かがくのとも をめぐって

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植木等さんがお亡くなりになった。
1926年12月生まれ、80歳とのこと。
たまたま、何度か植木さんをお見かけしたことがある。
頭脳明晰、かくしゃくとしていて、
とてもそれほどご高齢の人には見えなかった。

「かがくのとも」100号から199号までをまもなく更新予定。

昨日たまたま、
三鷹光器株式会社についての番組を見た(テレビ東京・カンブリア宮殿)。
三鷹光器という会社は、器用さを見るために、
焼き魚を食べさせて箸が使えるかどうか確かめるような
ユニークな採用方法をとっているとか。
社長さんは、界隈の小学生の見学歓迎と話していた。
最近の子供は理科の力が落ちている、日本人はもっと
科学の力を伸ばしていかないと惜しい、といったことも。

「かがくのとも」をぱらぱら見ながら感じるのは、
科学のシンプルでいながら大変奥深い面。
「かがくのとも」は28ページという限られた誌面だが、
ストーリー展開がひじょうによく練られている。

とある絵本編集者と最近、交わした会話を思い出した。
「大手出版社は絵本1冊を半年で作るっていうけど、信じられない。
自分は作家とああでもないこうでもないと相談に相談を重ねて、
作家にうるさがられても、良い絵本を作るために
時間をかけて構成を練っていく。
急いで作った絵本は、消えていくのも速いと、
僕は思っている」と。

「かがくのとも」のように、練りに練られた作品を
今の出版界ーーそれも忙しい大手出版社の編集者が
根気強く作ることができるだろうか。
社内に、そのようなことが許される空気はあるのか。
企業に、ゆっくりじっくり良いものを育んでいこうとするほど、
体力・余力があるだろうか。

70年代80年代はじめぐらいまで、
内容充実した絵本・児童書を作り出そうとする
作り手たちの心意気・志がひじょうに高かったように思う。
子どものため、であり、
未来の日本のためであり、
自分の知り合いや家族のためであり、
自分自身のためでもあっただろう。
作り手たち自身が、面白がって
ものをつくるという作業にいそしんでいるさまが
当時の絵本・児童書にはみなぎっている。
昨今の効率優先という風潮は、
短期的に見ると良いだろうが、
長い目で見ると果たしてどうだろう。

「きもち」(かがくのとも108号 78年 谷川俊太郎・文 長新太・絵)は
文字数はわずか。
わずか4ページにわずかな文章量が書かれているのみ。
「いろんな きもちが
うまれては きえ
きえては うまれる。
やさしいきもち
おこるきもち
はずかしいきもち
おそろしいきもち……」

谷川俊太郎が子供に向けて描いた詩文、
長新太の絵柄、練りに練った構成によって、
大変シンプルでありながら深みのある1冊になっている。

「めだか」(かがくのとも109号 78年 吉崎正巳・作 太田一男・監修)には
生物が生き抜いていく大変さ、
厳しい冬はじたばた動かず、じっと耐えて春を待つことなど、
わが生涯まで重ね合わせて考えさせられるような
ストーリーが描かれている。

「いろ いろいろ」(かがくのとも118号 79年 辻村益朗・作)は
ひじょうにアーティスティックな構成で
今、大人の私が見ても新鮮。

「らいおん」(かがくのとも121号 79年 金尾恵子・作 増井光子・監修)には
ライオンの狩りについて、詳細かつリアルに描かれている。
今の若いお母さんだったら「残酷!
うちの子に見せれないわ」と目を覆いそうな。
全体を通して見ると、作者の言わんとしているニュアンスはよく伝わってくるが。

「くさる」(かがくのとも147号 81年 なかのひろたか作)より引用。
「おおむかしから、しょくぶつはどうぶつに
たべられ、よわいどうぶつは つよいどうぶつに
たべられ、そのつよくておおきいものも
しんでからは このちいさなちいさなむしに
たべられて、くさて、つちにとけてきた

こうして、いろいろないきものが
うまれて、しんで、くさり、
つちにとける。しぜんは なんどもなんども これを
くりかえして、つづいてきた」

ここのところ、家にこもってデスクワークばかりで、
運動不足ぎみだった。
もっと意識して体を動かすようにしなければ。
生を授かった以上、どうにか生き抜こうとする本能は、
小さな虫であっても持ち合わせているらしい。
デスクワーク中心なら疲れないかと思いきや、
肩こりや腰痛になりやすく、体調を崩しがちだ。
無心に体を動かすことも覚えたいと思う。

今宵、近所の川辺から空港まで歩いてきた。
野川という名の川辺沿いの桜、
陽当たりの良い場所の木は
4分から5分咲きといったところだろうか。

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コメント(2)

私は、出版社は大きくなった時点でおしまいだと思っています。今の大手出版社が出している絵本でいいものってありますか? 私から見たら皆無ですよ、ほぼ。F音館だって、20年、30年前は今ほど大きくなかったから、じっくり本が作れたわけです。
そもそも出版社を立ち上げようという人は、ちょっと変わった人ばかり。お金は二の次、まずは思想ありきな方が多いです。でも、その人が引退し、二代目が引き継ぐと、たいがいその人は、会社を大きくさせようとする。すると、思想よりもお金が一番になる。とどのつまり、クオリティは下がる。今の児童書版元の半分以上が、この定跡を辿っているように思えます。
思想とお金、どちらにどれくらい比重を置くか、すべてが経営者次第ですね。

おじいさまの思想を受け継いで、
つなげていこうとしている人ならではの
貴重なお言葉。ありがとうございます。

F音館ばかりでなく、Gも昔は良い児童書を
作ってましたね。
Bも先代のときは、儲け度外視じゃないかと思うような、
いわゆる売れ線ではない、
しかしながら心ある絵本や
児童文学の文庫を出してましたよね。
Bには、別途、有名なドル箱があったから
好きなようにできたということを
とある関係者から聞いたことがあります。
代がわりで社員や関係者は大変そうです。

心ある経営者がいなくなったら、
心ある作り手は居場所がなくなりますね。

今、思想を大事にやっている人って、
親がよほど金持ちだったか、
生活を切り詰めてるか、なんですかね。

ミヒャエル・エンデさんほか、
児童文学者が危惧していた方向に
進んでないですかね。
子供がいない人間でも、この先が心配です。
子供がいたら、もっともっとそうでしょうね。

そういえば、
「鉄太さん(経済的に)どうやって生活してるんですか」
というナンダンナさんの質問に
鉄太さんも
「お金に頼らない経済生活があるんですよ」
と話していましたっけね。
鉄太さんが日本でなく、
オーストラリアを住まいに選んだのには
理由があるのでしょうね。

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