ミスター・タフネス

| コメント(0) | トラックバック(0)

神保町・東京堂書店で開催された古井由吉 講演会とサイン会へ。
100人ほど集まったでしょうか。ほぼ満席でした。
「(いずれの作品も)読むのに時間がかかってご迷惑をおかけしてます」とご本人。
すらすら読んで理解できる文体など、ご本人には関心外のようだ。

毎日、日が高くなったころ起き出して
散歩したり体操したりして体を動かす。
そして、午後1時から4時5時ごろまで原稿執筆。
一日の執筆量は平均2枚ほど。
原稿用紙に書き付ける前に、そこらへんの紙に鉛筆などで
文章を書き連ね、文体を練りに寝る。
書きながら主観的に好調に感じたときは、あとで読み返すとよくないことが多いという。
原稿を気に入らずに破り捨てることも多い。

「人間は自分がやったことに影響される。
しかし、やらなかったことにも影響される」
「今の時代、ただ個人、個人といいたがるが、
祖先から引き継いでいるものまで含めると、
本人にもなかなか認識できない部分が大きい。
小説を書くのは大変苦しい。文章にいきづまる。
なかなか広がりを持って人を書けない」
「言葉というのは、多くの人が思いをこめてきたもの。
時間と根気をかけると、言葉そのものの中にある
意味や形が自然と浮かんでくる。言葉のほうが導いてくれる」
「壮年期は、何か物事を考えるとき、
すぐ見取り図、設計図を探して思い描いてしまうので、
それにひっかからないものは見えない。
老人の中には、未来と過去が同居している。
老人は、いくらでも過去に飛ぶ。
現代の人間は老人ぐらいにならないと、ものを考えられないんじゃないかと」
「時間の感じ方、空気の感じ方の微妙さ。相対的に
そういう危うさをできれば細やかに、綿密に書きたいという欲求がある」
「小説というのはきちんとしてればいいってもんでもない。乱れは乱れでいい」
「大江健三郎が最後の小説を書きたいといっても、
やはりなかなか書けずにいる。
最後の最後はいいものを書きたいと思うから、
いざ最後だと思って書いても、書き終わると、
もっとましなものを書かなくてはと思う。そういうものなのでしょう」
「人が年をとっていくおかしさを書けば、
多少、世の中の役に立つんじゃないかと思う」
「今回出版した2つで、集中して書くのは最後かもしれない。
これから書くものは、もっとゆるやかな別の呼吸でやっていきたい。
小説っていうのは、欠乏、WANTから生まれる。
幸福だったら何も苦しんで小説なんか書く必要はないですからね」

高い志を持ち続ける文学者の横顔を忘れない。
今日の印象を忘れたくない。
最新連作短編の「辻」だけでなく、
8年かけて書き上げたという「詩への小路」も買い足して、
2冊にサインをお願いする。
お疲れのご様子にもかかわらず、力のこもった署名をしてくださった。

19日、大市の下見なので、ひょっとして18日でも見られないかという
甘い読みは、古書会館に近づき打ち砕かれる。
ナカジマさんら忙しそうに準備しているのが遠くに見えた。
コミガレで購入した絵本ほか12冊もあり、
荷物が重くて、ちょっと背筋が痛くなる。
体も心ももっとタフになりたいもんです。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.omaken.com/mt-cgi/mt-tb.cgi/4417

コメントする

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

アーカイブ