油で胃がもたれるようになったのは、
いつからだっただろうか。これも年を重ねていくうえでの一現象だろうか。
参ったな。
以前、天ぷら屋で「おいしいおいしい」と食べて以来のひどい胃もたれだった。
昨日のことだ。
だるくて身動きできないぐらいひどかったのだが、
水を飲んで寝て、また水を飲んで寝て、を繰り返して、
午後から這うように仕事をした。
夜にはどうにか通常どおりになった。
吉祥寺マンダラ2でふちがみとふなと(ゲスト・上野茂都)ライブ。
「じゃあ、打ち上げでもいきますか」
という天使の囁きにのっかって台湾料理店。
もう大丈夫かと思って、飲んでしまった。
おいしかった。楽しかった。紹興酒、格別だった。
用があり、弟の店に本を届けにいった。
「残り少ないので入れちゃうよ」とおかわりをついでもらった。また飲んでしまった。
月曜、さらにひどい胃のもたれ。
布団から出られない。いやーな汗ばかり滲み出る。
ついに市場を休んでしまった。
海ねこの素敵なノベルティーをこしらえてもらったのに、
せっかく週末に作業してもらったのに、
受け取る約束を先延ばしにしてもらった。なんてことだ。ひどいやつだ、自分。
とある電話を受け、ほとんど生理的な理由から思わず吐きそうになった。
苦手な人が本当に苦手だ。
どうしたら、この苦手意識を克服できるのか。わからない。
発送だけは休んではいけないと自分に喝を入れ、
布団から脱する。水を飲む水を飲む水を飲む。
なんとか梱包・梱包・梱包を重ねた。
昨夜、紹興の話を聞いた。
水の都・紹興。古い街並みが残っているらしい。
私の中国体験は、かつて二度だけ。
どちらもひとり旅で、「危ない」「気をつけなさい」という人はいなかった。
広州で終電に乗り損ねた。夕方5時すぎ? 人々がホームへと走る光景に
まだ終電のわけがないとタカをくくっていたら、香港に帰れなくなった。
飛び込みで泊まれるホテルを探せず、
どんないきさつだったのか、バスで延々走った末、人民軍のホテルに運ばれた。
制服を着た青年とも少女ともまったく話が通じず、不安だった。
が、お金を払えばなんとか泊めてもらえた。
食事をできる場所はホテルの食堂のみ。夕食は、ビールと一品のみ注文。一皿の量が多すぎて食べきれなかった。
部屋が広すぎた。ベッドが3つもある。
今いる場所がどこなのか、無事に帰れるのかどうか、寝付けなかった。
公園を散歩したら、公衆便所のトイレに扉がなかった。
排気ガスと砂煙にまみれながら、場末の小さな店に入った。
ワンタンだか水餃子だか頼んだ。汁に何か入っていた。調味料なのかダシなのか埃なのか、よくわからないが食べた。水は大丈夫なんだろうか。食べてみたら、信じられないぐらい旨かった。
とある飲食店で、まだ十代かと思うような女性店員に「美國人?」と筆談で聞かれた。
アメリカ人に見える??? 外国人をあまり見たことがないのかも、と驚いた。
結局のところ、よく覚えているのは、風景よりも人の印象である。
いま、紹興に行きたくてならない。
よさそうなホテルも探した。
紹興酒を飲むならここだという安い店も見つけた。
人は、これを「逃避」と呼ぶのでしょうか。
自由でいたかった。身軽でいることに憧れてきたが、身軽=孤独でもあることだった。
今はさまざまなしがらみの中に、よっこいしょと安住しつつある。
皮膚は乾燥し、白髪が増え、油に対応できない胃もたれを抱えつつ。
心は自由なんだよな、と嘯きながら。
「こんな生活、もうヤダ」と呟いて、「じゃあ、どんな生活がいいんじゃ」と
自分で自分に突っ込みつつ。
はあ、わが人生、いったい何処へゆくんじゃ?
追伸 ぶつくさ言っている場合でないので、
「本の家」へ持っていく本の値札貼りをします。
もっと良い本を持っていきたいところだが、はたしてどこまで間に合うのか。
明日あさってで、さらに梱包・発送、そして、原稿書き。
ブログを書くにもエネルギーがいるし、どなたかにお読みいただくと思うと
つい気にしすぎて億劫になるが、勿体ぶるほどの人生じゃなし。書き続けたほうが書きやすいのだろう。
紹興は遠くに在りて思うもの?