寒すぎて…

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「満目蕭條ーー寒い季節がやって来た。
さういふ中で、町へ来る冬の雨の音ほど、
このわたしの心を落ちつかせるものはない。
その音を聴くたびに、
わたしはいろいろなことを思ひ出す。
平素は殆ど忘れてゐたやうなことまで思ひ出す。
そして、その生を耐へる気になる」(「冬の雨」より)

「終日静座。心もさみしく慰めやうのない日に、
森元町の湯屋まで一風呂はひりに行って来た。
その帰りがけに、子供等の茶うけのためにと思つて、
蒸し芋を買つた」(「味」より)

以上、「雪の障子」(島崎藤村
月明会出版部 月明文庫 昭和17年)より。

こんな寒い晩、
古来から
どれほどの人がどれほどの孤独に耐え生き続けてきたのかと思うと、
気が遠くなるようだ。

それにしても、紙の書物が残されているから、
60年、いやもっと古い本でも手にとることができ、
いにしえの人が何を考えていたのか
手にとるように知ることができるわけで。
私たちの世代がブログに書き残している文章は
あと50年100年もしたら、
きっとどこにも残っていないのだろう。
古い写真集を見るとき、
ここに写っている人はだれひとりこの世にいないのだと思う。
あの感覚とちょっと似て、感傷的になったりして。

でもね、私は、孤独が好きなわけではないけれど、
ひとりで過ごすのも好きですよ。
エネルギーを使って
大勢の友達と上手に付き合える人を尊敬するけれど、
大勢の中にいるときの孤独もまたさびしいもので。
思いを分かち合える人が
自分以外にひとりでもふたりでもいればそれでいいとも思う。
なんて書いてみる晩。

大勢で飲むのも楽しいけど、
私はふたりで飲むのが好き。
多くても3人とか、せいぜい4人ー5人ぐらいで飲むのが好き。
忘年会に前ほどきちんと行かないのは、たぶんそのせいだろう。
古書組合の人それぞれとぱらぱら飲みにいくのは楽しいけれど、
「組織」の一員に組み込まれて
統一感のある動きをと迫られたとたん、逃げ腰になるやもしれぬ。
古書組合の人は皆ばらんばらんなところが好きなので。
まとめてくださっている人は大変だろう。ありがとうございます。

そういえば、朝日新聞の夕刊に
茨木のり子さんの遺稿40編がみつかった記事が出ていた。
手元に夕刊がないので曖昧な部分もあるが、
茨木さんが夫との愛について綴った詩をまとめて、
長年そっとしまいこんでいたらしい。
甥っ子さんがどうして発表しないのかと聞いたら
恥ずかしいから生きているうちは発表したくないと。
遺稿とともに出てきた木箱は、
茨木さんがときどき手を触れていたらしく
少しよごれた感じだったそう。
中には、ご主人の遺骨が何片か入っていたとのこと。
遺骨入りの木箱をさすっていたときの
茨木さんの孤独が伝わってくるようで胸をつかれた。

いずれにしても、ひとつのことをずっとやり続けたり、
ひとりの人を愛し続けたりするって、才能だと思う。

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