沼辺信一さんのブログをご覧ください。
9月13日、ロシア絵本を知るための参考書が紹介されたばかりだ。
長年かけて集めてきた情報をご紹介いただき、ありがたいと思う。
その中に「窓」66号(1988年9月)田中かな子さんの記事が入っていた。
かねてより田中かな子さんにひじょうに関心があるのだが、
沼辺さんがご推薦とあらば、この記事はぜひ見てみたい。
早速、都立図書館ほか、どこで見られるか検索してみた。

図書館に行く前に、ナウカへ立ち寄ってみることにした。
「窓」のバックナンバーがあれば購入したい。
ないとしても、ナウカの宮本立江さんに相談してみようかな。
宮本さんとは長いお付き合いとは言えないが、とてもお世話になり、
ロシアの本についてやりとりをさせていただく約束もさせていだいた。
あれはいつだっただろう。つい最近のことのような気がする。

倒産のニュースを聞いてからなんとなく足を向けにくく、
久々にナウカに立ち寄ったのが今日だった。
古書会館を辞したのがすでに遅かったため、
ナウカに着いたのは5時半頃だっただろうか。

「こんにちは」とご挨拶したところ
宮本さんは意外なことを口になさった。
「今日までなんです」
優しい目の中に、どこか残念そうな、どこかさびしそうな表情。
「え、そうなんですか!」と驚いてしまった。
「ご存知なかったですか?」と聞かれて
「(倒産のことは新聞記事で見て)知っていましたけど、
お店が今日までとは知りませんでした」と自分。
「海ねこさんのHPは、ときどき見せてもらってますよ」とおっしゃっていただく。

ナウカ最後の日、それも閉店まであと30分なのだ。
そこにたまたまブラリと立ち寄った私に、
いったい何が言えるのか。
言葉が見つからない。
「ご挨拶することができて、よかったです」と、ただ頭を下げる。

シャッターを閉めていろいろ整理をしたあと、
本はいったん倉庫におさめるそうだ。
そのあとのことは何も決まっていないとのことだった。

「窓」のバックナンバーは新しめのものしか残っていないため、
コピーをとって郵送してくださるとおっしゃってくださった。
「窓」66号(1988年9月)田中かな子さんの記事は
宮本さんも大好きだとおっしゃった。
宮本さんの蔵書についても少しお話しなさっていた。

「窓」のバックナンバーを販売する先は未定とのこと。
「立候補させてください」とお願いしておく。

本を見せていただく。
「ごゆっくりどうぞ」と宮本さん。
「何時までですか?」
「6時までです」
ナウカ終焉まであと、わずか20分? あと、15分?

ロシア絵本作家に関する本を1冊購入。
「私も、こういったものが好きなので。
何かないかしらとHPを拝見させていただいて、
注文させていただくかもしれませんしね」と笑顔の宮本さん。

沼辺さんとはしばらくお会いしていないとのこと。
「連絡をとると思いますが、何かお伝えしますか」と聞くと
「ナウカ最後の日に行ったとお伝えください。
またご連絡します、とお伝えください」と。

あと10分。
ぎりぎりまで粘っているのはいけないような気がして、
店をあとにする。
「お疲れさまでした。今後ともよろしくお願いします」と頭を下げる。
店の入り口で会釈したら
宮本さんは深々と腰を折り
「ありがとうございました」と心をこめておっしゃった。

宮本さんは
これまでナウカを訪れてきた大勢のお客さんに
「ありがとうございました」と伝えたいのだろう。
店内に残っていたのは、あとふたり、あるいは3人。
宮本さんが最後のお客さんを送り出して、
さらに深々と頭を下げられる姿を思った。
ナウカの看板をどのような気持ちで仕舞うのだろう。

「ナウカ最後の日に行ったとお伝えください」
「ナウカ最後の日に行ったとお伝えください」
「ナウカ最後の日に行ったとお伝えください」
ーーーーー神保町の裏道をしばし徘徊しながら、
言葉を反芻して宮本さんのお気持ちを思った。

「窓」133号(2005年10月)に
「この号をもって「窓」を閉じなければなりません。
長い間、お読みくださった皆様に御礼申し上げます。
…復刊される日が遠くないことを願っています。さようなら」
と記した宮本さん。
市場で落ち込んだときであっても、私は
ナウカを訪れて宮本さんの穏やかなお人柄に触れるたび、
ほっとしたのだった。
大勢の方がそのように感じていたのではないだろうか。

店舗がなくなったとしても、ナウカの歴史はけっして消えない。
宮本さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

ナウカの思い出は宮本さんにぜひお書きになっていただきたい。
ナウカについてはいつか、
沼辺さんが何かお書きになるのではないでしょうか。

 

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