市場、そして下北沢ライブ

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たまには書きます。
8月28日は、「草饐 評伝大田洋子ーー」(江刺昭子)を読みながら
神保町の古書会館へ。

業者の市(中央市会)は出品量が多く、活気があった。
欲しくても、人気が集中し手が届かないだろうと思うものは敬遠。
そういったものには老舗・強力な店がとんでもない高値を入れてくる。
残念なことだが、厳しい予算枠がある弱小店では太刀打ちできない。
現実は厳しい…。

店に注文をくださるお客さまからご感想をいただくたび、
ああ、こういう本をお探しなのだととても参考になる。
「他店を探してもぜんぜんなかった。海ねこでやっと見つけました」と
喜んでいただける本を、どうにか1冊でも2冊でも探したいのである。
買いたいと思っていただけるものを次から次へと用意できなければ、
店にはだれもやってこなくなるだろう。
予算内でなんとか探さないと。

昨日は絵本の束がかなり出ていた。
絵本なら何でもいいわけではなく、
どの束に何が混ざっているかわからない。
できるだけ、くまなく見ていかないといけない。
自分ではよく見ているつもりでも、しばしば見逃しがある。
開札が終わってから、他店の落札品・値段を見て、しまったー! と
肩を落とすことはしばしばあるのだ。
落札できなかったこと自体より、見逃していた自分に腹が立つ。
目を見開いて、すみずみまで見ていくには、
結構な集中力と根気がいるのである。
古書会館は冷房がききすぎていて次第に足が冷えてくるし、くぅー。

身長ぐらいの高さ積み重ねてある束にはさまっている本、
下の下のほう、床ぎりぎりの部分まで、できるだけ気をつけてみていく。
中ほどにまぎれていた洋書絵本に、お、ちょっと珍しいものが。
束ねてあった紐をほどいて中を見ていたら、ダメだ、いたずら書きがひどすぎる。
やはり、よく言われるように、
絵本・児童書というのは痛みやすいため残っていきにくいものなのかしらん。
そのとたん、後ろから「何か混ざってましたか?」と
顔見知りの他店さんに声をかけられる。
皆さん、本ばかりでなく、だれがどの束に入札するか、人の動きをよく見ているのだ。
振り市(競り)でなく、入札方式だと本をじっくり点検してから入札でき、
スローモーな自分にもやりやすい。そう思っていたのだが、
掘り出し物を探し出したら、できるだけ気づかないそぶりをしないと。
さっと見て、関心がないふりをして、ささっと札を書いて封筒に入れ、立ち去る。
が、やはり気になるので、何度もさりげなく
束の前を通って札の入り具合を確かめる繰り返し。

とある本の束を通り過ぎそうになり、はっとした。
なんでもないようなセットものの下に、ちょっと魅力的な本が混ざった束だったのだ。
ああ、絶対、欲しい!
よし、今のところ札は一枚も入っていない。
まだだれも気づいていないようだ。
お願い、だれも気づかないで、と祈りつつ、
遠くからなにげなく束のほうを眺めたら、あ、
Rさんが山積みになった束の下のほうまでじーっと見ている。
考え考え札を書いているではないか。
いけない、Rさんは気づいたのだ。
本を選ぶ感性がどこか似ているなあ、とひそかに感じていたRさん。
札が入っていなかったので安く買えればラッキーと思って安めに入札していた。
しかし、Rさんが入札した以上、安くは買えないだろう。
札をもっと高く書き改めて入れにいく。

結局、この束は運よく落札することができた。
あとからささっと入札したらしきNさんに
「顔も見たくない。そっとさらっていこうと思っていたのに。
今日いちばん悔しい。きぃーっ」とユーモア交じりに悔しがられた。
Nさん、すんません。
しかし、Nさんは年齢は若く気力・体力十分、しかも、キャリアが長い実力者。
催事などすばらしい品揃えでヤルナとひそかに尊敬している。
「そっとさらっていこうと思ったのに」という言葉を聞いて、
ふだん、他店が気づかないようなものをうまく掘り出しているのだろうなと思った。
ますます尊敬する。

かくいう私も、ほかに狙っていた束は他店さんにさらっていかれた。
10円でも高く入札した人のものになるので、
買える買えないは、まさに紙一重だ。

それにしても古本屋って、想像以上にお金がかかるんですよね。
市場で買うと安くはない。
買取でも、お客さんの気持ちを思うと
あの店に売ってまあよかったかも、と思える程度には買取代金をお出ししたいと思う。
良い本を売ってくださる方にはぜひまた売ってほしいという下心(?)もある。
最初のうち、とにかく市場で買うことに慣れたくて、
ライター・編集業で蓄えてきた定期預金を一部、解約した。
ところが、どんどん買っているうちに9か月でほぼ底をつきた。
買うばかりだと、どんどん貯金が減っていってしまう。
いったいどうすればいいのだろう。
もっと市場に売ることに慣れていかないと。
ことに、オンライン古書店だと買ってきた本に値つけして棚に並べて、とはいかない。
新着本をアップするのに時間がかかる。
市場や買取で買った本をどんどんホームページに反映するには、
もうひとりかふたりは人手が必要に思えてならない。
仕入れ、受注、倉庫に本を探しにいく、梱包・発送、買取の対応、
メールの対応と、ひとりで何もかもやっていると、
新着本の更新にのみ時間をかけられない。
気がつくと、未更新の本ばかりが見る見るたまっていってしまう。

いつも支えてくださるお客様のためにも、1日でも長く店を続けていきたい。
そのためには、本を仕入れるための資金、毎月の経費を払っていく資金が必要だ。
きれいごとじゃ済まされない。
なんとか良い本を入手して、どうにか買っていただき、利益を出していかないとーー。
古本屋って楽じゃないんだなあ、というのが日々の実感。
底辺の片隅、地をはうようにギリギリのところで続けている「海ねこ」である。

付合明細書(市場での落札品、出品して売れた品の
両者が書かれている黄色い用紙)をのぞきこんだ
Aさんに言われた。
「買うばっかりじゃあね。市場は『交換会』なんだから、
自分のところに不要なものを市場に売らないと」と。
そういうAさんは、つい最近、7日間、7回に分けて、
大量買取のため、重たい本を抱えて階段を上り下りする日々だったという。
マンションの部屋は5階で、エレベーターがなかったというのだ。

夜は、下北沢の北沢タウンホールで、「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」。
吉野金次は日本のレコーディング・エンジニアの草分け的存在。
はっぴいえんどの『風街ろまん』(71年)は彼なくしては生まれていなかっただろう。
そう、細野晴臣が8月4日「矢野顕子リサイタル2006」でも下北でも語っていた。
病に倒れリハビリ中の吉野金次のため、
吉野に音作りしてもらったミュージシャンたちがこの晩、
下北沢の小さな小さなホールに結集したのである。

オープニング、矢野顕子が「今日、私たちは、スタッフも全員そうですが、
このコンサートのために100円もいただいていません。
1ドルも10フランもいただいていません」と切り出した。

出演は順番に
●細野晴臣 with 高田漣・コシミハル・伊賀航・鈴木惣一朗・浜口茂外也・徳武弘文
●ゆず
●友部正人
●井上陽水 with 矢野顕子
●大貫妙子 with 矢野顕子
●佐野元春
●細野晴臣&矢野顕子

それぞれ、吉野に対する言葉を語っていた。
吉野への思いとともに、
過去の自分への思い・思い出がありありとよみがえるのだろう。
8月4日の矢野顕子コンサートでも痛切に伝わってきたのだが、
健康・絆といったものは通常ありがたみを忘れかけているが、壊れやすい。
うっかりすれば、取り返しがつかないぐらい簡単になくなってしまう。
健康であること、今この世の中に生きていることも奇跡的なのだ。
今日この一瞬あと、だれもが事故にあうかもしれない。
今宵、病に倒れる可能性が皆無とはだれにも言い切れない。
ステージ上の細野晴臣は人ごとではないと語り、
会場にいるだれもが同じように感じたのではないだろうか。
助け合うのは、矢野顕子にとって大げさなことでもなんでもなく、
ごくごく自然なことなのだろう。
病床の吉野がどれほど励まされることだろうか。

矢野顕子は昔からの友人とのつながりをどれほど重んじ、
あたため続けるため、そっと努力を重ねてきたことだろう。
大事な人のために何かをせずにはいられないんだ、という
明瞭なメッセージがMCからも歌声からもピアノからも伝わってきた。

入れ代わり立ち代り、吉野のため、そして、
矢野顕子の呼びかけにこたえて集まったすばらしいメンバーが登場する。
会場のあちらこちらから「すげえ」「来てよかった」という声が漏れる。
限られた座席数のホールに、私は運よく居合わせることができた。
チケットをとってくれた連れ合いに感謝。
見られなかった人に申し訳ないと思いつつ、よく見ておこうと思う。

ひとり1-2曲ずつ。次から次へと入れ代わり立ち代りであるため、
PAも楽器のチューニングも完全ではない。
友部正人は声がよく出ない。ハスキーな声を必死にはりあげる。
もどかしそうだが、かえって、友部のあふれ出さんばかりの思いが伝わってくるような気がした。

大貫妙子は「かけがえのない大貫妙子」と矢野顕子から紹介されて
「かけがえのない矢野顕子」と言葉を返す。
「離れていても、彼女が頑張っていると思うからこそ、
私も仕事を続けていこうと思える」と胸をはって語っていた。
大貫妙子の歌声は、魂の有り方そのもののようだ。
言霊が歌声にのってどんどん贈られてくる。
涙がほおをつたってこぼれ落ちてきて、あわててティッシュをバッグから引っ張り出す。

アンコールがやまないが、矢野顕子と細野晴臣が再び出てくる。
そして、アンコールにこたえられない事情を説明する。
世田谷区の公立のホールなので、
楽器すべての撤収を含め10時までに終えないといけないとのこと。
実際、手弁当で集まったというスタッフが必死に後片づけをし始めたのだった。

終了後、同じ会場に居合わせた沼辺信一さん
音楽好きのOさんら仲間たちと居酒屋へ。
同じ時間・空間・思いを共有した仲間たちと語らう。
幸せの揺らぎやすさ、絆のあたたかさ。
変わりゆくもの、変わらないもの。
下北の夜が更けていった。

さて、現在の海ねこだが、ご家族の遺品だという本のことで
ご相談をいくつかいただいている。
絵本や児童書を扱っているとそういったご相談は
あまりないのかと思っていたのだが、ご相談いただいたことで気が引き締まるような思いだ。
ご家族の思い出の本ーー。
できるだけお力になれますようにと願いつつ、
経験が浅い自分に果たしてお役に立てるのだろうかとたじろぐ気持ちもある。
自信がない自分と、どうにかやっていかなければと思う自分のせめぎ合いは
ずっと続くのだろうな。
駄文を読んでいただき、恐縮です。
猛暑の空の下、どうにかやっています。

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吉野金次さん。レコーディングエンジニアのすごい人。 矢野顕子さんの映像ドキュメンタリー「 SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女~ 」での やさしくも妥協しない、そしてミュージシャンのよさを最大限に引き出す仕事ぶりが印象的でした。 病に倒れられた吉野さんのために ... 続きを読む

コメント(5)

うわあ、ずいぶん書いたんですねえ。長さで負けました。
昨夜は帰宅したのが午前一時。それから日記を書き始めたんで、長々とは書けなかったな。寝床に入ったのは三時半を回ってました。
それにしても昨夜は素晴らしかったですね。生きていると、いいこともあるんだな、とつくづく実感。

早速のコメント、恐縮です。
長さだけですみません。お恥ずかしいです。
沼辺さんはもっともっとお書きになりたいというお気持ちだったことでしょう。
しかし、昨夜、お帰りになってすぐお書きになったということが重要だと思います。
楽しい時間でしたね。ステージに拍手を贈っていらっしゃる沼辺さんがよーく見えました。

すでにお気づきかもしれませんが、細野さんご自身もこのコンサートを終え、こんな真情あふれる率直な感想を記されています。ぜひご一読あれ。

http://dwww-hosono.sblo.jp/category/77992.html

「その吉野さんが倒れたことは他人事ではない。
自分が倒れたと同等のことだ。」

引用させていただきました。
沼辺さん、書き込み、ありがとうございます。

沼辺さん、月曜は楽しい夜でした。
細野さんご自身の感想、気づいてませんでした。
情報ありがとうございます。

それにしてもいい演奏会でした、ほんとに。

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