小笠原・人生航路

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小さいフォントで入力したいのだが、やり方がわからない。
以下2行、薄れた文字で打ちたい。ごくごく小声、かすれそうな声で言う…
……やっと終わった、確定申告。
明日、税務署に発送して完了でございます……。

今宵、観たのは
NHKアーカイブス・ETV特集
「小笠原・人生航路」(97年)。

出演者みずから事前におはがきをくださり、
本日はお電話までいただき、
「もちろん予約録画してますよ」
と答えたのだった。
エリツィン死去の報道ほかにより、2週ほど放送が先延ばしになったのだ。

自分が小笠原に通っていたころ、
取材でお世話になり、
個人的にも大変よくしていただいていた
元おがさわら丸船長・甲斐雄一郎さんを中心に
移り行く小笠原の状況を描いていた。
97年当時の収録分には、
今から10年前の甲斐さんほか、
甲斐さんが「親父」と慕っていた宮川典男さんが映っていた。
生前、お元気だったころの映像である。

宮川典男さんは元・硫黄島島民。
生涯をかけて、帰島運動を続けていらっしゃった。
私財を投げ打って、遺骨収集に励んでいらした。
米軍の演習訓練が行われる硫黄島の状況を
心から嘆いていた。
元・島民の名誉にかけて、
そして、次世代、次々世代のために、
今後の日本、そして世界のために
元島民らの歴史を伝え、平和の貴重さを訴え続けようとした。

私は、彼のことをもっともっと報道したいと思い続けていた。
何日、何時間、テープをまわして、
お話を聞かせていただいたことだろうか。
が、ライターとして実際のところ、どこまでやれたかというと、
嗚呼…と呻きたくなる。
企画を各社に持ち込んだのだが、
「売れない」という、いかにも出版社的な理由から実現しなかった。
家族がいくら負担してくださるならという
提案を大手出版社からされたこともあったが、実現せず。
結局はアサヒグラフで記事を組んだ程度であった。
なんという脆弱な体質だろうか、自分、と
恥ずかしくてたまらない。

宮川典男さんが闘い続けていた思いを
もっとどうにかできなかったのだろうか。
天皇陛下が硫黄島に初の行幸というとき、
軍人のみならず一般市民である元・島民らを奉った地にも
ぜひ訪れてほしい、お参りすべきと運動を重ね、
ついに、異例のコース変更に至った。
とてつもない信念と実行力の人だった。

自分は、甲斐雄一郎さん、
宮川典男さんに出会えた幸福を思わずにはいられない。

私は皆さんがご存知のとおり、現在このように生きているわけですが、
これまでにやってこられなかったことも多いわけで…。
これからの生涯、どのように歩むべきかと
いまさらながら考えさせられたことでした。
ただののんべなばかりじゃなく、もっとなんとかしなければと思う。
そう考えながらも、相変わらず飲んでばかりいる自分に
どうなんだよ、どうなんだよと思っている。

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