梱包、梱包、梱包

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前夜、阿佐ヶ谷で飲み会。
あのメンツだと楽しくて、
ついつい話し込んで飲みすぎてしまう私(まただよ)。
古書店のそれもウラ話?ばかりで、
あまり飲まないKさんには退屈じゃなかったかしらん、と気になりつつ。

飲みすぎがたたりスタートが遅れたせいもありますが、
市場に行けず五反田にも行けず。
しかし、それは、外出するなという天の声だったのかも?
梱包につぐ梱包に追われた1日。
梱包に追われるなんて、当店にはひじょうに珍しいこと。
まとめての発送に不慣れなので、時間がかかる。
市場に出かけていたら日が変わっても
まだ梱包していたかも。あやうく発送が終らないところだった。

梱包しながら本を見返して、ちょっと名残惜しいものが何冊か。
持つべき人の場所にお届けできるのだから、と言い聞かせながら、
自分なりに心をこめて発送しました。
無事に届きますように。

発送のお知らせを皆様に出しきれず、続きは24日に、の予定。
やるべきことを終えて、どうにか五反田に行きたい。

ちなみに、手離すのがちょっぴり惜しかったうちの1冊はエルスケン。
検索して、あれこれ見ていて、たどりついたのは、
ほぼ日「菅原一剛の写真ワークショップ」
エルスケンにも、菅原さんの文にも、見失いそうで大事な何かが
たくさんあるような気がしてなりません。
ついにきちんと読めないまま発送した「安田武 病床徒然」
(安田武をイビる会・編 (限定500部 )。
いつかまた手にする日は来るだろうか。
昨日発送した夢二本にしても、私は再び入手できないかもしれない。
「本の散歩展」の目録でご注文いただいた「満州に育つロシヤ人の子供」
(アンナキリロウナイワシケウィチ 姉川盤根・訳
大阪屋号書店 昭和19年・初)
にも、もう再び会うことはないかもしれない。
どこででも入手しやすい本を扱っていたのでは、
だれにも本をお買い上げいただけないだろう。
だから、これでいい。

手離すことをいちいち悲しんでいたら、本屋としてやっていけない。
逆に、手離すのが切ないぐらいに感じる本を
商品として扱えるようにならないと。
ご注文いただけることを喜びながら、きちんとお売りして、
またさらに仕入れて、またお売りして、またさらに仕入れていけばいいのだろう。
仕入れてから、広い倉庫の棚にしばらく寝かせて、
欲を言えば自分もぱらぱらっと読んで…といけば夢のようだが、
なかなかそうはいかない。

当店がホームページで1冊1冊、説明文をできるだけつける理由ーー
むろん、お客様からのご要望あって、ということがいちばん
(もちろん、よけいな説明文などいらないという方もいらっしゃると思う)。
データ的なことは検索でごらんになる方のためにも、
自分があとからいろいろ調べたくなったときのためにも
できるだけ入れるようにしている。
そのほか、あれこれ説明をつけたがる理由のひとつには、
実は1冊1冊、自分もできるだけ目を通したいという
ワガママな願望、本への執着心が関係しているのかも。
時間がかかってかかってとコボす割には、
ついつい1冊1冊しっかり見たくなり、
いろいろ書きたくなるのだから、
実は、自分のためにやっていることなのかもしれない。

結局、ホームページにいったん紹介したあとは
トランクルームに持っていって分類し、棚におさめてしまうし、
自分が読むヒマなどなかなかない。
梱包して発送する直前に、あわててパラパラやって、
ああ、やっぱり良い本だなあ、手離すのがちょっぴり惜しいなあ、
だけども、持つべきお客様のもとに出ていきなさいね、
無事お客様のもとに着きなさいね、
と送り出して、本日終了であります。

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