買取本を前にして

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お客様からお預かりした買取本に
「図書ーー岩波書店の児童書」(1993年)を入れていただいた。

巻頭で神宮輝夫さんが書き記している。
長くなるが引用させていただく。

一九五〇年代末、新しい日本の子どもの文学が
本格的に出版されはじめたとき、
外国作品の翻訳出版も大きく動きはじめたのだが、
新しい作品を翻訳紹介しようとしていた人たちの目の前には、
傑作がずらりと並んでいた。
リンドグレーン、ヤンソン、C・S・ルイス、プロイスラー、
フィリパ・ピアス・・・どの作家の作品も、明るい未来を確信した楽天性を持ち、
わかりやすく、おもしろく、そして、大きな理想を語りかけていた。
当時訳された作品のどれにも見られたこうした特徴は、
長い時の流れの中で、人間について深い洞察力を持つ大人たちが、
子どもに向かって最高のものを手渡そうとした努力の末に生み出されたものである。
だから、彼らの作品は、子どもの文学という枠を超えた高い評価を受けた。

私は、こうした作品がつぎつぎに翻訳出版された時代に、
子どもの文学の仕事をはじめた。
つまり、自分の「癖」にぴったりで、
しかも最高の品質を持つ新鮮な本につぎつぎ出会っていたわけである。
幸せな時間だったと思う。
そして今、あの頃矢継ぎばやにという感じで訳出された作品を
一つ一つ読みかえすと、そのたびに、
あの頃とすこしも変わらず生きている喜びを感じて力づけられる。

世の中がどんなに変わっても、こういう本がそばにあれば、
なんとかやっていけると思う。

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エンデが生前、日本で記者会見をおこなったとき
雑誌の取材のため、その場にいあわせる幸運に恵まれた。
エンデは、世界平和のためにはファンタジーが重要である。
すぐれたファンタジー作品は人の心を救うことができる。
人間にとって、もっとも大切なのは想像力・創造力だといったことを話した。
通訳の解釈、私の記憶力に間違えがなければ、そういうことだったと思う。

すぐれたファンタジーの翻訳本がたくさん出版されていたのである。
にもかかわらず、おそらく「売れない」という理由から
次々に絶版になってしまって、入手しにくい状況はどうだろう。
人が死ぬというのは、大きな図書館が丸ごと焼けてしまうのと同じだと
言ったのは誰だっただろう。
日本語の翻訳版が絶版になり、入手しにくくなるのは、
それと似たようなことではないか。

それらの魅力をもっともっと感じ取り、
人に伝えることを私たちはもっともっとしなければと思うのだ。

私の周囲には、子育てが落ち着いて
そういったことを伝えられる大人たちがたくさんいることを知った。
彼ら彼女たちにどんどんやってもらいたいと思う。

それにしても、本を読む時間がもっと欲しいなあ。
買取本が箱単位で届くと、
送り主の読書傾向が伝わってくる。
ああ、こういう本を日々読んでいる人と
忙しがって本を読めずにいる自分とは
どれほどかけ離れたものになっていくのだろうかと怖くなる。

ファンタジーの世界にどっぷり浸りたい。
忙しすぎると、文字どおり心を亡くしますね。
今の生活、いいのかなという思いはつねにある。
結局そこに戻っちゃうなあ。

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